私の人生を変えた出会いベスト5①
自分の人生の転機ってどこにあると思いますか?人それぞれいろいろあると思うのですが、私の場合は人との出会いが大きいのではないかと思います。このシリーズではそんな私が自分の23年間の人生を振り返ってみて、今の自分に大きな影響を与えたと感じる5人の人物を順番に紹介していきます。私の人生の核心部分に触れる内容だと思うので、このシリーズを読み進めようと思う人は覚悟してください(笑)
1人目:中学受験塾で出会ったカリスマ先生
私は中学受験をしたため、小学3年生の2月から3年間塾に通いました。そこでは様々な先生とかけがえのない出会いを経験したのですが、その中でも小学6年生のときの国語の先生の影響が大きかったと思います。
その先生はただ国語を担当する先生というだけでなく、私の成績や志望校の相談に乗ってくれる受け持ちの先生でした。私の塾ではそれぞれの先生が担当の生徒を何人か受け持っていて、生徒や保護者は相談があったらまず担当の先生に連絡するというシステムでした。小さな塾だったこともあり担当の先生と家庭はかなり密接な関係を持ちます。
では、その先生が私の人生を大きく変えたと感じる2つのエピソードを紹介していこうと思います。
エピソード①人見知りの私が喋れるようになった
幼少期の私は、学校や塾など社会的な場で言葉を発することを苦手としていました。特に大人に対する警戒心や恐怖心が強く、先生に話しかけられると頭が真っ白になり固まってしまう状態でした。診断を受けたわけではありませんが、場面緘黙と検索すると当時の私に近い症状が出てくるので興味のある人は調べてみてください。
そんな私は、当然その国語の先生ともうまくコミュニケーションが取れませんでした。話しかけてくれるのは嬉しいけど、それに対して何かを返すことはできず固まってしまう。大抵の大人はそんな私を見ると「話しかけられるのが嫌なのかな」「一人が好きなのかな」と離れていってしまうのですが、その先生は私を駅まで送り届けるときなどに、私と話す時間を積極的に作ってくれました。
最初はただ固まった状態で先生の話を聞くだけでしたが、私は次第に先生の話に言葉を返すようになります。もちろんうまい返しなんて全然できなくて、自分でも失敗したな、恥ずかしいなと思うことがあったのですが、先生はどんな私の言葉も笑顔で受け止めてくれました。そのうちこの先生には自分の言葉を伝えても大丈夫なんだという安心感を抱くようになり、「この前〇〇先生が授業でこんなこと言ってたんだよ」といった話を自分からできるようになりました。大して面白い話でもないのに大袈裟に笑ってくれて、とっても嬉しかった。
これを機に、大人の前で頭が真っ白になりガチガチに固まってしまうということはほとんどなくなり、他の先生とも少しずつコミュニケーションが取れるようになりました。たまたま私の成長・発達のタイミングがそのあたりだったのかもしれませんが、そんな私を後押しして会話の楽しさを教えてくれた先生には感謝しています。中学受験で得られるものって、勉強だけじゃないんだよね。
エピソード②不合格の苦しみに寄り添ってくれた優しさ
私はそんな担当の先生と共に必死に受験勉強を乗り越えてきたわけですが、残念ながら第一志望の学校には不合格になってしまいました。
当日本命の受験を終えた時点で手応えは全くなく、もう顔面蒼白の状態で塾に向かいましたが、先生はそんな私に優しく寄り添ってくれました。私の不安を受け止めそれをほぐし、最後まで闘って偉かったと労い、翌日に控える第二志望校の受験に気持ちを向けてくれた。
家に帰る頃には不思議と自分は大丈夫だという安心感に包まれ、気持ちよく次の日の入試を迎えることができました。もし塾の先生と話していなかったらモヤモヤを抱えたまま第二志望校の入試を迎えていたと思います。結局私はそのとき受けた第二志望校に進学するのですが、先生の力がなかったら落ちていたかもしれませんね。
試練はまだまだ続きます。首都圏の中学入試はスケジュールがハードなのです。第二志望校の受験が終わったら、直後に第一志望校の合格発表があります。その学校では当時オンライン発表がなかったので、わざわざ学校に貼り出されるのを見に行かなければなりません。そこに私の番号はありませんでした。
泣きたいとも思わずただただ呆然とする私でしたが、なんとその後すぐ午後受験で滑り止めの学校を受けに行かないといけなかったのです。合格発表の場に先生が来てくれていることは知っていましたが、落ちた私は合わせる顔がないと思い、先生に合わないまま次の受験会場に向かおうとしました。しかし門を出ようとしたところで待ち構えていた先生に捕獲される。
その先生は私の目をまっすぐに見つめていました。すぐに次の受験があったのでゆっくり話す時間はありませんでしたが、ああこの先生は私のことを大事に思ってくれているんだ、落ちたから合わせる顔がないなんて思わなくていいんだ、逃げ出すように次の受験に向かわなくてよかったと感じたのを覚えています。
なんとか滑り止めの受験を終え、私は塾に向かいます。うちの塾ではその日の受験が終わったあとも塾に来て翌日以降の対策をするというのが鉄則でした。午後の入試を終え、他の人より遅く塾に着いた私は個室に呼び出されます。そこで担当の先生が放った言葉は
泣いて、いいよ
私の苦しみを、魂からの叫びを受け止めようという優しさの表れでした。私はすぐさま腹の奥底から全てを吐き出すように泣きました……なんてことは、まるでない。午後入試を乗り越えたばかりの私は、すぐ泣けと言われても気持ちを切り替えられず、うまく泣くこともできないのでした。
先生はそんな私に向かってゆっくりと語りかけてくれました。その中で私の心を溶かしたのは、「今までやってきた努力が消えてなくなるわけじゃない」という言葉。この言葉を聞いた瞬間、私は激しく泣きました。そんな私の涙を、先生は隣でただただ受け止めてくれた。悲しいとき苦しいとき、ただ誰かが隣にいてくれることがこんなにも温かいんだということを私はこのとき初めて知りました。
中学受験で子どもが失敗してしまったとき、その子に寄り添うべき存在は親だと考える人は多いと思います。実際に親に支えてもらったという人もいるでしょう。しかし、中学受験というのは子どもより親が熱くなってしまうケースも少なくありません。親自身が悲しみに暮れてしまい、子どもの苦しみを受け止めてあげる余裕なんてなかったりする。親にとって子どもの受験は他人事じゃないんです。
そんなときは塾の先生を頼るべきだと思います。塾の先生が子どもに寄り添うのはあくまで仕事だからでしょ、と思う人もいるかもしれません。その通りです。それに先生はその子一人のために働いているわけじゃないし、演技で優しく振る舞っている側面もあるかもしれない。でも、他人だからこそ寄り添えることもある。自分事のように、いや、それ以上に激しく悲しむ親から一時的にでも離れることができたのは、私にとっても親にとってもよかったんじゃないかなと思います。私は中学受験を通して、最後に他人の温かみという大事なものを知ったのでした。
さて、泣きに泣いた私は、気がついたら遅くまで塾に居座っていました。第二志望校の合格発表はオンラインだったので塾で見ていくことに。結果は……
合格!!!!!
もう塾に残っている生徒は私だけだったので、先生たちと泣いて喜びました。いろんな先生にハグしてもらいました。差し入れの恵方巻きをもらい塾で食べました。間違いなく私の人生で一番苦しくて嬉しい、濃密な一日だったと思います。
アイドルのようなカリスマ講師
さて、ここまで先生とのエピソードについて長々と語ってきましたが、その先生の存在を一言で表すならば私にとってのアイドルだと思います。その先生には「この人についてきたい!」と思わせる何かがあった。正確には、先生がそのようなカリスマ講師の演技をしていたのです。私だけでなく、その塾に通っていたほとんどの生徒が先生の虜になっていたと思います。私が最近ハマっている漫画【推しの子】にちょうど良いフレーズがあるので引用しますね。
これまで述べてきたように、その先生は時に穏やかに生徒に寄り添う先生でしたが、基本的には眩しい光か激しい炎のような人でした。その先生の授業は完璧なエンターテイメントショーで、夢中になって聞いたのを覚えています。志望校も先生が薦める学校を選び、先生に鼓舞されて日々勉強を頑張った。私が激しい受験勉強を楽しみながら乗り越えられたのは、間違いなくその先生のおかげです。私は先生の発する光に吸い寄せられた多くの蛾のうちの一匹だったのかもしれません。
今振り返ると、その先生の言うことが100%正しいわけではなかったと思うし、先生の選んだ志望校が私にとって本当によかったのかは分からない。中学受験は最終的に私が幸せになれる道だったのか、それも正直なところ分かりません。
でも先生のおかげで私は不合格も含めて貴重な経験を積むことができました。また、その先生がいなかったら私は第二志望校の学校を受けなかったかもしれないし、受けたとしても合格できなかったかもしれない。そういう意味でも、先生の存在は間違いなく私の人生の分岐点になったと思うのです。
ただ、繰り返しますが先生は私にとってのアイドル。生身の人間としてその先生が好きかと言われるとちょっと違うのです。
その先生はカリスマ講師として発する光が強い分、近づきすぎると焦がされるような恐ろしさを持っていました。先生はプロの講師なのでもちろん子どものことはきちんと愛してくれますが、この人に嫌われたらヤバいだろうな、怖いだろうなというのは子ども心にもうっすら感じていました。実際その先生とトラブルになってるのかな?と感じる先生もいたりして。
私が好きなのは、生徒という立場から憧れるように見上げるカリスマ講師としての先生です。虜になるくらい魅力的な授業をしてくれたのも、うまく話せない私に話しかけてくれたのも、不合格に悲しむ私に寄り添ってくれたのも、全部講師として完璧な演技をしている先生。生身の先生に近づきたいとは思わない、どこまでも偶像としての憧れなのです。
高校を卒業したあと、私はアルバイトをするためにお世話になった中学受験塾に戻ります。そして先生と再会し、同じ国語の講師になるためにその先生にはアドバイスをもらったり授業を見学させてもらったりしました。再び憧れの先生の指導を受けられたのはとても嬉しかったです。
しかし、やっぱりアイドルの裏の顔は見ることになってしまいましたね(笑)予想はしていましたが、自分の気に入らない講師を他の講師(バイト含む)の前で責めるとか。しかも1対1ではなく集団でいじめるような構図になっている。塾にはこの先生以外にも尊敬する先生がたくさんいたのですが、他の先生の嫌な一面を見てしまうこともありました。生徒という立場から教壇の上で輝く先生を見るのはいいけれど、やっぱり講師室での顔なんか見るもんじゃないね(笑)小規模な塾だったので、中小企業ならではの狭いドロドロした人間関係を知ってしまいました。
私はカリスマ先生の教え子だったので、かつての「先生と生徒」という関係性がどこか続いているような感覚がお互いにあり、たくさん可愛がってもらいました。でも正規の職員としてこの先生の下で働くのは絶対に無理だなと思いましたし、近づきすぎて焦がされないよう適度な距離感を保とうという気持ちになりました。
最後に先生の株を下げるような内容を書いてしまったかもしれませんが、どれだけ裏で他の講師をいじめていようとも、何か他に悪いことをやっていようとも、先生が魅力的な授業をしてくれた事実は変わりません。小学生の私にたくさん寄り添ってくれたことも、先生のおかげで厳しい受験を乗り越えられたことも変わらない。先生の生み出すカリスマ講師は「演技」による「アイドル」だけど、それは確かに「本物」で先生の魂の一部なんだと思う。私はそんな本物のアイドルを尊敬しています。
おわりに
いや〜相変わらず今回も長くなってしまいましたね!本当は1つの記事で5人分書くつもりだったんですよ。でも中学受験や先生に対する私の思いが熱すぎて(笑)1人目だけで5000字以上も書いちゃいましたよ、全く。もう夜中の1時なんですけど。
次回は2人目、小学6年生の担任について書いていく予定です!今回に引き続きまたまた6年生!今思うと6年生の一年間は本当に濃密で自分の人生の転機だったなぁ〜。私が塾でカリスマ先生と出会っていたその裏で、どのような学校生活を送っていたのか?誰も期待していないと思いますが乞うご期待!(笑)もし字数が短くまとまれば3人目と合わせて1つの記事になるかもしれません。どうなるか分かりませんが、次回も読んでくださると嬉しいです!ではまたお会いしましょう〜。
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