海外生活で自分が当たり前だと思っていることを他人に期待しすぎることは良くないってこと
海外生活するって辛いことだらけ。ストレスだらけ。
何がストレスって、
・当たり前だと思っていたことが当たり前じゃないと気づいた時。
・自分の幸せを明確に理解してないと、海外の当たり前を当たり前と享受し、現状の幸せに感謝できないし、認識できない
・日本でちょっとしたストレス発散していたことが無意識にできなくなってストレスが備蓄されたままを放置してしまう。&爆発。
そんな中で、ハードな仕事に慣れる努力・言語の壁にぶち当たり・カルチャーショックを受ける。食べるものも挑戦しながら楽しい日々!と前向きに慣れる精神を持ち続けることができる人はいいけれど、食べ慣れたものを簡単に食べれなくなるのは辛い。
それは海外で出会う日本人みんな生き抜いてます。
だから出会うお友達も、のらりくらり生きてる人は少ない。だからこそ、出会う価値がある、面白い人に出会えるんだけどね。
実は私は軽度だけれど男性恐怖症で、過呼吸が急に出てきたり、心臓がドキドキし始めて急に不安感が広がってパニック症が出るような感じ。そんな中、海外で歩いてるとアジア人だからどうしても目立ってしまったり、背がアジア人の平均よりも高めっていうのもあって目立ちやすい。だから、さまざまな経験・ナンパ・人種差別もされてきた。
例えば中国人だと間違えられ、一人で長距離電車に乗ってたら急にイタリア語で「get out!get out!chinese!」とおじさんに1時間半も怒鳴られ続けた。私はイタリア語がわかるので何言ってるかもわかる。だからこそ怖かった。そして周りのイタリア人は助けてくれませんでした。
ずっと無視し続けてると静かになったので、辛くて顔を見たくなかったから窓を見てたらそっと近づいてきて、私の胸を触ってきた。
流石にやばい、と思って咄嗟に「Stop!F○○k you!」とイタリア語で返したら、びっくりした顔でスゴスゴと電車の後方へ行った。でもその時点で、到着駅につきかけていたので電車を降りた。
怖かった。その一言。涙も止まらなかった。
イタリアで友達もいない中で一人で生きる辛さ。
だから、海外で日本人のお友達が作れても、その人もきっと、何かに苦労して生き抜いている戦友みたいなもの。
だから、「最近ね、私がこんなこと辛かったんだ」、と言っても「わかってくれる」と無意識に期待してしまう悪い癖を最近新たに発見した。
こうした状況の中、最近セクハラ・パワハラをドイツ・デュッセルドルフで受けた。(この話の詳細はまた今度)もう今でも顔を思い出すだけでパニック症の症状が出そう。心臓も急に早くなって、涙も止まらなくなりそう。震えも止まらなくなる。怖かった。辛かった。
私にとっては辛いことがあって、数日間は男性のことを見ることができず、本当にしんどかった(今も思い出してこうして書いてるだけで涙が出る)ことをお友達に話したの。辛かったんだって。
そしたら、一言目に「ネタが増えてよかったね」とポジティブに受け止めてくれた。確かにそうなの!そうだよね!何事も楽しむ精神は大事だ。
そして、「(そういう海外あるあるのネタになるような経験があって)羨ましい」と言われた。
ちょっとショックで、引きずってしまう私。
どうしてかな、って考えた時に、
私はきっと彼女に同じ女性だから「わかってもらえる」と無意識に期待しすぎてたんだと思う。
彼女は本当に忙しくて(もはや週7レベルで働いてる)慣れないヨーロッパ生活を生き抜いてる。本当に素敵な女性。
だから、一緒にいる時は笑い合いたいし小さな幸せを一緒に「幸せだね」て言い合いたい人。そんな戦友としての友を認識し間違えたのかも。
それでもいつでも寄り添ってくれる人もいるのでその人も大切にしたい。
つまり自分が当たり前だと思っていることを他人に期待しすぎることは良くないってこと。
学び。