我が身に降りかかる介護問題と食の重要性
私ごとではあるのですが、母が両手首キーンベック病という病気にかかり(かなり稀な難病らしい、しかも両手首というのは例がないそうだ)、手首が使えない、重たいものが持てない、運転ができない、ということで、かなり日常生活に支障が出ている。
しかしながら、障害者手帳や障害認定を取ろうとすると基準としては外れてしまうが、確実に日常生活には支障が出ている。というよりも、できないことがある。
例えば、日々の料理でも難しい。食料品の買い物も無理だ。誰かの介護が必要なのだが、しかし、障害認定という基準で考えると、対象外になってしまう。
もちろん仕事はできない。だから基本的には、現時点以上に症状を悪化させないように安静に温存するしか方法がない。手術という手もあるが、手術をしたところで、かなり大掛かりな手術になるらしく、おすすめはできないらしい。
つまり、確実に日常生活に支障はあるのだが、障害認定には対象外という難しい立ち位置だ。
一番困るのが、普段の食料品の買い物と、料理である。
毎日、何か弁当のようなものを用意しないといけない。しかし、世の中の弁当の類は、なんだか高いし、料理の内容が面白くない。
老人向けの宅配弁当など、管理栄養士が献立作成したのか知らないが、恐ろしいほどの「イメージする机上の老人弁当」だ。
しかし、なかなか、まさか自分に介護という問題が突然降りかかってくるとは思わなかった。
生活の中で、全体最適をどう構築していくか。
どうやったら介護を必要とする人のQOLを向上できるのか。
私が思うに、短絡的かもしれないが、
美味しいものを食べるということは、幸福ではないか?
と思う。
そもそも介護が必要であるということは、痛みや病気で行動が制限されているため、好き勝手に生活を楽しむことができない。
では、その中でどうやって生活を楽しむことができるのか?
様々な不自由と制限の中で、QOLを上げる方法としては、
「超絶おいしいもの」を毎日食べることではないだろうか?
話は違うが、太陽もない生活の自由もない潜水艦の乗組員の楽しみは食事らしい。
美味しいものを食べている時は、幸せだ。
私は、スイーツ専門であるが、一応若い頃に和食やフレンチの経験もある。
今回は母の介護という必要に迫られ、何か冷凍弁当系のものができないか、考えてみたい。
体が痛いというのは、苦痛であろう。
そして、気分的にも憂鬱になるものであろう。
介護なしに遠出もできない。
美味しいものを食べることで、気分が良くなればよいと思う。
そして、日々美味しいものを食べることで、前向きになれば良いと思う。
「食」にはそれだけの力があると私は思う。
宅配弁当、特に老人向け弁当は結構薄味すぎてつまらん味だから、歳とっても普通に肉とかは食べたいといっていたので、まぁそうだろうと。歳とったからおひたしとか、豆腐とか、ふろふき大根とか、そんな味気ないものばかり食べたいわけではないよなと。確かに。
人は誰しも必ず歳をとる。
これは万人に平等であり、抗えない真実である。
歳を取れば体に支障がでる。
そして、人の助けが必要になる。
何かできないものか、考えてみよう。
毎日食べるものは大切だと思う。
常に痛みがある人が、つまらないものばかり食べていたら、生活が苦痛だけになってしまうだろう。