いつも心に鳩サブレー
本日8月10日は、大好きだったじいちゃんの誕生日であり、じいちゃんの大好きだった鳩サブレーの日であり(正しくは鳩の日)、じいちゃんのお葬式の日だった。
じいちゃんのことが大好きだった孫娘が、大好きだったじいちゃんと過ごした大切な時間の一コマ一コマを、そして、大好きだったじいちゃんから学んだあれやこれやを、大切に大切に記憶に留めるために、ことばに出して書き残していこうと思う。
さて、鳩サブレーの話に戻ろう。
鳩サブレーは笑顔のみなもと。元気のしるし。
じいちゃんの大好物は鳩サブレー。
鳩サブレー愛にあふれていた。
鳩サブレーがあればみんな幸せ。見れば笑顔に、食べれば栄養満点、元気になれる。
というのが、じいちゃんの持論。じいちゃんの請け負いで私もたまにこのフレーズを使うことがあるが、あながち間違いじゃあないと思う。
出不精なはずのじいちゃんのおやつタッパーには、なぜか鳩サブレーが大切にストックされていて(当時はデパートに行かないと買えなかったはず)、たまに何かいいことがあったときなど、うやうやしく取り出し、嬉しそうに食べていた。
大人になった私も今、じいちゃんよろしく、鳩サブレーをストックし、いいことがあった日、元気になりたいとき、ほっこりしたいとき、頑張ったご褒美に、など、なにかと小さな理由をつけて食べている。
鳩サブレーに合わせる飲み物は、緑茶だったり、牛乳だったり、コーヒーだったり、コーヒー牛乳(カフェオレではない)だったり、ミルクティー(ロイヤルではないけど濃いめ)だったり。ちょっぴりこだわりながらも、いろいろなバリエーションが楽しめる。鳩サブレーの懐の広さを感じるところである。
ちなみに、鳩サブレーの食べ方にもこだわりがある。
袋をあけたときにあふれる、あの、あたたかくて安心する、ちょっと野暮ったいとろけるバターの美味しい香りを、深呼吸して吸い込むのが儀式のはじまり。次いで、かぶりつくか、ひとくち大に割って食べるかを決めて、それから、あたま(かお)から行くか、しっぽから行くか、を決める。
これは、小さいけれど、大事な決断だ。
たいてい、大きめひとくち大に割って、あたまのパーツからざくざく食べる。ちなみに、鳩のあたまから「こんにちは」しながらざくざく食べて、牛乳をごくごく、というのが、じいちゃんスタイルだった。
私は高校生のとき、ダイエットにストイックになりすぎて、拒食症になりかけ、お菓子が食べられなくなった。その当時も、鳩サブレーは別格の特別扱いだった。栄養のある「ごはん」として、朝ごはんで食べたり、食べずともフォルムを愛でるためにそばに置いて飾ったり。今思い出しても、鳩サブレーへ捧げる愛情と執念は相当なものだった。さすが、あの、おじいちゃんの「おじいちゃん子」だ、と思えるほどに。
鳩サブレーを通して、じいちゃんが教えてくれたのは、大人になってもお菓子が大好きであってよいということ。
いくつになっても、自分の好きに正直になってよいということだった。
ささやかな楽しみは、自分はもちろん、まわりのみんなの自然な笑顔を引き出し、ご機嫌とりに有効だ。好きなお菓子は、笑顔と元気と、日々明るく元気に生きるパワーをくれるのだ。
そこにあるのは、自分の機嫌は自分で取る、自分の元気は自分でチャージする、自分のことは自分でやる、というおじいちゃんのポリシー。
家族であれ、自分でできることは自分でやる。心配はさせてはいけない。迷惑はかけない(よくぶちきれて、家族のみんなを震え上がらせていたけど!)。これは、ギリギリ最期までおじいちゃんが貫いたルールだった。
自分が好きなものは独り占めしない。家族で分けあい、みんなで幸せになる。
家族皆が明るく元気でいることが、なににも勝る幸せなのだ、というのが、じいちゃんのモットーであったのである。
好きなものを好きなタイミングで好きなように食べる―。
わかりやすくて単純明快シンプルな幸福。自分の機嫌は自分でてるための、シンプルな方法。
いつも心に鳩サブレーをおきながら、じいちゃんの教えを大切にして、毎日を過ごしたい。
P.S.
余談。おじいちゃんの死後、自分で鳩サブレーを買うようになって、鳩サブレーについていろいろと調べるようになってから、おじいちゃんの誕生日は鳩サブレーの日(正しくは鳩の日)だったことを知ることになった。すごい縁いや絆。