避難訓練での失敗
初任校で2年間お世話になった校長先生は
私の両親も共に働いたことがある方だ。
両親も同世代であるその方を尊敬しているそうだ。
その方から学んだ経験を備忘録として残したい。
新年早々、暗い気持ちになるニュースが続く。
SNSを見ていると「避難訓練」の話題が目に入った。
教員になって2年目の私が避難訓練で
許されない失敗を犯したことを思い出した。
先の校長先生と出会った年だ。
避難訓練については思うところがあり、
初任者の頃から真摯に向き合っていたつもりだった。
その日の訓練も、生徒たちは真剣に取り組んだ。
全員が教室から出たことを確認した私は
生徒と共に周囲の安全を確保しながら
避難先のグラウンドへ向かった。
無事に到着し、学級委員長の点呼を待ちながら
自分でも全員無事かどうか確認をしていく。
ここで重大なミスに気がついた。
…出席簿を持っていない。
あってはならない失敗だった。
避難を要するような緊急事態が発生したとき、
人は通常ならできていた行動ができなくなる。
冷静でいようと努めていても、
実際はパニックになりあらゆる物事を
見落としがちだ。
日頃から非常事態に備えて特別な訓練を
受けている専門職の方ならともかく、
私たち教員は普段から安全であることが
大前提の学校内で生活しているのだから、
なおさらのことだ。
それを重々承知していながら
生徒一人一人の名前が並ぶ出席簿を
教室に置き忘れるのは最悪の失敗であった。
もし38人中37人しかその場に避難していなかったら?
その場にいない1人は誰?
パニック状態の頭ですぐに判断できるか?
きっと生徒たちが「〇〇がいない!」と言うだろう?
生徒たちも自分の身に降りかかった
非常事態に翻弄されているのに?
そんなわけがない。
いろんなことが瞬時に頭の中を駆け巡った。
そのとき想像できた最悪の事態が起こる
シチュエーションは、すべて私の責任であった。
心臓の嫌な高鳴りを無視できないまま
避難訓練の行程は進んでいく。
校長先生のお話だ。
地面に座る生徒たちの列を挟んで、
私と校長先生は向かい合う形となった。
そして私の目をまっすぐ見ながら一言、
「全員の先生が出席簿を持って避難しました。」と言った。
自分のミスが全身に刻みつけられた気がした。
同時に校長先生の優しさと厳しさに感謝した。
私はこの先二度と同じ過ちを繰り返さない。
以後、後輩教員が「出席簿いらんよな?」と
話しているのが聞こえたら、
おせっかいとは思いつつ口を挟んでしまう。
それが訓練の日でなくとも、
毎日、毎時間必要なのだ。
教科担任制で教室移動を伴うときも、
必ず移動先の教室にいる教員が出席簿を
手にしていなければならないのだ。
当たり前のことだが、その必要性を
身に染みて学習した出来事であった。
震災で今も苦しむ方々のもとに
早く救助が来ますように。
安全が確保されたあとは
早く日常を取り戻せますように。
心や体に負った傷が少しでも癒されますように。