自分の変化=影響・きっかけ

何事も、【人や環境のせい】とか、【人】や【環境】を【理由】にすると、どうしても【人】や【環境】に【やらされてる感】が強くなる。
逆に【自分】を【理由】にしたならば、【自分】が【やってる感】で満足する。
その明確な違いについて、要は、【人】や【環境】に対しての【捉え方】だと思った。後者の場合は、きっと、【人】や【環境】を1つの【きっかけ】だと『捉えているってことなのかな?』って感じがした。また、【自分】が【影響を受けた】と捉え、【自分の意思】として【変化が生まれる】みたいなイメージを私は持った。

私は、ブログの中で、度々【人や環境のせいにしない!】とか【自分を理由にする!】とかを発信してきた。今回は、それらの言葉に対する私の気づきを、具体的に綴っていく。

以前、今年のお盆休みの過ごし方を考えた時の話。ブログの投稿にもあったように、『フォトウェディングについてどうしようか?』と考える機会があった。その時は、【自分の意思】と言うよりは、【周りの影響】が大きかった。【母親】の『希望を叶えるため』とか、【お祝いを貰った親戚達】に『晴れ姿を見せなきゃいけないのかな?』とか。
私自身が本気で『ウェディングドレスを着たい!』みたいな気持ちは少なかった。だから、【自分の意思】とは裏腹に『周りに言われるがまま』とか、『周りの希望に沿って』とかの【曖昧な気持ち】で進めるのは【嫌】だったんだよね。そんな【私の気持ち】を理由に、当時の私なりに考えた結果、その計画自体を見送ったって話。

現在、それから数ヶ月が経った。正直その間、フォトウェディングに対する意識の劇的な変化は無かった。けれど、何度か旦那のお母さんと話をする中で、【ウェディングに対する何か】を勧められることはあった。そして、その度に「m__lovemiちゃんのお母さんは見たいって言ってたよね。」とか「女の子の夢じゃないの?着たいとか思わないの?」なんてことを、度々言われた。なので私は、『私や、私の親のことを気遣いながら、お義母さんが思うことを話しているんだな』っていう解釈でいた。

先週末、直接2人で話をする時間があり、いつものように会話を弾ませていた。そして、今回もまた、ウェディングの話になった。以前と似たような話と言えば、そう。だけど、なぜだか少しだけ、以前よりも具体的にイメージがわいた。私自身が望むというよりは、【私の母親の夢】を『叶える娘で在りたい』って気持ちに急になった。そんな自分の思考になってからは、『母の求めるフォトウェディングをしたいな』とか『どんなイメージが現実的かな』とか想像した。実際の場所やこだわり、予算等も含めて具体的に調べ始めた。以前よりは、確実に【自分の意思】で『自分が望む形のフォトウェディングをしたい』って思っている。

また、もう1つ。仕事の話。社外の人とのメールのやり取りについて。私の立場は派遣で、メールのCCに含める人も、同じ【派遣の先輩】だった。元々は社員の上司も含めて共有していたけれど、その上司は異動したので今は不在。別の『今の上司を含める必要があるのかな?』と、私も1度は考えた。けれど、『それくらい派遣の人達で何とかしたらいいよ』くらいのことだと私は思った。だから、上司は含めなかった。
すると、【派遣の先輩】から「今の【上司】を含めないと、何かあった時、私では責任取れないよ」と指摘あった。そして私は、『確かにそうなのかもしれない』と思って、次の返信の際には今の上司を含めてメールを送った。そのメールの中で、私と社外の担当者との間で、認識の違いが発覚した。私は【先輩】に相談し、【先輩】からの指示を的確に遂行した。そしたら、このやり取りを、【先輩】から【上司】へ報告していたので、私は、【自分のポジション】について疑問が湧いてきた。『本来なら、直接メールを送っている【私】が【上司】に話をするべきなのかな?』と。そして、【私】は【上司】に直接現状報告をしたのだけれど、【上司】からは「その件の話はもういいよ」と言われ、私は自席に戻ったんだよね。

今回のやり取りについて、正直、率直には深く何とも思わなかった。【先輩】や【上司】に対して【ネガティブな思考】を持つことも無かった。【以前の私】では、きっと【ありえない心境】だったので、その【理由を分析】してみた。私は、一度は『私なりに考えた』結果、その都度『行動しただけだもんね』って思っているんだよね。だからなのか、『次からは、【上司】を含めた状態で最初からメールしようかな!』と思ったくらい。そうしたら、【先輩】に上記のようなことを【言わせなくて済む】し、【私】から【上司】へ【直接確認する】こともスムーズになる気がした。【今回の私】は、【次の私の行動】に【繋げる方向性の思考】の方が、明らかに強かった自覚がある。

そして、【今の私】に対して、【以前の私】だったら『何を思ったかな?』と想像した。きっと、【先輩】や【上司】の【反応】に対して、【私の行動】の【悪かった・足りなかったところ】を『探し続けただろう』と思う。また、一連の流れからは、【先輩】が『こう言ったから【私】はそうした』とか、【先輩】に『言われた』から【私】は『そうしなきゃいけない!』と思ったとか。だから、【上司】に報告したものの、【私】が思ったような『聞く体制の【上司】ではなかった』ことに【複雑な思考】を思い浮かべる。そんな自分を容易に想像出来たんだよね。

冒頭の【フォトウェディング】と、上記の【仕事のやり取り】について。この【2つのエピソードに共通すること】が、【私が私らしく生きる】上で『とても大切なことだな』っと思っている。だからブログに残したいと思った。

【フォトウェディング】に関して言うと、間違いなく【私の思考】が変わった。【私の感情】が動き、【私の意思】が変化した。【何故?】と自問した時の答えは、【漠然と私自身が変わったから】だと思っっている。【私の意思が変わった】のは、確実に【私の変化】があったから。そして、【私の変化】に【影響を与えた】のが、【私以外の人達】なのかも!てことに、初めて気がついたんだよね。
【私の母】が「私の晴れ姿を見たい」と言ったこと、思っていること。また、度々、【旦那のお母さん】との会話であった【ウェディングに対する何か】の話。断片的ではあるけれど、【私の変化】に対する【影響】や【きっかけ】を考えると、十分な材料になっていたことを物語る。
私は別に、私の母や、旦那の母との【会話が理由】になったとは思っていない。あくまでも【私の意思に変化があったから】ってのが【私の理由】だ。だから、『私の母のためでもない』し、『旦那の母から言われたから』って話でもない。『2人のためにやらなきゃいけない!』みたいな気持ちも全くないって話。

【仕事のやり取り】に関しても、結局のところは、【自分の考えがあっての行動】だったって話。また、【先輩や上司の反応】を【きっかけ】として、【影響を受けたこと】によって、初めて『次からはこうしてみよう!』っていう【私の変化】が生まれた訳だ。

つまりは、【相手の反応】【相手の発言】ってものは、【私の意思】【私の行動】【私の思考】が【変化する】ための【きっかけ】や【影響】に【過ぎないってこと】を心に刻んだ。決して【相手の反応】【相手の発言】に【自分が左右される】みたいなことでは無いってこと。『相手の言うようにやらなきゃ!』『相手の反応が良くなるように、自分の行動を合わせるんだ!』みたいな話でも、全くない。

あくまでも、【相手の反応】や【相手の発言】から、【私の意思】【私の行動】【私の思考】が【影響を受ける】ってこと。その【影響】が【きっかけ】となって、初めて【私が変化する】ってこと。それが、今回1番強く言いたい話。
だから、反対に何も【変化しない】ならば、【私自身】が【変化する】ほどの【影響を受けなかっただけ】だし、【きっかけに繋がらなかっただけ】の話。すごく単純でシンプルな話。

また、上記の考え方って、実は【自分以外の相手】だけでは『ないよね?』と私は思う。度々、似たような場面で発言する【環境】って言葉。【環境】や【環境の変化】も、私の中では【人間の相手】と同じ意味を持つ。【今】を生きている【私】には【変えられないもの】って意味。【変えられる】のは【今】を生きている【私】だけってこと。

今までの私は、散々【人や環境のせい】にして生きていた自覚がある。その都度【自分以外の人】や【環境】を責め続けては、自分を大事に守って生きてきた。でも、今思うと、【人】や【環境】を【理由】にしている時点で、私は【やらされている感】が必ずあると気づいた。【自分の意思】でやるのではなく、【人】や【環境】によって【やらされている】ってイメージ。つまり、【自分の人生】を当てはめた時には、【自分の意思】で生きているではなく、【人】や【環境】によって【生かされている】って感覚になる。すると、【自分の意思】ではないので、【生かされているなら生きなきゃいけない!】みたいな『気持ちに近くなるように』私は思った。

逆に、【自分の意思】で【自分の理由】が明確にあって、【自分が納得】してやることは、全部【やってる感】に繋がるって私は思った。【自分の人生】に当てはめてみても、【自分の意思】で【生きている】ってことになるはず。すると、【人】や【環境】による、【自分の変化】が【必然的に生まれる】ってイメージだ。そして、その都度【自分】が【アップデート】されていくみたいな。
【人】や【環境】ってのは、あくまでも【自分への影響力】【自分のアップデートのきっかけ】の感覚に過ぎないって話。
上記にも似たようなことを何度か綴っている。まとめるのが下手くそなので、復唱しているみたいになった。けるど、そう考えたなら、「私って生きてる!」ってことを、堂々と胸張って言える気がした。



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