【ドライな人間=自立した人間】自分が変化した結果
突然と言えば突然な話。先週、友達と話をしていている中で、「m__lovemiさ、ドライだね、ドライな人間になったよね!」と言われた。私は、その彼女のその言葉の通りに受け取った。別に、それが良いとか悪いとかは思っていない。
正直、私自身は明確に自覚したことがなかった。ただ、1回言われただけなのに、自分で納得するのは早かった。具体的にいつからなのかって事までは本当に自覚がない。ただ自信を持って言えるのは、私は、【ドライな人間】を目指して努力はしていた。その『努力に比例して確実に生きやすくなった』ということ。私が常に変化し続けてると実感する根本に、間違いなく起因している。私がずっと望んでいた、思いで描いていた理想。『こんな人達みたいになりたい!』と思ってきた人達がどちらかと言うと【ドライな人間】だからだ。本人達に自覚は無さそうだったが、私が自覚したことについて話してみた。そしたら「別にいいんじゃないのー?自分が自由に生きてなんぼじゃん?悩みも少なくなった訳だし、m__lovemiがそれに納得してるならそれでいいじゃん!」と『肯定でも否定でもなく尊重』した。
私は、ある意味これが【ドライな人間】だと思っている。必要以上に他人に干渉しない。感情移入もしない。だから、他人からの反応も気にならないし、他人にどう思われようとも【自分は自分】と納得出来る。どんなに近い距離感の人間に対しても、自分の意見を押し付けることも、よっぽど無い。反対に、わざわざ他人の意見も無意味には聞かない。基本的に【自分の意思】のままに生きるから満足出来るし、上手くいかなければ自分で考えて自分で学ぶ。それがちゃんと【自己責任】だって分かってる。また【自分とは別の意見】に対しても【相手は相手】なのだと認識できる。そのため、納得することはするし、しないことに対しては『具体的な自分の意見』をちゃんと伝えられる。自分の意見を言わなくても、あえて流したり、相槌だけの反応であったり。あくまでも『自分の意思のままに、無理ない範囲で人間関係を築く。自分で相手を選択するし、選択した自分に対する責任も自覚する』みたいな。そんな人達だから、他人や環境に対する文句や愚痴も、基本的にはない。思ったことは直接的に相手に言うし、必要の無い我慢もしない。基本的に自分で納得して選択して生きているので、自分の悩みってほとんど言わない。つまりは、簡単に他人を頼らない。他人を理由に生きる事も無い。『互いに自立した人間同士で成り立つ関係』ってことが個人的には大切なことだと考えている。それが【ドライな人間】の感覚だってことを、私は周りの人達を見て学んできた。
極端な話だが、私は、『自分の周りの人が皆居ない状況』を想像して『今を生きること』を意識することが増えた。自分にとって都合のいい人も悪い人も含めて。そうなった時、初めて自分の力が試されると思うからだ。人間みんな、いつか死ぬ。もちろん自分も。もしそうなったら、誰のせいにも出来ないし、自分のせいにしたところで自分でどうにかするしか無い。反対に、他人が自分を責めたとて、もう自分はこの世にいないってこと。互いに生きている間に、どれだけ人間らしく、ストレートな感情を伝え合うのか。まずは自分を知るところから、それが出来るのか。このことを大切にする・しないは人それぞれ。ただ、『死んだら互いの関係が終わり』だと思うのか、『死んでも心の中で生き続ける関係』だと思うのか。私は『少しでも早く悲しみから立ち直り、互いの心の中で、生活の中で、思い出として生き続けたい』なんてことを考え始めている。そしてそれが、『自分と他人を分けて考える、自立して生きる』ことにも繋がる考え方だと思って自負している。
私は、28年の人生の中で、身内の親しい人間が亡くなった経験が1度もない。だから、実体験のエピソードもない。だけど、祖母が90歳を迎え、祖母の死に対して、そんなに遠くない未来を想像するようになった。それが上記の考え方である。生きている間に沢山の思い出や感情を積み重ね、祖母の死の悲しみに真剣に向き合う。それが出来るだけで十分なのかな?なんて想像するのだ。そして、悲しみに浸り続けて悲しく生きるよりも、『ばあちゃんの存在への感謝』の気持ちを忘れず「私は私の人生、精一杯生きるね!!」って笑って言いたいと思っている。逆も然りで、『自分の死』に対しても想像することがある。病気の影響も少なからずあるかもしれない。『自分自身が精一杯生きた!』と思えれば、自分自身はきっと満足。他の残された人間達に対しても、シンプルに『本人達が満足するように生きて』って願うだけ。
私は、今この段階で【ドライに人間】(自分が目指した人間)に近づけて、改めて良かったと自分で思う。結婚や妊娠、出産.子育て、その先の人生考えた時に、『今はまだ自分1人』の人生。結婚すれば彼と夫婦になり、出産すれば更に自分の家族が増える。自分1人だけの人生では無くなる。『互いに自立』した上で尊重し合い、助け合って家庭を築く。『自分とは別の人間との関わり』が必然的に増える訳だ。だからこそ今、そうなる前の段階で【ドライな人間】つまりは、『自立した人間に対する考え方』について、気づくことが出来た。自分と相手との距離感は全く関係ない。『共通して自分とは別の人間だってこと』を改めて認識した。
正直なところ、今回の話は【ドライな人間】てよりは、どちらかと言うと【自立した人間】の方が強調したい気持ちだ。シンプルに『私は私』として生きるだけ。私は、それを目指して努力した結果、学生時代からの友達に【ドライな人間】の印象を与えた。その発言をした『友達は友達』だし、『以前と印象が変わっただけ』のこと。印象なんてみんな変わる。もっと言えば、『人間なんて、いつだって誰だって変わる時は変わる』と私は思っている。それが相手に伝わった時、今回の様に、『初めて相手から見た印象も変わるんだよね』って思ってる。もちろん逆な事もあるだろうし、その都度『互いの印象も変化していくもの』だと認識している。『互いの変化』に対しても、認めたり尊重したり出来る『自立した』友達や彼がいて、『私って幸せだな、嬉しいな』って思えた。
そして、何度でも、ブログだからこそ発信する。『私が私として自由に生きるために、これからもきっと変わり続ける』ってことを。