『リクルートのDNA 起業家精神とは何か』を読んでみた
本書は、リクルート創業者、『江副浩正』氏の自伝的な観点でつづられたビジネス書となります。言わずもがなですが、リクルートは人材事業を柱として、いくつもの事業を成功させています。
江副さん自身はあくまでそこまで秀でた能力がある人間ではない、というスタンス語っていますが、その中で、人間精一杯頑張れば、結果をつくることができるということを伝えたいという点から、これから事業を始める若い人の参考になればと、この本を書いたと言います。
■書籍の紹介
リクルートのDNA 起業家精神とは何か
江副浩正 著
江副浩正氏とは
江副さんは甲南中学・高校を出た後、東大の教育学部卒業しました。東大というと身構えてしまいますが、江副氏自身は、大学にはほとんど行かず、東大新聞の『企業向け広告営業』で結果を出し、通常に就職する以上の収入が得られたと語ります。
そこで、大学新聞の就職広告からスタートして、数々の情報広告メディアつくりに進出し、現在のリクルートグループをつくりあげました。江副氏は、リクルートという新しいビジネスモデルを、大学生の就職情報、転職、不動産、中古車などの情報を広告と結びつけることで、成り立たせたのです。
経営の三原則
本書で紹介されている経営の三原則とは、以下です。
(経営の三原則)
1.社会への貢献
2.個人の尊重
3.商業的合理性の追求
社会への貢献とは、これまでにない新しいサービスを提供して、社会の役に立つこと。個人の尊重は、人はそれぞれに違いがあり、その違いを積極的に認め、各人が組織に提供しあって大きな成果をあげていくことを目指すということです。
経営理念とモットー
本書で紹介されている中の一つに、経営理念とモットーがあります。
1. 誰もしていないことをする
2. 分からないことはお客様にきく
3. ナンバーワン主義
4. 社員皆経営者
5. 社員皆株主
6. 健全な赤字事業を持つ
7. 少数精鋭主義
8. 自己管理を大切に
9. 自分のために学び働く
10. マナーとモラル
以下でいくつか紹介します。
一、「誰もしていないことをする主義」
リクルートは、これまで社会になかったサービスを提供して、時代の要請にこたえてきました。さらに既存の分野に進出する際は、別の手法での事業形態に限定していたとのことです。リクルートが隙間産業と言われるのは、誰もしていないことをする主義に基づいているからだといえます。しかし、継続していれば社会に受け入れられ、産業としての市民権を得ることができます。
二、「分からないことはお客様に聞く主義」
これまでされも手掛けなかったサービスを提供していくためには、お客様に教えを請いつつ、創意工夫を重ね、仕事の改善を継続的に続けていくことが重要です。
四、「社員皆経営者主義」―起業家集団
リクルートのなかにスモールサイズの会社を数多く設立していく。定期的にcompanyごとの収支計算をおこなっていき、高い収益にはそれに見合う報酬を、との考え方を取っていきます。
なぜ思いや経営が重要となるのか
江副氏は本書の中で、「私は子どもの時からケンカが弱く、他人と競うことを避けてきた。人を統率する力はとても弱い。いつも会社のトップでいることがつらかった。そのため社員の誰よりも懸命に働こうと、一番に出社、夜は最後に電気を消して鍵をかけ帰っていた。」と語っています。
リクルートがここまでの組織を形成できたのは、江副さんの思いや経営に対するスタンスを、リクルートの社訓、心得にまとめたことで、結果的に共同体意識が構成、独特の企業風土や企業文化が生まれたからだと考えられます。
人は仕事を通じて学ぶ
「忙しすぎて考えるための時間がない」という人がいますが、両者を分けて考えることは難しいと著者は語ります。なぜなら、人を読書や施策に駆り立てる源泉が、仕事そのもののなかにあるためです。
人が業績をあげようとする過程で学ぶ喜びがが、その人の成長と密接にかかわっています。
現場第一主義を徹底
リクルートの社内風土は、社長も含めてニックネームで呼んで親愛の情を示していることも一つです。社員一人一人を見て、あくまで現場第一主義を大事にしていました。
現役社長時代、江副氏は「エゾリン」という愛称で、江副社長と呼んではいなかったそうです。
大学新聞の広告代理で起業
江副氏は東大新聞の広告営業で年に50万円の収入があったため、サラリーマンとして働く道ではなく、昭和35年に大学を卒業した後、そのまま大学新聞広告代理業で事業をスタートしました。
東大だけでなく、早稲田、慶應、一橋、京大などの大学新聞の広告にも範囲を拡大し、西新橋の四階建て森ビル屋上の物置小屋を第一拠点としました。
この時代の初任給は、12,000円という時代だったのに対し、初年度100万円の利益を創出しました。
取引先から多額の取引は個人ではリスクがあると進言され、リクルートの前身の『株式会社大学広告』が誕生しました。その時、江副氏は23歳だったそうです。
リクルートの高収益の秘密 PC制
リクルートはプロフィットセンター制により、高収益を実現させました。プロフィットセンター性とは、企業の中で利益を生む部門のことで、収入と費用の両方が集計され、差額である利益を最大化させるミッションが与えられる制度です。
江副氏は、ドラッカーが「現代の経営」で提唱していたアイデアに習って、PC制を導入して会社の中に小さな会社(事業部)を多く構成しました。
このPC制=社員皆経営者主義ゆえに、リクルートは多くの経営者を輩出できたのではないかと江副氏は書籍の中で語っています。PC内のリーダーは30歳未満で、10名程度の部下を率いる形です。
高い成績を上げれば、事業部長となる。事業部長で実績を上げれば、事業部門長となる。会社組織はピラミッドでなくグリッド型となる。という形で、さらに事業拡大させるフェーズを作りこんでいきました。
リクルート前社長の河野栄子氏は、この経営者育成プログラムの良い例であり、河野氏は学生時代にリクルートと競合するアルバイトニュースの広告営業をやり、卒業後は日産車のセールスとして働いていました。リクルート入社後もPC長から事業部長になるまで9年間連続して最優秀経営者賞を受賞し、43歳で専務、51歳で社長に昇格を果たしています。
リクルートの成功は、最新OAと初任給の高さ、女性と高卒の人員構成
江副氏は昭和38年にアメリカに出張した時の経験から、IBM1100という大型コンピューターを使った自動採点機を導入し、当時急速に拡大していた適性検査の採点業務に使うとともに、大学などから入試採点業務を受注します。
リクルートのファックス一斉配信サービスは市場を席巻しており、OA化も最先端で積極的に進めたのが、リクルートの成功要因として考えられます。
また、創業4年目から新卒採用を開始し、最初の新入社員の給与は一流企業の初任給の3割増しに設定しました。その高い給与故に、優れた人材、高いポテンシャルやモチベーションを持った社員が採用され、組織の拡充が進んだと考えられます。
さらに、リクルートでは2,000名の応募者の中から、大卒4名、高卒4名を採用し、大卒は全員女性、高卒は男女半々という内訳となりました。採用8名のうち女性が6名の比率です。
今でこそ女性の総合職を採用するのが当たり前になっているが、30年以上前は女性総合職を採用している会社はほとんどありません。リクルートは女性の戦力を生かすという面でも先進企業といえます。
外飯・外酒の推奨
江副氏は「外飯・外酒」を推奨しており、得意先や社外の人との会食、勉強会や研究会への参加を積極的に奨励していました。社外の人たちとの交流を持ち、視野を広げることが、リクルートの人材の質の向上につながりました。
学会の役員になった人も多く、i-modeで有名な松永真理氏は、大学の非常勤講師を務めていました。前社長の河野さんは政府の総合規制改革会議のメンバーとなったり、経済同友会の幹事にもなっていたそうです。
江副氏が学んだ名経営者の言葉
本書では、江副氏の多くの名経営者とのつきあいから、印象に残ったことも綴られています。松下幸之助氏、早川徳次氏、江戸英雄氏、本田宗一郎氏、稲盛和夫氏などです。
いずれもベンチャー企業で成功するには、時代を一歩先取りする、つまりその事業を始める「天の時」が大事だと、江副氏は語っています。例えば、セコム飯田氏も、東京オリンピックの警備を請け負って、無事自己であったことから、信用を得ました。実際、警備の仕事などは、警察の仕事だったわけです。
その中で、オリンピックなどの時の利も働いて、結果的に事業が伸びていったのです。このタイミングを見極める力が必要でしょう。
まとめ
本書を選定した理由は、一人でも多くの経営者の思考を読み取り、御社Web成長のエッセンスを吸収するためです。先週末の社長とのお話の中で、御社Webは10憶のフェーズまで持っていくという基準のお話を頂きました。
そうなると、社長と並び立つスキル、志がなければその数値は決して達成できません。その点を前提としたときに、10憶を目指す基準、リーダーの在り方を確立する必要があるわけです。
今はまだ、他の部署とのせめぎ合いの渦中で、またCSも追い抜いていません。メインサービスを張るためには、完全にスピードが遅いと感じています。また、他チームへの影響力、進言も足りません。
御社Webのリーダーとして、周りを巻き込むためには、もう今までの自分でいる場合ではない。もっと視座を高く持ち、常に経営者として目線でいる必要があります。
まずは1憶5,000万円を倍にした3億のチーム、仕組み化を整える必要があります。3億を考えると、月2500万円で一人あたり300万円の売上が御社Webでは必要になるため、おおよそ8人で2500万円を達成するチーム体制がもとめられます。そうなると、チーム体制的には、制作ディレクションの立ち位置がやはり必要にあるため、そこに人員を割くとは前提として、約416万円をひとりのコンサルがフロントとして立ち回る必要が出てきます。
経営者として、必要なリソースが、人・モノ・金だとして、松本が今割くべきは、まさにここであり、そのための仕組みづくり、計画を立てていきます。
・400万円をひとりで捌けるフロントの育成
・単価アップの仕組み化(案件数を減らしても売上が成り立つ仕組みづくり)
・制作外注リソースの確保