隠れバリアフリー、ニッポン🇯🇵〜part 1〜
街で何かの時に、「すみません!〇〇お願いできますか?」と声をかけると、皆が皆快く助けてくれます。
私が声をかけて、答えてくれる人に優しい人しかいない可能性もあります。しかし、やっぱり優しい人は多い印象です。
たまに、出会い頭に「大変ね〜」と声をかけられることがあります。
一瞬、何の話をしているのか分からず、素っ頓狂な顔で「え? 私ですか?」と驚いて訪ね返すと、「車椅子大変じゃない?」と不思議そうな表情に感心を込めて尋ねられることがあります。
「え? あー!車椅子ですか? 大変じゃないですよ〜。皆さんと同じですよ。」と答えると、「凄いわね〜」と声をかけてくれる。(事実、言われるまで、あんまり車椅子だということやそれが周囲と違うことは意識しない。)
車椅子が著しい障壁ではないと答える強がりっぽい頑張りを褒められているのか
自分の日常を普通だと感じることを褒められているのか
あるいは会話を始めようとと無難に声をかけてくれたけど、予想外の回答になんて言ったらいいか困ってしまったから凄いと思って褒めてくれたのか
別の背景による言動かは分からない。
いずれにせよ、「凄い」と言ってもらえると、そりゃあ嬉しい。
お調子者の私は、結構直ぐ図に乗る🤣🤣🤣
何が言いたいかというと、「実は目の前に垣根はない」と思うのだ。
車椅子で色々な場面で、様々な人と接して思ったのは、「多くの人は車椅子♿️に慣れていないだけで、親切心もあるし、興味も持ってくれているし、むしろ好感を抱いてくれている」ということだ。
表現はさておき、他者を助けたくてウズウズしている人は多い。
これは、車椅子利用者を助けたいという感情に限らず、被災地の人を助けたいとか、自分が誰かの役に立ちたいと思う、その心を指している。
その中の一つに、車椅子利用者も他の人々同様に、何か困っていれば自分にできることはやりたいと思ってくれている方もいる印象を受けている。
たしかに、日本の建物のバリアフリー度はまちまちだ。
でも、国としては、本当はもっとバリアフリーな環境に近づけたいと感じている人々に溢れており、声さえかければ一瞬でバリアフリーになる場面に溢れているように感じる。
だから、目に見えるバリアフリー度以上に、バリアフリーなのではないだろうか?
逆にいうと、車椅子利用者も歩行者も遠慮しすぎず、思考のバリアさえ取っ払えば、もっともっとバリアフリーな経験ができるのではないだろうか?
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