理想の町
世界何カ国に住んだかな?何都市に住んだかな?一瞬では出てこない数の様々な場所と地域に住んでみて、思ったこと。
パーフェクトな場所はない。ただ、良い所も悪い所も、自分との相性が一番いい所が、自分にとってのドリームランド、夢の町だ。
そうはいっても、人としてすべての人が必要なものが、衣食住と医療だ。
安全でおいしい水道水。
誰でも無料か低額で受けられる医療。
妊娠期の補償の充実。
今まで国や地域を支えてきた、ご高齢な方も暮らしやすい地域。
国が栄えるためには、人がいなければならない。
季節に四季があるように、人生にも四季がある。幸せな時、辛い時、穏やかな時、寂しい時。これはあくまで一例。春夏秋冬を見立てて人生で起きる山や谷の時の気持ちを書いてみた。人それぞれ、感じる感情は違うだろう。歩む道もそれぞれ違うのだから。
それでも、誰もが通る道がある。
生まれてきて、幼少期を遊んだり、多少勉強したりして健全に過ごす時期。
もう少し成長して、青春を謳歌する時期。
子供と大人の境から、徐々に大人への階段を上っていく時期。
仕事など、何かに真剣に取り組んだり、家族を支えたり、家族にさあさえられたりする時期。このくらいの、働き盛りの時期も、出産適齢期とかぶる。一人ひとりの人生の価値観は違う。子供が生まれる家庭もあれば、生まれない家庭もある。どちらが成功でも、正解でもない。
しかし、生みたいのに生めない環境というのは、国やその地域が萎れていく道と言うべきである。ここは、不都合が有ろうとも、不快だろうとも、誰かが発言すべきではないだろうか。子供が生まれない国に、未来はない。
子供は未来だ。
私たちの町の未来を形作っていくのは、その地域で生まれ、育って、またそこで次世代の子供たちを育てていく若者だ。
だからこそ、私が住んできた世界の中で一番素敵な地域は、子供が多い。
電車から降りた瞬間、楽しく笑う数多くの子供とその家族がいる。両親も、その親である祖父母達も、曾祖父母達も笑顔であふれている。時には笑い、時には怒り、その時々、人生の季節折々の情緒豊かな人々であふれている。
多くの子供たちが、子供があふれる公園で楽しく遊んでいる。歩道を子連れの家族が歩いている。
女性は妊娠6カ月ごろには産休に入れ、もちろん休職中の給料は補償されている。産休や育休後に、今までのポストに戻れるようにきちんと保証されている。
もちろん、男性も育休を取れるのが当たり前。
育児手当なども充実している。
子供を産んで当たり前。子供は歓迎される。
そして、これから自分たちの地域の未来を作ってくれる子供を産む妊婦さんも非常に大切に扱われる。妊娠していれば、普通車の切符でグリーン車に座れるなど当たり前。必ず、そのようなVIP待遇が期待されるべきとは言わないが、妊婦さんを大切に思うメンタリティーが大切だ。
そして、地域全体が持ちつ持たれつというのが、その地域の文化として根付いている。
困っている人がいたら、補償されて当たり前。自分が働けるうちは、その保証制度を維持するために、税金を納めて当たり前。住民が一生懸命働いて稼いだお金から、税金、血税をもらうのだから、その使い道も神経を使い、国民のために働くのが当たり前の国会。選挙に出馬する人も、志をもって出馬し、投票も大勢が行って当たり前。この順序は、逆でもいいだろう。今は、必ずしも頼りにならなそうな候補者から、一人選んで、自らの一票を投じる。こうして、投票者がいると見せることで、何もしなくても、自動的に政治家を続けてなどいけない。キチンと見ていて、選ぶ地域住民がいると表明することも、地域住民の義務だろう。この意思が、再び蘇る地域が理想だ。
もし何かが起きて、生活保護が必要になる時期があったら、その時は少し地域の手を借りる。しかし、窮地を脱したら、また就職して働いて恩返し。
人生は、常に順風満帆じゃない。春のように様々なことが実り、花開く時期もあれば、病気やケガなどで萎れていたり、一部かれているかのように見える秋のような時期もある。
そんなどの季節にあっても、快適に過ごせるのが理想の町だ。そして、助けが必要な人を助けて当たり前という心もはぐくまれる地域が理想だ。また、ただ、手を差し伸べるだけが助けではない。たとえ、障害があっても、頭脳労働は健常者同様に行える人も沢山いる。耳が聞こえなくとも、工夫さえすれば、医師として働ける人もいる。
デスクワークを、車いすを使っている人ができない理由があるだろうか?もちろん、すべての人が、健康な人と全く同じように働くことができるとは限らない。しかし、all or none (オール・オア・ノン)にする必要はないだろう。
短めに働かなければいけない二人をペアにして、二人で一人分の労働をするシステムは、win-win (ウィンーウィン)ではないだろうか。
守るだけではなく、使える人材を持ち腐れさせずに、活躍できる場が存在する地域が有ったら、もう少しお互いの気持ちが軽くならないだろうか?
頼る時は頼るだけではなく、頼ってもらえる時は、肩を貸せる町。
年齢を重ねた時、様々な人生の四季を経験してきた知恵が生かせる町。
未来を担う子供達が、今まで未来を担ってきて、たくさんの引継げる知恵を持ったご高齢の方々と沢山交わり、お互いに笑顔や知識をもらえる地域。
学校から帰っても、親が仕事でいない家庭が多い現代。もし、ご高齢の方が学童施設の手伝いをできたらどうだろうか?より多くの人々と触れ合うことで、子供たちの成長にもプラスに働く。子供達のために働けることで、生きがいをもらえる方もいるかもしれない。
昔のように、どこかの誰かの子供が、何かいけないことをしていたら、親や家族でなくとも、注意して問題ない。そして、注意されたら、私の将来を良くするために、わが子の将来のために叱ってくれてありがとうと思える環境。まぁ、怒られてすぐに「ありがとう」とは思えずとも、それを少なくとも親まで一緒になって注意した人を咎める必要はないだろう。もちろん、間違ってもいないのに、鬱憤を晴らすために子供でストレスを発散するようなことがあっては、極めて遺憾。その時は、年齢に関係なく、間違っている方を咎められる、地域の人々の距離がある程度近い地域なんていいと思わない?
たまにはぶつかっても、お互いを成長させられる地域。そう。地域も人間と同じ。生きている。
よりエコで、将来を傷つけないように、自転車が走りやすいように、少し歩道を広げたり、自転車道を増設したり。
自給率を回復すべく、今までみんなが頑張って耕し、食物を育ててきた畑や田んぼを受け継いだり、復活させたり。
せっかくある自然を壊さず、守るように、本当に新幹線が来ることがメリットかを、周辺地域全体で議論して、一部の人々が決めた案を見直してみるのもいいだろう。そう。討論や議論をよしとする場を持っている地域なんて素敵じゃない。構想のぶつかり合いは当然のこと。より良いものを作り出すためには、様々な意見を聞き、いい所は取り入れ、悪い所は改善する柔軟性が必要だ。そして、会議でのぶつかり合いは、会議場において来れたら、皆存分に意見を出し合えないかしら。アイディアも地域とその住民と一緒に成長できたら夢が膨らむと思う。
新型コロナ禍に、リモートワークの需要が急上昇した現状を踏まえ、会社から離れていても、仕事がしやすい環境を整備するにはどうすべきかを、地域住民がはなしあえたらどうなるだろう。改善点も、現在のままで素晴らしい、維持すべき点も浮き彫りにできる場が存在する地域が理想。
もっと多くの人が「ここに住みたい」、そして、「家族とここに永住したい」と思える、医療、や補償も充実した地域こそが、理想の地域ではないだろうか。そして、子供達がイキイキと遊べ、大人たちが仕事のしやすい地域が私の理想だ。
これは即ち、住民と一緒に生きている地域ではないだろうか。