【健忘録】CVから出血(心温まるエピソード)

長期入院中、大きな血管から心臓手前までカテーテルを留置する。これは、中心静脈カテーテル(通称CV)といい、私は首の太い血管(左内頸静脈)に留置していた。

↓↓絵のカテーテルが紫の線の所に入って固定されていた。

CureSearch日本語版 
小児がん患者とご家族のために
小児がん専門情報サイト
より画像引用²

個室で自立歩行可能な体調だった。

ある時、ベッドの横に脚を下ろして座っている姿勢から、ベッドに手をついて立ち上がった瞬間、点滴が外れた。連結部分がポンと外れたのだった。カテーテルは皮膚に縫い付けられており無事。

それに気がつくのが早いか、首のCVのハブからの流血に気がつくのが早いか。とにかく、CVと点滴の連結部分が外れて、内頸静脈から血液が流出し始めた。

↓↓の右の部分から流血。

Teleflex アロー中心静脈カテーテル(添付文章?)¹

咄嗟に、危うくカテの先(オープンな側のハブという部分)を指で直接押えて出血場所を塞ぎそうになった。その瞬間、触ったら感染リスク!と気がついた。そこで、もう少し中心側をカテの円周を潰して外から摘んでコンタミを起こさずに血流量を軽減する策に出た。

とりあえず、ベッドの背もたれによっかかり、ナースコースに手を伸ばした。パジャマやシーツが多少汚れたとはいえ、牛乳パック一本分(500ml)の致死量の出血には到底及ばない現状に安堵しつつ、自分の機転と行動の速さを「流石❣️」と超誇りに思いながら、けど突然の出来事に驚いてナースコールを押した。(牛乳パック一本分500〜−1000ml出血しても生きられるというのは、小学校の先生がいつぞやポロッとトリビア的に言った言葉だった。10代がさらに幼い時に聞き齧った内容で安堵しているので、そこまで当てにせず、出血時は受診/ナースコールを!)

部屋に看護師さん(例の手作りリハビリグッズを作成してくれた今当時の建物の別の階におられる方)が部屋に入った瞬間、血相を変えた。普段声が大きめで、長めの軽く茶髪がかった、自然なウェーブのキレイなテンパの看護師さん。

普段は明るくて優しい看護師さんに険しい表情で大きめの声で「CV抜いたの?」といきなり聞かれた。あまりの予想外の質問が心外だったものの、意表を突かれて少し「そんなことあるわけないじゃん」と思いながら頬が緩んだ。(笑いとは、脳の想定外の出来事を理解する時間的ラグなどで発生するとか)多分当時の私なら、微笑みかけたのを抑え、真顔で「いえ、抜いてないです」と答えたんじゃないかな?(いずれにせよ、抜いてないことを伝えた。)

彼女がCVを折って完全に出血を止めつつ、カテの清潔部分には触れずに対応してくれた。(臨機応変な対応😍ケテは点滴の透明な長い管・チューブと似た柔らかい素材なので、折り曲げても傷まない。)

その後、状況を聞かれて、上記の立ち上がる瞬間にポッと外れて流血し始めたことを伝えた。

連結していた点滴の管をおそらくは清潔なものに交換して、CVに繋いでことなきを終えた。

アハハ、この時、パジャマを着替えて、この看護師さんが「お母さんが心配するといけないから、パジャマ洗ってあげるね」と。血液で汚れて直ぐに、冷水で洗い、温水は厳禁というポイントも教えてくれた。もしかしたら、パジャマを洗ったのは小顔で色白でお淑やかに見える看護師さんだったかもしれない。(母が今でも〇〇さん良い人よね〜。わざわざあんたのパジャマ洗って乾かして、畳んで返してくれて😍」と好印象を抱いているエピソードは、この時のものかもしれない。他の時なのかな?いかなる理由でも、冷水で血がシミにならないように、夜勤帯でパジャマを洗ってくれるとか、超神対応🤩🥺🥳)

好意的で、「退院したら食事奢ってあげる」と約束していた看護師さんが、後で来てくれた時に、入念に全ての点滴の連結部分を固く固く締め直してくれた。こうして、再度似た事件が起きることがないように予防してくれた。

アハハ、あの頃(あの時代であの回復期の体調の良さが懐かしい)楽しかったなぁ。

病院とはいえ、リハビリ中の人もいて、3交代制で、病棟あたりの国が定めた看護師数も多くて……

まぁ、可愛い外人の女児という私の年齢と背景も随分と功を奏しただろう。(性格も可愛かっただろうしね。まだまだ思春期真っ盛りだけど、真面目で、内心はひょうきんだけど、日本語勉強中でキレイな敬語を喋ろうと努めてて🤣けど、日本語の授業では夏目漱石は太宰治を読んでいたから、退院時の手紙は夏目漱石の時代のような言葉遣いで🤣🤣🤣しかも、死闘を切り抜け、果敢に挑戦し、一生懸命良くなることだけを一心に追って、もはやアスリート級のリハビリで階段とか別館の3階か5階までなん往復もした後で、地下3回から10階くらいまで一気に歩いて登って🤣 ただただ、体を動かして、体調改善と体力や機能回復だけに注力するだけの日々。そして、戻ることが楽しみ(夢)の学校。戻れる友達との楽しい日常。学校卒業後の約束されたように感じた成功しかない明るい病気がない未来。全てが輝いていたあの頃が懐かしいなぁ。まぁ、病気になる前はもっと懐かしいんだけど…… 断片的にしか覚えていない。ひゃー、私の記憶、どうした?昔は全てが一つの映像として繋がって記憶されていたのに……抗がん剤とかの後遺症か、脳炎の影響か、DICの影響か……はたまた全ての複合的影響か。)

アハハ、病気が消えてなくなって欲しい。(aka.治りたい)

けど、もしも時間が巻き戻せたら、病気以前ではなく、かけがえのない努力がなにかや、努力する楽しみ、努力の大切さを学べたあの入院後の退院直後の元気な状態と平凡な日常に戻ると思う。

病気がなければ、そもそも病気にならなくて済んでいたら、それが一番良い。

けど、病気以前は自分が世界一だと思っていて、明らかに本当に病気や怪我の人には優しかったけど、授業を休んだ人を仮病だと思っていた。肉体がずば抜けて思い通りになって、筋力も向上しやすく、運動神経が抜群だった私は、「できない」ことが微塵も理解できなかった。「できない」という人には厳しく、「本気でやれば、必ずできる」と本気で思った。

実は、かなりの個人主義で、筋金入りの無宗教(神の存在を強く否定する)人だった。

病気を通して、自分が一人の力だけで生きているわけではなく、多くの人々に生かされているのだと痛感した。

病気を闘い抜く経験を通して、肉体的苦痛や思い通りにならないことを努力で乗り越えるということを学習できた。臨死体験を通して、神様を信じるようになった。

そして、スポーツに制限がかかる以外には、何一つ失ったものはないように感じていた。(いうなれば、人工呼吸器装着中に眠っていた時間だろうか?)ただ、成績にもダメージは少なく、将来への大打撃には感じなかった。

人として成長するのに大切な経験だったと思える。(当然、病気以外の方法で、色々学べたらそれがベストなんだけどね……)

というわけで、色々芋づる式に思い出したので、書き留めておく。

今を大切に生きよう!

↓↓中心静脈カテーテルについてのリンク↓↓

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