事実は事実、自分は自分
なんだろう?
◯◯が心配ではないけど、情報共有はした方がいいだろうと思うことってありませんか?
気にしていないと言ったら、多分真意が伝わらないだろう。でも、気に病んでるわけでもない。
抗がん剤治療後は二次発がんリスクがある。
大量に医療被曝をしていると、発がんリスクが上がる。
私は一般の健康な人よりも、骨髄異形成症候群や急性骨髄性白血病のリスクが高い。
当然、今私自身が発病していることを願うわけではない。
誰が認識しようと、認識せずとも、声に出そうが出すまいが、おそらくは統計的に優位な発がん率の増加という事実は変わらない。
どのみち、物心つく頃には、自分はがんで死ぬ確率が高いだろうと構えていたから、このようなデータ自体は心境に何一つ変化を及ぼさない。
即ち、別にこの事実を直視しようが、現実逃避をしようが、今後ロシアンルーレット的に2次発がんという弾丸が私に当たるか当たらないかは、誰にも分からない。その運命を変える術など持ち合わせてもいない。
しかしもしも、誰もこれらの可能性を認識せず、多少の異常ならば気に留めないという状態は早期発見と早期治療の機会を逃すリスクがあるかもしれない。
即ち、声に出すことで、最小限に抑えることのできるリスクも存在しているだろう。
ただ、空白のX年分の情報共有のために、色々と病歴や可能性を口にすることで、発言の重みを軽くしてしまうのは逆効果だろうな。
ここまで言っておいて、別にこれまで書いたことを気に留めていないというのは説得力に欠けるだろう。
とはいえ、一番重要なことは、今私は体感的には結構調子が良く感じるということだろう。
現在、持病はある。
障害もある。
発がんリスクは国民平均と比べて高い。
しかし、これらの事実は、今私が快適に過ごし、幸福感を感じることになんら影響を与えていない。
言い換えるならば、生涯健康で、今後病気のリスクを意識していない誰かが、何かに苦しんでおり、人生に不服なのだとしたら、上記の病気+障害+発がんリスク高めというトリオを持つ私の方が気楽で楽しいこともあるのかもしれない。
以下の事実を聞いて、あなたは何を思い、何を感じますか?
太陽が存在する。
水を触ると濡れる。
これらの絶対的な事実を聞いて、別に落ち込まないのではないだろうか。
すると、事実である
病気
障害
発がんリスク
も、ニュアンスによっては何も思考や感情をかき乱さない、ただの事実だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
では、何故、「リスクがある」と口に出すのだろうか?
それは、情報共有をしていた方が、早期発見の可能性が上がることには期待する。
自然の摂理として生物は命にタイムリミットがあることを受け入れているというのは、自殺願望があるのと全く異なる。
むしろ、周囲との意識共有は、自分の生存率を上げるのではないかと思っている。
同時に、事実が別に心躍るような嬉しい内容でもない。
ただ、口に出すだけで、気持ちが楽になることもあるのかもしれない。
また、事実から目を背けずに認識を共有でき、共感できるだけでも救われることがある。
共感とは、誰かの背負った荷の重さを若干分散させる力があるのかもしれない。
事実は事実、今は今、自分は自分。
割り切っていきまっしょう👍
今を大切に生きよう!