心強い町のお医者さん
昔は駆け込み寺のように、地元の身近な近所のお医者さんっていませんでしたか?
何でも相談できて、子供から祖父母、曾祖父母まで診てくれて、何かって時は電話一本で昼も夜も駆けつけてくれる、そんな町のお医者さん……
Dr.コトーとまでは行かずとも、どこにでもその地域一体の人々を包括的に診てくれる身近な存在……
かかりつけ医制度やそのメディアでの取り上げで、その概念は社会に普及してはいるように思う。
でも、実際問題、どれくらいの子供達や若年成人がいつでも、何でも気軽に相談できるかかりつけ医を持っているのだろう?
事実、昔のような町のお医者さんは医師の奉仕と犠牲の上に成り立っていた。
実際のところ、どれだけの人々がそのような家庭医を目指し、続けられるだろうか?
医師の労働環境の問題はひと先ず横においておいて、最近色々相談場所が分からずに困っている人が多いことに気がついた。
そして、どこに相談すれば良いか分からず、行った開業医は専門科以外診れず、他科に紹介するわけでもない。先に続かずに放浪する人が案外多いことにも気がついた。(私の患者としての経験ではないです。)
様々なところに受診するも、包括的でも継続的でもない診療は困りごとを解決しないことにも気がついた。
そして、結局必要なのは昔ながらの町のお医者さんではないか、という結論に現在至っている。
そして、これは過疎地域の問題ではなく、角を曲がれば5つくらい開業医が肩を並べる大都市にも同じように存在する問題のようだ。
解決の糸口はなんだろう?
身近で気軽に相談できて、専門に関わらず包括的に何でも診てくれて、小さな診療所や地域医療の枠では診きれない患者さんを適切にトリアージして適切な大きさの病院の適切な科に送ってくれる町の長老っぽい存在がいると社会が救われるかもしれないですね。それは、大きな病院の医師も救うことだろう。特に、救急外来を救うのでは?
案外、50年くらい遡って、当日の社会を今に活かす術ってのが、解決の糸口だったりしてね。
単純な、回覧板復活等の些細な取り組みが、地域住民の絆を生み、開業医を身近な親戚くらいの位置づけに引き戻すかもしれない。
気軽に相談し易い環境は、早期発見と早期介入(休息を含む)を促し、非緊急時と緊急事態の判別もしやすくして、患者さんにも医療従事者にもWIN-WINなのかもしれない。
今を大切に生きよう!
私は、小学生の時に、家庭医ではなく大学病院勤務に憧れた。
そこには、やっぱり最先端の医療、研究ト゚教育という憧れと自分の好きな次世代教育、がん治療における設備の充実と日々の進歩を反映した環境は当然あったさん
でも、本当にそれだけだった?