2025年…絶望から夢へ!?

2025年1月に病状・症状悪化を阻止する方法が無理な可能性が高そうだ。

つい先日、やっとこさっとこ病状の悪化程度をミニマムに食い止めた。ここからジワジワと改善し、年末年始で悪化を最低限に食い止め、再び改善できるのだろうと考えた。そうしたら、少しは尊厳が復活して、人間らしい日々が送れることに期待をしていた。

正直、少し先にちょびっとでもやりたいことができ、楽しみが広がることを想像した。

やりたいことを考え始めた。

いや、うっかり少し希望なんてものを持ち、ちょびっと今よりも明るい未来なんてものまで想像してしまった。

いかんねぇ。

本当、なんだろう。

いかんねぇ。

結局、対応なくしては必然の緊急事態は予防しないんだとさ。まぁ、結局もっともっと早くに、もっともっと段取り良く別の今まで試したことがない方法を見つけて置かなければいけなかったようだ。

2025年は地獄から始まると確定したようなもの。

もう、流石に限界が近づいている。

頑張っても、頑張っても、誰か必要な助けを差し出すなんてことはない。

普段治療してくれる人々は優しい……

けど、正直…… 日々耐えられる苦痛や制限にも限度がある。

ジリ貧?

何度も何度もガクンガクンと悪化しては、改善しかける度に出鼻を挫かれる。

正直、治療の継続を迷うこともある。

もしも、治療を止めて死ぬ過程がそこまで苦しくなく、もっと速く・早く、そして我が吹き飛ぶ状況でなければ、もう病院行くのも止めるだろうなぁ。そして、どっか旅行に行くだろう。

最後に会いたい人に会いに行くのも良いだろう。

肉体的苦痛だけならば、多分スイスに会いに行く。

問題は、我を忘れること。

2025年の年始は生き地獄から始まる。

それを回避して、どうにか安定した体調をキープしたいものだ……

悪化と耐久のサイクルを繰り返しながら、気がつくよと歳月が流れているのがここ数年だ。

2019年から2024年、もしも抹消できるのならば、なかったものとして消したい。

もっと、上手く前向きにできる方法もあった・あるかもね。

けど、可能性の模索を含めた能力や余力も、その時の体調の一部だろう。(命を絶った人をみて、周囲は他の方法もあったのに、と言うだろう。けれども、当人はそれ以外完全に八方塞がりで窮地で唯一の解放が現世での肉体消滅だと信じて疑わなかったのだろう。結局、それほど本人は苦しく、実際にはそれ以外になす術も運命もなかったのだろう。ある意味、それが天命?悪魔の天命か神の定めた道かはさておき。)

私も2025年の年始は凌げても、結局はもっと深い泥沼???

考えられる方法……

まぁ、いくつかあるにはある。

ぶっちゃけ、効くかも分からないし、安全性には大きな疑問がある。けど、正直何もせずに悪化した時には、もう家庭医も呼ばないだろうし、病院にも行きたくないなぁ。無駄じゃん。ただただ、お医者様に傷つくことを言われて、生命は繋いでも、数ヶ月間苦しむ。私が人生で大切にしているものはもう失ったか、手が届かない。なら、怖いものなんて何もない。全て失うか、あるいは部分的に失うか、ひょっとしたら奇跡的に好転するか。再び全て失うタイミングがハッキリしているのなら、ぶっちゃけどんな博打も完敗よりはマシ!?

まぁ、今のまま、ただただ生存だけしていても、世界から忘れ去られるだけだろう。

何も変わらない。

失うものもないかもしれない。

今もきっと沢山の恵みがある。

けど、一瞬の幸福感ねぇ…… なんだか、そういう今まで喜べたことが色褪せて感じることが増えてきた。

今まで、どんな状況でも心は踏ん張って、回復してきていた。

どうせ、2025年は地獄に突き落とされるならば、それまでにパーッと楽しむのはどうだろう?

今まで行きたかったけれども、行けなかった地に行って、ただ楽しむことだけに注力するのはどうだろう?

まぁ、最悪地獄に落ちるだけ?

生き地獄と地獄はどっちが良いのだろう?

現世の縛りや未来のための努力、あらぬ希望を抱いては失い、絶望と希望の間で波打っている。この現状から解放されることが、もしも確実なのだとしたら、ぶっちゃけその解放感がありがたいくらいだ。

そして、全力でもがき、最善を尽くそうと奮闘する中で、もしかしたら神様が好転のきっかけをくれるかもしれない。

この夏、このままでは危ないと思い、今ある恵みを喜べる心持ちを再び抱けるようになるため&最期になっても後悔がない想い出づくりに乗り出した。こうして、行動を起こしたのは大きな吉と出た。

最高な日々が体調不良時も生にしがみつき、幸福感を喜び、しいてはよりよい未来を願える心を回復させてくれた。

それは、バイタルが乱れる体調の乱気流の中でも、支えになってくれた。

「どうせ」という表現はイマイチだが、結局健康長寿の人も少量のアルコールやタバコ、甘いものや赤肉を嗜む人も多い印象だ。

結局、努力したところで、臓器は着々と蝕まれていく。

生あるものはいつか死ぬ。

今更、その抗いようがない絶対的な自然の摂理に、私はなんで抗おうとなどしているのだろう?

うだうだ自分の思考や予想できる近未来の苦痛に今ある時間まで奪われるのはアホらしい。

普通に、オーストラリアの真夏のクリスマスに行けるんじゃないか!?

一度でも良いから、オーストラリアに行ってみたかった。

個室で自分の運命を卑下し、嘆きながら生き地獄に突入するのは、あまりにももったいない。

極楽の地で、泣いても笑っても、夢を一つ叶えながら、肉体的生き地獄に突入する方が、よっぽどマシだ。

それで、もしも医療が受けられずとも、自宅にいるのと何も変わらない。

むしろ、自分が環境や状況、選択肢を選ぶのだから、その方が精神衛生上良い可能性もあろう。

失うものがないわけじゃない。
今も良いことも結構ある。

思いつきで行動しすぎない方が良い。

とはいえ、家で数カ月後再び生き地獄を味わうのをただ指を加えて待つだけというのは嘆かわしい。

辛い。

無理だ。

ならば、ポジティブなことを追い求めたい。

まぁ、無茶はせず、けれども無駄に保守的に行動・自制したところで、別に体調改善などしない。

我慢や努力にほぼ全く意味がないならば、それは生きづらさを増する心の自傷に値するかもしれない。

そんなのなら、好きなことを好きな時にやれば良い。

それで、悪化することがないならば、害がないどころか、ストレスが減った分だけ好転のチャンスになってくれるかもしれない。

自暴自棄にはならず、自爆もせず、ただただプラスに働くやり方で、いい塩梅に楽しみたい。

今を大切に生きよう!


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KG
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