女湯に男児は何歳まで?

個人的に最近気になる話がある。

女湯に男児は何歳まで入れるのか問題だ。

私事であるが近々結婚を控え、間もなく子どもを持つだろう。
その中で一番気になったのは「女湯に男児を入れるな」問題である。

私は「女性」「母親」の立場からなぜそういうジレンマ的なものが生まれるのか?ということを考察していく。

※私個人の意見も入っているので「こういう考えもあるんだな」くらいのスタンスで読んでください。

「女性」の観点から

「男」に体を見られる恥じらい

女湯に男児を入れるのに反対する女性の理由は

「男に体をジロジロ見られたくない
「そもそも女性の空間に男がいるのが不愉快

このへんであろう。

個人の見解だが、そういう話をしている女にロクな女はいない。
男児を男として扱い、性的な目で見ていると考えるのはさすがに自意識過剰過ぎる気がする。

特に小学生にもなっていない男児が、「おねいさん」の身体に積極的に興味を持つかと言われたら、それは微妙に疑問符が残る。
それは流石にアニメと現実をごちゃまぜにし過ぎである。
仮に某有名アニメの赤いTシャツの彼のような男児が実在していても、お母様がストッパーになるのでそこまで悪いことはできないはずである。

だから、個人的にこういう主張を見ると
「大丈夫、お前の身体なんか誰も見ないから安心して」
と思ってしまう。

女性が女性を見ても捕まらないのか

先程結婚を控えていると前述したが、私はバイロマンティック(バイセクシャル)である。

生まれた時から女、体ももちろん女、でも女の子のことも好き。
そんな私が他の女性を性的な目で見ていたとして、誰か通報するだろうか

おそらくだけど、ほぼ誰もしないと思う。

自分の身の上もあって、女だから、同性だから安心、とは決してならないと思っている。
むしろ、なぜ「女だから、同性だから安心」と思えるのだろう。
ものすごく疑問で、不思議な話である。

余談だが、私は周りになるべく関わらず、周りをなるべく見ずに浴場に入るようにしている。
あの子可愛いなとか、きれいなお嬢さんだなとか、極力思わないように。
そういう顔をして、不審な目で見られないように。
万が一のための護衛策である。

「母親」の観点から

そもそも風呂には危険が多すぎる

私は個人的に異性親であろうが未就学児の間は一緒に入るべきだと考えている。

というのもお風呂という環境に対する危険予測を考えたら、子どもがひとりでお風呂に入るのは危険だと考えるからだ。

子どもがやりかねない行為による風呂の事故は以下の通りである。

・浴槽が深いところもあり、溺れるリスクがある
・水気で滑りやすくなっており、転倒のリスクがある
・滑りやすいところを走って、他人に衝突し怪我を負わせるリスクがある
・おもらしや嘔吐への制御が弱く、風呂を汚すリスクがある
・また、それによる転倒などの事故や感染症を広げるリスクもある
・誤ってサウナに侵入して脱水のリスクがある
・露天風呂で入ってはいけないところに入って枝葉などで怪我をするリスクがある
・風呂で騒ぐことで、苦情が来るリスクがある

私が思いつくだけザーッと挙げていくだけでこれだけの危険予測ができる。
だから男児が女湯に入ることは「危険を排除するためなら仕方ない」という見解をしている。
同行している大人(母親など)の目の届く範囲に男児を置くことで、子どもが一人で入るより事故の危険性が減るからだ。
安全を重視するとすれば、「●歳以下(●年生以下)の方は、大人の方と一緒に入りましょう」が無難だろう。

私は教育業界で子どもを見ていたのと、工場勤務で危険予測の訓練をしているからここまでリスクを想像できた。

「存在が迷惑」というだけで男児を排除しようとする方々の方々は子どもが風呂で事故を起こすリスクをここまで想像できているだろうか。
おそらく自分のことだけ考えていて、身に降り掛かって来る危険性までは気が回っていないのではないか。

今回上げた事故に関しては、女児でも同じリスクはあることはちゃんと書いておかなければならない。
水の事故に性別など関係ないのだ。

実子(女児)が嫌がる、恥じらうから男児には入ってほしくない

たぶん男女の差を意識しだすお年頃なのだろう。
お嬢様の気持ちもわからなくもない。
でも、それくらいのおませさんならちゃんと説明すればわかると思う。

「あの子は小さくて(赤ちゃんで)、ひとりでお風呂に入れないから、ママと一緒に入ってるんだよ」
危ないことしてないかなって、あの子のママがしっかり見てるんだよ」
ママもあなたのことをしっかり見てるから直接嫌なことをされたら教えてね」

理解力の高い子ならこれで一発だろう。

それでもどうしても…となるなら、上記のことがわかるまではお嬢様が家族風呂に入ったらどうだろう。

「なんで私達が合わせないといけないのさ!」とお怒りになるかもしれないが…大抵の大人たちは幼い子どもが一人でお風呂に入れない、入ると危ないことは理解の上で、黙認できている。
だから黙認できないのは、まだお嬢様の許容量が未熟で、受忍できずにいるだけだろう。
それが受忍できる発達段階まで待ってみようかというだけである。

子どもの発達は、子どもの数だけある

「ちょっと、あなたの子大きくない?女湯に入れたらだめじゃない?」
そういうツッコミもするべきでない

同じ「6,7歳」でも大谷翔平選手みたいに小学校入学時に125cmある大きい子もいれば、寺田心くんみたいに小学校入学後の7歳時点でも105cmくらいの子もいる。

今は新生児医療も発達しており、体重が3ケタグラムで生まれた赤ちゃんも生存できるような時代である。

それでなくても、子どもの発達や身長の伸びなんて個々によってまちまちなのだから、あまりにも聞いてる話題が明らかに小学生じみてて…などの見逃せない状況がない限りは目を瞑ってやるべきだと思う。

私は親御さん、同伴されている大人の方の性善説を信じているので、お風呂にいる男児はみんなひとりでお風呂に入れない未就学児だと考えている。
そこは同伴されている大人の方の判断を信頼してもいいのではなかろうか。

不愉快と危険、どちらを取るか

女性としては「不快だから、男児を入れてほしくない」
母親としては「危険だから、目の届くところにおきたい」

私はこの「不快」と「危険」のどちらを取るか人それぞれ違うことが、「女湯に男児」問題が起きる原因だと考えた。

個人的には、子どもが未就学児、かつ「一人で入れる」と言うようになるまでは異性親であれ、同伴する大人と同じお風呂に入るべきだと思う。

お風呂の環境特性上、個人の感情より、周囲の安全を最優先に考えるべきだと考えるからだ。

要するに「危険」を少しでも減らし、周りが安全に風呂に入れるようにするために、未就学児は一人にせず、大人の監督下で風呂に入るべきである。
そのためなら、未就学児が大人同伴で異性の風呂に入るのはやむを得ない行為であると判断する。
だから「男児が女湯に入る」という行為は周りの安全性を考慮したら、そうせざるを得ない話なのである。

「不快」はあくまでも個人の感情である。
その個の都合で「不快」を押し付けるのはあまりにも自己中心的ではなかろうか。
「子どもが怪我しようが知ったこっちゃない」という声も出るだろうが、流石にそれは人の心というものを失いすぎである。

一方で、「危険」は大半が認識するべきリスクであり、そのリスクゆえに、子ども自身の被害もだが、自分に火の粉が降り掛かって来る恐れがある。

例えば、先述した「滑りやすいところを走って、他人に衝突し怪我を負わせるリスク」という目線は親側、同伴者の目線である。
これを立場を逆にすると、「風呂を走られることで、ぶつかってきたときに滑って転ぶリスク」という周りの目線もある。
個人の感情ではなく、周りに危害が及ぶという点で見たら、やはり「危険を減らす」ほうが先決ではなかろうか。

トランスジェンダーの風呂問題

余談であるが、トランスジェンダーの風呂問題も悩ましい。

この話は、結論から出すと、「体の性別」とか「生まれた性別」とか一線を引いて区分けできる話ではないと思う。
さっきの「不快」の話ではないが、どこまでセーフで、どこまでアウトか、その基準は個々の匙加減である。

①元男性で身体も戸籍も変更していない方
②元男性で身体はそのままで戸籍だけ女性にした方
③元男性で身体は女性にしたけど戸籍は男性の方
④元男性で身体も戸籍も女性に変わった方

⑤元女性で身体も戸籍も変更していない方
⑥元女性で身体はそのままで戸籍だけ男性にした方
⑦元女性で身体は男性にしたけど戸籍は女性の方
⑧元女性で身体も戸籍も男性に変わった方

トランスジェンダーだけでも①〜⑧の方がいる。
この中で、自身が許容できるであろうラインはどこなのか?
結論から出すと、私は体つきは人それぞれ違うので許容範囲を明確にするのは困難だと考える。

ましては戸籍の判断など見た目では一切わからないので、最終的には当事者の判断を尊重すればよいのではないかというのが結論である。

これに関しては全員が全員同じ答えを出すのは無理である。
万人に配慮するなら、①〜⑧までどのラインを問わず、全員家族風呂に入ればいい
というか、変に騒ぎたてる人間が率先して家族風呂を使えばよい。

でも、③④の人は言われないとわからないし、やむを得ず⑤⑥の判断をしている人に対しては見た目で判断されて正直嫌だろうなと言う気持ちになる。

生まれた性別で入れよ」と言う人もいるが、極端な話、⑧のような人が来ても黙ってられるのだろうか。

「いやお前見た目男だろ、男湯入れよ」
「いや、私生まれたときは女だったので…」

こんな話が始まりかねない。

おそらく「生まれた性別で〜」という人たちは、⑧の人に対しても理解を示さず、①〜④の人と同じ対応をすると思う。

結局、許容ラインなんて個々の匙加減なのである。
その中で自分のものさしに固執して、それを他人に押し付けるのは間違いではないかと思う。

私は仮に①〜⑧の方がお風呂に入っていたとしてもスルーして構わないと考えている。
本人がそう望んで入ったのなら仕方ないよねと割り切るしかない。
結局は未就学児の風呂問題と同じ判断をするしかないと思う。
特に大人が自己判断でやってるのだから、それなりの考えはあるはずだ。自分に直接的な危害が加わったら警察沙汰にすればいいだけで、「存在」を犯罪にしたらいけないと思う。

もしそういう人がいて、なんで?と子どもに聞かれても、以下のように答える。

・体の性別と心の性別がなんか違うな〜と思っている人もいるんだよ
・男の子だからズボン、女の子だからスカートとは決まっていないんだよ
・自分の「好き」や「こう思う」を大切にしようね
・でも人にそれを押し付けちゃだめだよ

という話をすると思う。
というか令和の今はそういう話をせざるを得ない時代なのだ。

結論

さて、トランスジェンダーの風呂問題は余談なので置いといて。

未就学児の風呂問題に関しては以下のような結論を出した。

未就学児の風呂問題は「不快」と「危険」のどちらを取るかの差が原因で起こったもの

そしてこの中で私が出した結論は以下のとおりである。


不快と危険なら危険の方を取り除くべきだ。
不快はあくまでも個人の都合であり、危険のほうが周囲への被害が大きくなりかねない
未就学児の間なら、安全上、異性親とお風呂に入っていてもやむを得ない
男児が女湯に入るか否かは男児の意思と、同伴する大人の判断で決めれば良い。

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