GLI Summer Camp in Hokkaido〜キャンプで非認知能力を獲得する為の学びの設計
8月1日より5日までの4泊5日
GLI Summer Camp in Hokkaido 2022が終了しました。
何より大きな怪我もなく、そしてたった5日間でしたが、子供達の成長が日に日に感じられるキャンプでした。隠しカメラでご家庭に届けて見て頂きたい位で、お世辞では無く毎日成長した5日間でした!
この3年、コロナの影響で子供達は本来得るべき経験を得られていません。この現実は子供達にとって非常に憂慮すべき事象です。これからもっとこの様な機会を増やしていけるといいなと、スタッフも感じたツアーでした。
今回のキャンプのメインの目的は野生の馬と如何にコミュニケーションを取って背中に乗せてもらうかと言うものでした。人間によって慣らされた馬で、係の人が手綱を引いて馬場を一周する様な出来合いの乗馬体験ではありません。沢山の試練を乗り越えないと最終日に馬に乗せてもらえないのです。
ミッション1お気に入りの馬を森の中で見つけて、頭絡(あごひも)を付ける。
子供達にとっては何もかも全くの初体験。北海道の森の中も、森の中の馬も、もちろん馬に頭絡をつけるのも初めて。テレビで見る馬は可愛いけど、実際に近くで見るとめっちゃ大きくて怖い。2人のチームで相談してどの馬がいいか決めて頭絡を着けるのですが、怖くて中々近づけないし、ずっと草を食べてて頭を上げてくれない。お馬の先生にやり方は教わっても実際勇気を持って覚悟を決めないと頭絡が付けられないのです。
ミッション2手綱を引いて馬をコントロールする
馬は群れの動物。リーダーがいてそのリーダーに付き従って行動するそうです。だからリーダーシップを取らないと言う事を聞いてくれない。馬とコミュニケーションを取る数々の注意を聞く。
目をじっと見ない、お腹を見ない、息を止めない、前から近づく、これは全て馬が肉食動物から身を守る為に身に付けた習性だそうで、これらに反すると襲われると思うそうです。そして一旦手綱を持ったら堂々と振る舞わないと、言う事を聞いてくれず、引き手がパニックになると馬が暴れ出すそうです。
ミッション3ブラッシングをしたりえさを与えたりしてコミュニケーションを取る
馬の後ろに立つな!これは常識。蹴られる恐怖と踏まれる恐怖でビクビクしながらのブラッシング。えさを上げる時も噛まれる危険性があるため、および腰(および腰とはこういう形なのかとわかるほど綺麗なおよび腰でした)。恐怖がまさって中々猫を可愛いがる様には行きませんが、勇気を出さないとコミュニケーションが取れません。
ミッション4鞍を正しく背に乗せる
なんと鞍の重さは15キロ以上。大人でも馬の背の高さに乗せるのは至難の技。しかも鞍の下には2枚の布を敷いてお馬さんが痛く無いようにしてあげないといけません。また鞍を占めるバンドはしっかり締めないと乗っている人が落ちてしまうので、力が必要です。しっかり乗せられなければ馬の先生の許可が降りません。一人では出来ないので、チームメンバーと協力してやるのですが、上手くいかず喧嘩になる事もしばしばでした。
ミッション5歩いている時にリーダーシップを発揮する
森の中の長距離rideに出かける事が最終目的なので、途中勝手にえさを食べたり好きな方向へ行かせてはいけません。また、誰かが上に乗っている時にえさを食べる為に頭を下げると乗っている人が危険です。なので馬に引き手の言うことを聞かせる必要があります。右や左に意のままに動かせないと乗っている人にも自分にも危険が及ぶのです。
これらを克服して、最終日の午前中に検定試験を受けてやっと約2km森の中の乗馬に出かけられるのです。
森の中の景色は別世界。東京では絶対味わえ無い景色。恐怖に打ち勝ってチームメートと喧嘩して、馬に乗ったり手綱を引いたりする技術をマスターしてやっと出かける森の散策。ずっと小雨や曇りだったのですが、4日目の午後にご褒美の様に青空が広がってくれました。馬の上から見る景色は一体子供達にはどの様に写っているのか?大人には決して解らない景色だと思います。
この5日間で彼らが身に付けた資質や能力
1、新しいことやものに勇気を出して立ち向かう姿勢。恐れたり考えていても何も始まらない事。諦めずにチャレンジを続ければ必ず前に進むこと。
2、教わったスキルや知識を正しく使う難しさ。教わっても正しく出来ないもどかしさや悔しさ。出来なければ乗れないし、前に進まないから何とかできるようにするしか無いこと。工夫をすること。
3、仲間と話し合ったり、意見がまとまらない時も折り合いをつける力。動物は一定の法則に従えれば言う事を聞いてくれるようになりますが、人間はさにあらず。お互いの意見がぶつかった時、自分の意見だけを押し通していれば時間が過ぎるのみで目的は遂げられ無い。
4、自分で考えて決断して行動する力。始終スタッフは自分(達)で考えて、自分(達)で見つけて、自分(達)でやってみて、という態度を取り続けました。最初は万事聞かないと動けなかった子供達も最後は自分で考えて動ける様になりました。この点は是非ご家庭でもトレーニングして欲しい資質だと考えます。
5、目的意識とそこに集中すること。最初はふざけたりおしゃべりをしたりして馬そっちのけでしたが、そのままでは最終日に乗馬ができません。勇気やスキルが身に付いてくると、今何をすべきなのかを考えて作業に集中し、お互い助け合って一つのタスクを完了する事が出来る様になりました。よって一つの作業を終える時間が圧倒的に短くなりました。
6、達成感。これは説明不要と思います。
サマーキャンプの教育的意義と重要性
多くの日本人はsummer campとは旅行の一種と考えがちですが、欧米では家庭や学校に継ぐ重要な学習環境として認知されています。
リーダーシップや仲間とのチームワーク、少しくらい困難があってもへこたれないタフネス、様々なスキルの訓練、そして何より親元を離れ全てにおいて自立した生活を送る事で得られる自立心など、今般言われる非認知能力の育成の場としてとても重要な教育的機会です。よって多くの子ども達は夏を待ってsummer campに出かけ、一夏で大きく成長するのです(しかし日本では夏と言えば夏期講習!どうしてもお勉強の方に頭が行ってしまいます)。
では
前述した通り、主な目的は非認知能力の育成です。非認知能力とは端的に言って”生きる力・生きてゆく力”のことです。人生の目的が豊かで幸せな人生を送る事であるならば、豊かで幸せに生きる為の様々な資質や能力の事です。
様々な資質や能力とは何かと言えば、多岐に渡ります。代表的なものは、リーダーシップ、探究心・探究力、タフネス、多様性の理解、創造力、課題解決能力、論理的思考力、チームワーク、人を労わる心、道徳心など上げればきりがありません。
そして残念ながらこれらの力は勉強では身に付きません。口で言っても伝わりません。ではどうしたら身に付くのか?答えはOJT(on the job training)、すなわち実戦でしか身に付かないのです。では実戦とは何なのか?スポーツで言えば実際に投げがり打ったりしてみる事。自転車でいえば実際に乗ってみる事です。座学で野球のルールや打ち方を覚えても、自転車の乗り方を覚えても残念ながら野球も自転車乗りも上手くなりません。同様に人間同士の関係性も困難を乗り越える力も、リーダーシップも座学では身に付か無いのです。実際に人が活動する中に身を置く事でしか身に付かないのです。
今では無い子供達だけの世界
では活動なら何でも構わないのか?と言えばそうではありません。どんな活動なら効果的に非認知能力が身に付くのかと言えば、率直に言って子供達だけの世界で生活する事だと考えます。いわゆる昔の近所付き合いのような世界。昭和の時代の夏休みの空き地で繰り広げられる子供達の生活。そこでは自分で全てを解決するしかありませんでした。今の様にゲームも無く遊びも自分達で考えるしか無かった世界。喧嘩しようと大人は仲裁に入ってくれず自分達で解決するしか無い世界。いじめっ子にも立ち向かった世界。喧嘩しても自分達で仲直りする世界。
まとめると非認知能力とは人が集まって何かの活動をする時にその目的を達成する為に必要な全てのスキルと言う事ができます。これらは決して教えごとでな無いのです。しかし、そのような世界は現代のどこに存在するのでしょうか?残念ながら都会はもとより地方でも中々この様な学びが経験できる環境は激減しています。都会では地域社会や隣近所という関係性の消滅。子供会のような環境の減少、社会的寛容性の減退、犯罪などの増加で子供達が子供達の意思と権限と行動力で活動できる世界がほぼ消滅したと言っても過言では無い気がします。
学校では非認知能力は育たないのでしょうか?
学校の存在意義の一つは社会性の獲得です。社会性とは共同生活を送る上で必要となる資質や能力の事であり、非認知能力の一つの要素に過ぎないでしょう。もちろんそれ以外の資質の獲得も想定にはありますが、残念ながら勉強以外の資質が効果的、意図的、現代的に設計されているとは言い難いと言えるでしょう。学ぶもの、学び方、最終的に何ができる様になるかが重要であると定められた今般の学習指導要領の改訂は、日本独特の規則や規律、教科学習偏重の教育活動、先生の一方的な指導スタイル等の変革を促しており、勉強、すなわち偏差値教育だけでは未来の世界で活躍できないことへの危惧が現れています。Black校則問題はまさにその象徴であり、global skillと言う観点から言えば、校則などなくても自立的に自己をコントロール出来る資質が必要です。生徒自らが考える事なく管理され続けてきた弊害は、globalな世界で必須の資質である主体性とは真逆の教育的環境と言えます。その他様々な旧式の学校教育では個人的にはこれからの時代に必要とされる21世紀型スキルの獲得は今後数年難しいと言わざるを得ません。
勉強はするのに、何故
勉強はもちろん大事です。知識無しに何かを考えたり生み出したりすつ事はできません。しかし知識は使ってこそ価値になります。使い方はいつ習うのでしょうか?私は塾のアルバイトの大学生に良く言います。君たちは受験の準備は一生懸命してきたいのに、どうして就職活動(社会に出る為)の準備はしないの?と。学歴という仏はあっても実際に何ができるかと言う魂はどうするの?と。社会で求められる能力は受験勉強とは全く違うのです。就職試験では「あなたは何がしたいのか?」「それは今まで君が何をしてきたからなのか?」そして「あなたは何が出来るのか?」が問われます。その質問にはどう答えるのでしょうか?大学受験までは何点取れるかが問われるのですが、その後の人生は何ができるのかがずっと問われるのです。何が出来るのか?これがすなわち生きる力であり非認知能力です。非認知能力は大人になってからでは中々獲得しにくい能力です。Open Mind set や探究心・探究力、論理的思考力などはその代表格で、社会に出てから絶対必須の能力なのにどうして小さい頃から身に付けないのか、私には不思議でなりません。残念ながら日本の教育では何ごとにおいても社会で使う事が想定されていないのです。
勉強から学びへ
前述の通り欧米では夏休みに入るとこぞってsummer campに出かけます。それも3泊や4泊ではなく、数週間単位です。その理由はこれまで述べて来た通り、特に子供の頃は勉強以上に生きる力の育成が大事だと理解しているからです。教育の本質が勉強だけではなくむしろ勉強も含めた広い”学び”にあると考えられているのです。学びとは生きる力の獲得の為の経験知やスキル獲得作業全般をさします。そして欧米の学校やsummer campはこの学びの設計がとても効果的かつ実践的になされていると言えます。努力やチャレンジ精神無くして達成できないハードルを設定し、仲間と共同作業をしなければ達成できない条件を設け、必要なスキルを獲得し駆使して初めてゴールに到達出来るような学びのプログラム。そして決して先生からの一方通行にならず、子供達自らが考え議論し挑戦できる様に促すスキルを先生達が持っていて、何より子供達の変化を見逃さず少しでもできる様になったことを言語化して子供達にフィードバックする事で自信と達成感を植え付けるのです。こうやって過ごした数週間で子供達は人として大きく成長するのです。
豊かで幸せな人生を送る為の準備
人生の意義は多かれ少なかれ、大なり小なり”人として豊かで幸せな人生を送る”事と言えるでしょう。しかし厄介なのは豊かさや幸せの定義は人によって、また時代によって違うという事です。親になったらまずはこの事を考えて欲しいと思います。子供が幸せな人生を送る為に必要なことやものとは一体なんなのか?それは自分達(親)の時代のそれらとは変わっているという事。これからの時代は過去100年分の変化が5年でやってくると言われています。日本人とだけ日本の中だけで一生を生きる事も考え難いでしょう。今後の社会的、経済的な成功を分けるkey wordはグローバル化とテクノロジー化への対応だと言われています。そして人間とは社会に出て多かれ少なかれ働きます。働くとは直接間接を問わず、誰かの為に何かを為す行為です。すなわち世界を舞台にテクノロジーの力を駆使して誰かの困りごとを解決したり、こんなものがあったらいいなと言うものを創造したりする事です。誰かの為に為す解決と創造の営み。だとするならばその営みを自信を持って堂々と出来る資質や能力の獲得こそが教育として身に付けてあげるべき賜物だと思うのですが、皆さんはいかがお考えでしょうか?
長らく日本の教育は日本国内で生きることが想定されたものでした。またSociety3.0と言われるいわゆる工業社会に出ていく為の準備作業でした。日本国内だけで、大量生産の工業化社会で生きるための成功法則は学歴社会のレールに乗る事であり、一旦そのレールに乗るとある程度幸せな人生が送れた時代です。しかし、昨今の世界や社会情勢の劇的な変化はこれまで誰も経験した事の無いものです。AIやロボット、仮想空間などテクノロジーの急速かつ一般人の理解を遥かに超えた劇的な発達とグローバル化の世界では、大人なしく先生の言う事を聞いたり点数をとる為のスキルでは豊かで幸せな人生は獲得し得無いと言わざるを得ません。一体何が子供達にとって豊かさや幸福であり、どのような資質や能力を獲得したらそれらが獲得できる様になるのか?このレポートを通して是非考えるきっかけにして頂ければ幸いです。