【ショートショート】 あの冬の夕暮れのこと
「ああー、大人になりたくないー!」
突然そう言って、アカネは校庭の真ん中にずんずんと歩いて行き、そこで持っていたバッグをドサリと下ろす。
そして、何をするのかとついて行った私たちの目の前で、制服のまま何の躊躇もなく校庭に寝転び出した。
「いや…何。ちょっと、起きなよ」
下校のタイミングなので、それなりに人通りはある。周囲からの好奇の目を気にしつつ、スズが慌ててそんなアカネの手を掴んで起こそうとする。
「起きられないー、起きたくないー」
「ねえ本当にやだこの人、サキちゃん助けてよー」
ものすごく困惑した顔で、スズが私に助けを求めてくる。アカネは何も気にした様子もない。脱力したまま起き上がるそぶりも見せず、目を瞑る。ぶれない自由さが彼女の魅力であり、煩わしいところでもある。
ねえちょっと…と体を揺さぶるスズと、非常にくつろいだ様子のアカネ。そんな二人のやり取りが面白くて、私は思わず笑ってしまう。
いつもの二人。いつもの、光景。
「放っておいたらいいよ、そのうち寒くなって起きるよ」
そう言って、私もアカネの横に座ってみる。そんな私の動きを横目でチラリとみたアカネは、自分の手を引っ張り続けるスズの手を強く引いて「スズもおいでー」なんて言い出す。
もう何でとか、サキちゃんまでそんなとか、いくつか抗議の声を上げながら、結局アカネの言いなりになって座り込んだスズと、三人で校庭のど真ん中を陣取る。
時刻は、大体夕方四時を回ったくらいだろうか。
今日はテスト前で部活動がない。別に誰の邪魔もしていないので、何にも気兼ねすることはない。アカネは目を瞑ったまま、概ねそのようなことを言って、校庭は私たちのものだー!と文字通り、大の字になってみせる。
三人でテスト勉強をして、下駄箱で靴を履き替え、校舎を出て校門に向かうまでの間で何故かこうなった。
初めこそ文句を言っていたスズも、バッグからジャージを出して枕のように置き、そのまま開き直ったようにゴロリと横になる。こういうときの潔さは、私よりあるのだ。
そろそろ日が暮れる。
校庭に直に座っているから、じわじわと冷えがくる。冬って、こんな感じだったななんてふと思う。
「大人になりたくないー」
「嫌でも、気がついたらそのうちなってるよ」
「それが嫌なんだってー」
アカネのおどけた物言いに、困ったねーなんて適当な相槌をうちながら、スズがくすくすと笑う。
「何で急にそんなこと言い出したの」
胡座をかく足に、寒さ対策としてスカートを伸ばして覆いつつ、私はそれとなく問う。
「うーん…」
下校する他の生徒たちが、不思議そうに私たちを眺めて、それでも関わるまいと遠巻きに眺めながら何人も通り過ぎていく。
まあ世の中って、そんなもんだ。
ややこしそうな人や、ちょっと変わっている人には、関わらないに限る。それは、平穏な自分の世界を守るための知恵とも言える。
「来年の今頃、何してんのかなって思ったんだけど」
しばらく考えてから、アカネが口を開いた。冷たい風が、ひゅうと私たちの髪を撫でていく。
「全くもって、楽しそうな自分が想像できなかったんだよね」
「来年の今頃なら、さすがにもう進路決まってるかなあ」寝転んで、空を見上げたままスズが応じる。
「それ!別に今したいことがあるわけでもないし、思い描く未来があるわけでもないし」
目を閉じたまま、アカネはぶつぶつと不満と不安が入り混じったような言葉を並べる。
それに共鳴したスズが、「高校にだって、ほんの一年前に入ったばかりなのに、もうこれから先の長い人生に関わる決断が一年後に迫っているなんて…」と、何だか弱気なことを続ける。
私だって別に、夢や憧れがそんなにあるわけじゃない。二人の言いたいことは、よくわかる。
高校二年生なんて、そんなものだとは思う。でも、周りを見ると何となく将来を描き出しているクラスメイトがいる。
先日、国語の授業中に将来の夢について書かされて、いかにも大人が喜びそうな当たり障りのない内容を書いたななんてことを思い出す。
「あー…」
ぐるぐる考えていたらため息まじりの声が漏れた。確かに、憂鬱かも。大人、私もなりたくないかも。
そのまま私もゴロリと後ろに倒れる。
頭の下に、砂の擦れる音を聞く。ああ起き上がるとき砂だらけかなと少し後悔したけれど、そんなこと今はもういいやという気持ちになって、空を見上げる。
冬の始まりの、空。
夕暮れはもう遠く、日が暮れると一気に暗くなる。
見て、カラス。ほんとだ。なんてどうてもいい会話をしながら、そのまま三人で空を眺める。
高校二年の冬。
三人でお揃いの制服を着て、汚れることも人目も気にすることなく、床に寝転んでしまうなんて、今この瞬間にしかできないことだな、と思う。
「おーい!お前たち、何してんだー!テスト前だぞー!早く帰って勉強しなさーい!」
沈黙は束の間で校舎の方から、担任らしき人(多分)の声が聞こえる。
「見たらわかるでしょー!」なんて、憎まれ口をアカネが叩く。
そして、「あーやっぱ大人にはなりたくないなー!」と大きな声で続けた。私とスズは、それを聞いて「本当にねー!」「わかるー!」と返し、三人でわあわあ騒いで笑い合った──。
──あの日のことは、今でも昨日のことのように思い出す。
あの、冬の夕暮れのこと。
(2201文字)
=自分用メモ=
久しぶりに、タイトルをしっかり文末に示す書き方をしたくて、スタートとゴールだけ決めて登場人物には自由に動いてもらった。
今でもたまに、「高校生の頃、他人に迷惑をかけない範囲でもっと訳のわからないことをしておけば良かったな」と思う。校庭に寝転がるとか、教室の真ん中でお弁当を食べるとか、廊下の端から端まで全力ダッシュをするとか…。
それをするには、あまりに大人になりすぎたなあと思いながら、書いた。