【日記】何かを作るということ
何かを作るということ。
それはつまり、何もない「無」から「有」を作るということ。
「0」から「1」を産むということだ。
1を100にすることも大変だけど、0を1にする方が大変な気がする。根拠のない、ただの体感の話。
100字のレポートを500字くらいにすることは、多分私にとってさほど難しいことではない。
経験や知識のあるジャンルなら、1000字くらいまでなら頑張れる気もする。
ところが、0からとなるともう本当に、膨大な本の渦に放り込まれるような感覚になる。
書きたいことは無限にある、描きたい世界も際限なく浮かぶ。それらは手を伸ばせば届く、そこここに存在する。
ただ、それを全てうまく「伝わる形」にして可視化することが大きな壁として存在する。
例えば「空気の色」を、言葉で表すような感覚…。
日頃、言葉の世界でそういうことをしているわけだけれど、ドツボにはまるとびっくりするくらい何も出てこなくなる。
脳内を手繰れども手繰れども、「想い」はあるのにそれを形にするのために必要なパワーが足りない。うまく文章にできなくて、頭を抱えたことは一度や二度ではない。
そういう瞬間、何かを作るということをしている人みんなに、「すごいねえ…」という気分になる。
noteの下書きなんて、もういくつあるかカウントする気にもならない。途方もない。本当に散らかり放題だ。
カケラでも書きかけたものは、どこかでうまく繋がって、何かしらの形を成す場合があるので、無闇に消すこともしたくない。
こうして、めちゃくちゃに雑多な「言葉のるつぼ」が、私のnoteの裏側に存在し続け、増殖し続ける…。
少し前に検討したように、ここ最近は文章を練る合間に、noteのヘッダー作成をしている。
気分転換も兼ねて、イメージを形にしていくのだけれど、文章を作る場合とはまた訳が違ってなかなか興味深い。
脳内のパターンに近いものを探して見つけて、そこから当てはめて置き換えて、バランスを見て彩度や透明度をいじって…。
やっていることは全然違うのだけれど、文章を書くときの感覚に似ていてなかなか面白い。
教員時代、部活のチラシ作りなどで活用していたツールを、今また別な目的で使っている。
こういうとき、「ああやはり何事も、過去は何かしらの形で現在や未来に繋がっているんだな」としみじみしてしまう。
例えばWordの使い方も、Excelで打ち込む数式も、PowerPointを活用したプレゼンも、決して学校の授業以上のことは習っていない。
必要なものは、必要なときに調べたり、わかる人にアドバイスをもらったりして、原則自力で会得してきた。
人間その気になれば、大抵のことはできるようになるもんだよなあ。
その、「その気」というものが、必要に迫られてのものだとしても、知的好奇心に繋がると強いよなあとも思う。
好きとか、楽しいとか、そういう心の働きの持つ力は大きい。
そんなわけで、何かを作るって大変だけど楽しいなあと、コーヒーを飲みつつ呑気に思う夜。
…なお、納得のいく形への到達はまだ遠い。
こないだのショートショートの文末や、Twitter(現X)に匿名メッセージツールを設けてみた。
早速送ってくれた人がいて、嬉しがりの私は個別に返信もしたのだけれど、今後記事でもお返事を残していこうと思う。
もちろん、個人が特定できるようなものや、明らかな私信と読めるもの、公開すべきでないと判断するものは、私の胸の中であたためるものとする。
こんな風に届いているよ、の例も兼ねて。
↓ということで、よいように活用してみてください。欲しがり。笑
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