【エッセイ】根拠のない自信の強さ
その昔、バリバリに現場で働いていたときのこと。
私は今とさほど変わらず臆病者で、何事にも根拠を求めたがる節があった。
何かをするときの、「自信」にも根拠を求めた。
これだけ準備をしたのだから、これは成功するはず。
あれだけ伝えたのだから、あれは上手くいくはず。
この考え方は決して悪いことではないはずなのだけれど、ときどき私を苦しめた。
ことばの裏を返すと、「これだけ準備をした」と言えるまでやらないと、失敗するかもしれない…と不安になる。
「あれだけ伝えた」と思えるほど伝えたとしても、結局は相手のあることだから上手くいくとは限らない…と気にする。
本当に際限のない、悩みの渦に飲み込まれることもしばしばあった。
気にしても仕方がないとしても、自信の根拠になるくらいの仕度があればあるいは…と、必死にその根拠を捻り出そうとすることがあったのだ。
そんな私に、声をかけてくれた先輩がいた。
「根拠のない自信を持つといい」
その先輩曰く…
根拠のある自信は、当たり前だけれど「根拠」を失ったら揺らぐ。例えば、お金持ちはお金がなくなったら、お金持ちではなくなる。
「自信」には、そんなに根拠を求めない方がいい。
根拠のない自信を持てーー。
自信がなくて不安を拭うべく、根拠集めに翻弄される私を励ますために、「何とかなるよ」とかけてくださった言葉だと思う。
日々ひたすら、肩に力を入れてピリピリとしていた私にはとても響いた。
何とかなる。
何とかなるだけのことはしたじゃないか。
何とかするだけの力はきっとある。
そういう心持ちになるための、余裕を教えてもらったように思う。
今ふとあのときのことを思うと、毎日何かしらずっと必死で失敗を回避すべく奔走していた。
自分の失敗は、自分だけの失敗に留まらない。
何か一つ言い逃すことで、テスト範囲が変わったり生徒への不利益を生んでしまう。
毎日毎日、失敗が怖くて自信がなかった。
ただし、自信がないように見えるのは、生徒を不安にするとできるだけ堂々と振る舞うように心がけることは忘れずに。
いろいろ自分の中が混乱していたようにも、思う。
今、決して万事に余裕があるわけではないけれど、あのときの混乱を駆け抜けたという事実は、そっと私の中で「自信」の一つに形を変えた。
大抵のことは本当に案外、何とかなる。
この世で起きたことは、この世でカタがつく。
開き直りと紙一重の「根拠のない自信を持つ」
それは、ともすると自信がなくなる私の中に、今でもよく響いている言葉だ。