【思考】独りでは生きられないということ
我ながら、何だかギョッとするタイトルをつけてしまった。
あまり深い意味はない。言葉のままである。
普通に日常の中を生きていて、ふと「ああ、私は独りでは生きられないな」と感じる瞬間がある。
元来、私は人と話すことが好きだ。
話すためには、話しをする相手が必要である。
独り言では足りない、人とのコミュニケーションがそこにある。
自分が何か言葉を投げる。行動をする。リアクションをとる。
それに誰かが反応するという、喜び。
改めて振り返ると、私の人生はいつもそんな瞬間に溢れていた。
そんな瞬間の積み重ねた先に、間違いなく「教員生活」があった。
どんな仕事もそうだろうけれど、教職は本当に絶対に「決して一人では成立しない仕事」だ。
「私は先生だ」と、名乗るだけでは「先生」になれない。
自称・教師は成立しないのだ。
「先生」と呼んでくれる存在が、あって初めて「先生」たり得る。これはいつだったかにもどこかに書いた気がする。
ここ最近、しみじみそんなことを思う機会が、またあった。
教え子から連絡がきたり、声をかけてもらった会うことができたり。
幾つになっても本当にその幸せを願わずにはいられない存在が、私にはたくさんある。
便利になって煩雑になって、それに比例するように、どんどん生きるのが大変になっていく。
この世の中を、必死に社会を泳いでいる背中に、私は何が語れるだろう。何ができるだろう…なんて考えることがまた一つ、私の生き甲斐でもある。
どこまで行っても、やはり独りでは生きられないニンゲンなのだ、私は!
最終的に地蔵のような人になりたいとも、思う。
何ができるわけでもない。でも、そこにいる。
存在しているけど別段何をするわけでもなく、
何もしないけど、変わらずブレず、ただ居るという存在。
そんなことを、しみじみ考える少し蒸し暑い夜。
最近何となく寝苦しくて、寝つきが悪い。
いろんな人を思い浮かべながら、ゆるりと睡魔を待とうと思う。
おやすみ、せかい。