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【日記】「今だ!」のタイミング

昔から、飛行機に乗ることが好きだ。

あの鉄の塊が、何ゆえ宙を浮いて空を飛ぶのかいまだによくわからない。

軽々と夢を語ることができた幼いとき、挙げた夢の一つに「空港で働く人」というものがあった。

漠然としたその夢は、CAさんみたいに華々しいイメージのあるものではなくて、どちらか言うと縁の下の力持ち、飛行機の整備士みたいなものだったことを覚えている。

なお私は、理系を好きになれずゴリゴリに文系に全振りした人間だったため、その夢は早々に手放した。

時計のギミックを眺めたり、機構の見えるエスカレーターやエレベーターは今でも大好きで、そういう「すき」の延長にあった夢だったんだろうなと思う。

そんなことをぼんやり考えながら、雲を超えて真っ青に包まれた空間を眺める。楽しい…!

noteへ気軽に動画を上げるのに、Twitter(Xとは意地でも呼ばない硬い意志)が便利だな。


人間、年を重ねていく毎に、多分どんどん自分の可能性を狭めてしまう生き物なんだろうなと思うことがあった。

いや、そんなずっと夢みる夢子ではいられないのは間違いないのだけれども。

時間やお金を、どこまで何に注ぐか。
大人になればなるほど、シビアな「現実」が見えて、見えすぎてしまって「まあ無理だろうな」の諦めが先立つ。

進むにも諦めるにも、覚悟は要る。

私これまで、どこをどれだけ進んできたのだろう。
その中で、何をどれだけ諦めてきたのだろう。

聞き分けがいいふりをして、棚に戻したぬいぐるみのことがふと思い出される。
私、昔からお金使うことが怖かったなあ、下手だったなあ。

あるものを使うと無くなるのは当たり前で、でもその無くなることそのものが怖くて、究極「使わなければ無くならない」を発動しがちだった。

そのおかげで、いま広義で使えるものがあるのは、事実。

いろいろ巡り巡って、結局いつどこで何を使うかって選択は自分にしかできないのよね。

アンパンマンの純粋な楽しさは幼児期が一番わかるのだろうし、高校生のうちにしか、真の意味での制服デートはできないし、ビアガーデンの素晴らしさは成人して仕事を終えてから初めて体感できる。

楽しめることを、楽しめるときに楽しむってなかなかの贅沢だな。

そんなことを思いつつ、「いま」自分がしたいこと、そして「いま」自分にできることの擦り合わせを日々している感覚。


私は、わりと思い立ったが吉日な人間だ。
年々その傾向は加速している気がする。

緻密な計画を立てて、それを着実にこなしていくのが基本ではあるけれど、不意に「今だ!」の声を聞くことがある。

自分の人生に翻弄されていた頃は、それを聞いても動けなかったけれど、だんだん「今だ!」に合わせて動けるようになってきた。

結果、ノリでスイスに飛んだり、髪の毛を20センチ以上切ったり、何の準備もなく黙々と10km以上歩いたりする人間が爆誕する。

変化が苦手だし、急な予定変更も得意ではないのだけれど、突発的な衝動に背を押されて、ひょいと日常の枠を踏み越えることがある。

これがなかなかどうして、面白い。

いくつになっても、私はこういうことを繰り返していくのだと思う。

雲間に覗く富士山。よい!

そんなわけで、勢いに任せて突然の帰阪。

用事がすんだ後、ふらりと気まぐれに声を上げると、相変わらずタイミングの合う人がさまざまな反応をくれる。

そういう瞬間に、「そうそう、これこれ!」となる。まさに、「今だ!」の瞬間だ。

絶対に、大小問わず人生にはそういう瞬間がある。

トントンと話しが進む瞬間を経て、タイミングの合った教え子に会う。素晴らしい。ありがたい。

いつだって、彼らは私にいろんな刺激をくれる。ひたすら話して、たくさん笑ってちょっと泣いて。

ほっかほかになった心を抱えて、帰宅する。

帰って、靴を脱いで鞄を下ろし、ふう…と深呼吸をしたら雨が降る音が聞こえた。さっきまで降ってなかったのに…。

これも、人生のタイミング!

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