あれやこれやとやっているうちに、もう7月も最終日。
あっという間に時間が過ぎていく。
焦る気持ちもありつつ、それを自覚する度に「地に足をつけていけ」と自分を諭す。
急がば回れ。
千里の道も一歩から。
塵も積もれば山となる。
間違いない、先人の知恵を呪文のように唱えて、暑さの中をてくてくと歩いていくのです。
数日前に少し触れた、教え子との接点として置いているSNSに関する話し。
日々、ありがたいことに、今なおいろんな話しをちょくちょく耳に挟むことがある。
そういったものに触れるたび、自分に何かできることはないかと言葉を紡いで思いを編む。
こういうものを発信するときの心境は、かつて教壇に立っていたときのそれに非常に近い。
教室にいる全員に、宛てて語る。必死に語る。
受け取り手がどう飲み込むかは、まるっと相手に任せる。
ただ、語る。
誰かに届け、何かが響けと語り続ける。あの気持ち。
自分にも、語る。
押し付ける気はない。聞き流すこともできる。
好きにしてくれて構わない。
ただし、決して投げやりではない。
何かしらの些細な音にうまく共鳴して、私が投げる言葉を上手に拾って、また歩き出す存在があることを、私は知っている。
彼らは、見ている。
私を、大人を。私はあの目をよく覚えている。
アラサーなんて言われる年齢になったとて、教え子は死ぬまで教え子である。
私にとっては、全員が揺るぎなくかけがえのない、唯一無二の存在だ。
捻くれて(別段悪いこととは思わない)、「何だこいつ突然また語ってんな」と思う子がいるのも一興。
私が想像する以上に真摯に受け取って、個別メッセージやコメントなど、何かしらの反応をくれる存在があるのも、また然り。
どちらも想定内の反応だし、私にしてみたら「一度とりあえずこちらを向く」と言うことをしてくれている以上、どちらも大切な反応だ。
それでいい。
そこにいるだけで、いい。
これからも彼らに対して私は、画面越しに、必要に応じてたまには画面を飛び出してくる、「お節介で何かすぐ語り出す、相変わらずちょっと暑苦しい大人」でいたい。