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顧客満足度は「シンデレラフィット」こそ至高であるって話

こんにちは。広報部の人です。

前回、noteを更新してから、実に1年近い月日が経ってしまいました。
なぜ、ここまで更新しなかったのか。

前回、更新したのが3月なので、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関する政府の緊急事態宣言が出る前ですね。
あれから、ボクの部署は在宅勤務が基本となり、今もなお続いています。

これまでテレワークなんて想定していなかったボクの会社です。
突然の環境変化になんとか対応すべく、
ボクとボクの上司を中心に環境を整えていったわけです。
そんなわけで、実は忙しくて更新する間もなかったというのは嘘で、
単にモチベーションが上がらなかっただけです。ごめんなさい。

これから、「顧客満足度は『期待どおり』が一番だよね」
という話をします。
よろしくお願いします。

ボクがライブに行かない理由

「バンドは好きだがファンが無理」という言葉をご存知でしょうか。
この言葉は、大ヒットドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」が流行ったときに、SNS上で出回ったパロディ画像の言葉です。

この言葉、当時ひじょーーーーに共感しまして。

上の「ボクがライブに行かない理由」の一つがこれです。

ボクには好きなバンドがいくつかあり、ファンと呼べるほどには楽曲を聞き込んでいるとは思います。
ただ、これまでそのバンドのライブに行ったことがありません。
※いくつか違うバンドのライブには行ったことがあります。

ライブに行ったことがなくてファンと呼べるのか問題は置いときますが、
SNSなどで見かける「一部のファンの人にあまり良い印象が持てなかった」という理由です。

もちろん、生で演奏を聴くと、涙が出るくらい感動すると思うんですが、
ライブって「演者」と「観客」で空間を作って一つのパッケージじゃないですか。※昨今の無観客ライブも同様

ただその時、観客側でネガティブ要素が垣間見えると、その要素が演者に直結してしまい、演者のネガティブ要素となってしまうんです。

ボクがライブに行かない理由(その2)

ボクがライブに行かない理由はもう一つあって、それが
「演者のミスを見たくない=幻滅したくない」という理由です。

バンドの楽曲を聞き込んでいると、ボーカルの声の伸びや息遣い、
楽器隊の細かな音作りまで体に染み込んできます。

その状態で、生演奏を見たときに、
演者のちょっとしたミスで幻滅してしまうのが怖いのです。

演奏しているのは人間ですから、ミスくらい起こります。
そのミスも含めてライブならではの空間こそが醍醐味だってことは理解しているんです。
以前、好きなバンドのライブ映像を見たときに、ギターの方がちょっとしたミスをしたり、ボーカルの声が若干裏返っている部分があって、
少しショックだったんです。
そこ意外はめちゃくちゃかっこよくて感動したんですが、心の隅の方でモヤモヤが残っている感覚ですね。

ライブが綺麗にマスタリングされたCDと同じわけないのは分かるんですが、CDしか聞いてこなかったボクですから、「事前期待値が高すぎた」と言えるかもしれません。

オンラインサロンでおきる悲劇

ボクがライブに行かない2つの理由と同様のことが、昨今話題のオンラインサロンで起きました。


オンラインサロンはいわば「ファンクラブ」です。

サロンオーナーの考え方や人柄、作品などなど様々な理由からサロンメンバーが集まるってのが一般的ではないかと思います。
※サロンの意義をそこに置いていないオーナーもいると思います。

ボクもとあるオンラインサロンに入会していたんですが、
とある日、そのオーナーがTwitterでとある人物に苦言を呈していたことがありました。苦言というか注意ですね。

その内容はどうでも良いことなので省きますが、
それがみょーーーーに、ひっかかりまして。

オーナーはとても素敵な人で、自分にない考え方や挑戦する姿に感銘を受けて入会したわけですし、その投稿自体は深く読み取れば、多くの人に対する優しさからくるものだったのは理解できたんですが、
その何気ない投稿を見て、
「あ、そういうことで怒っちゃう人なんだ」と感じてしまったわけです。

そして輪をかけるようにショックだったのが、
その投稿に対するサロンメンバーやファンの方々のリプライでした。

出るわ、出るわ、そのオーナーに対する擁護のこえ。
擁護というかファンが一緒に怒っちゃってる感じです。
※もちろん、そこまで言わなくても・・という方もいらっしゃいました。

顧客側にとって満足度は「期待どおり」こそが至高である

バンドの話も、サロンの話も、人間ですからミスもしますし、自分と全て価値観があうわけではありません。
そして、自分がその対象に対して感じている価値が、他の人にとって無価値(=どうでもよいこと)であることもあります。
見ている部分が人によって違うってことですね。

それでも、ボクはそのバンド/オンラインサロンに対して、
ほんの少しだけ幻滅してしまったわけです。
完璧を求めすぎていた。
過度な期待をしていたとも言えます。

顧客満足度(CS)=実際に感じた価値ー事前期待値

と、よく言われますよね。
事前期待値が100であっても、実際に感じた価値が90であれば、顧客満足度は-10ポイント、また事前期待値と実際に感じた価値が同ポイントであった場合、CS=0となり、これでもダメ。
つまり「期待を上回る価値を提供しろ」ってそういう話なわけです。

これは、あくまで価値の「提供側」のおはなし

顧客側が満足を得たい場合、できることって
「期待値を下げる」ということになります。
「会社に期待しない」
「コミックの実写化は期待していない」
「彼には期待しすぎない方がいい」などなど
よく言われる話です。

これは、後々自分が満足を得ていない状態を避けるための保険で、
稀に提供側もこういった保険をかけることもあるかと思います。

そして、この「提供側」の努力と、「顧客側」の保険によって、
大きなギャップが生まれたとき、大きな満足度が発生するわけです。
※最近で言うと映画「キングダム」がそうだったのかなーなんて

しかし、顧客側の「大きな期待」に対して、提供側の「価値」がそれを上回ることなんて、そうそう存在しないんじゃないかなと思うわけです。

「予想以上だったわー」とか「期待以上だったわー」という
体験が誰しもあるかと思いますが、
心のどこかで無意識にハードル下げていることありません?

もちろん、結果的に満足度が高ければそれはそれでで良いとは思うんですが、事前に期待を下げておくって少し悲しいじゃないですか。

だから大いに期待して良いと思うわけです。

でもそれで、提供側の価値が自分の期待を下回ったとき、「満足度が低かった。期待しすぎた。」と思うより、「次に期待しよう!(CV:日野聡)」とワクワクの持ち越しをした方が心穏やかかと思います。
それが「思いやり」っていうのかなと。

逆に提供側は、期待以上の価値を提供しようと躍起になるより、
「顧客の期待を裏切らない」方が大切なんじゃないかと思います。

好きなアーティストの新曲が出たときって期待しますよね。
でも「前作よりももっと感動させてくれ」とか思う人あまりいないですよね。
新曲を聞いたとき「コレコレー!!(至高)」という感動こそ、
事前期待値と実際に感じた価値がバチっとフィットした瞬間だと思うんです。

顧客が期待することで、提供側は期待に応えようと成長します。
顧客が期待しないと、満足度はあっても提供側の成長は止まります。
顧客の期待に、過度な付加価値を提供しても満足度に繋がるとは限りません。

お互いが寄り添うことが、本質的な満足度に繋がる近道なのかなと。


だから、
いつかはあのバンドのライブに行きたいし、ファンと交流してみたいし、
あの人のオンラインサロンもワクワクしながら見守りたいと思っています。



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