見出し画像

データを測る4つのものさし(2)間隔ものさし

間隔ものさし

比例ものさしとよく似たものさしに、間隔ものさしがある。何が違うかというと、絶対的な0があるか、ないかである。間隔ものさしが適用される例として、よく引き合いに出されるのは温度(摂氏、華氏)である。というか、これ以外の典型的な例がほとんど思いつかない。

「絶対的な0がない」というのは、たとえば「0m」はメートルという単位で測られる対象であるモノの長さが全くないことを意味しているのに対し、「0度」は、「度」(摂氏であれ華氏であれ)で測られる対象である温度がまったくないことを意味しない。
これに関連して、測定された対象に関して、和や差は計算できるが、比は計算できないと、統計学の教科書に書かれている。
「長さ」について、10mと20mという測定値があったときに、2つの和や差はもちろんのこと、一方が他方の2倍である、あるいは1:2という比をもつと表現できる。一方、「温度」について、10度と20度という測定値があったときに、20度は10度の2倍であるという表現はできない、のように説明されている。
なんだか狐につままれたような説明だが、「0度」が、温度が「ない」状態ではないことを考えると、なんとか納得がいく。冬の朝、気温が-1℃であったのに、日中になって5℃になったとき、気温が「何倍になった」といえばよいのだろう。そもそも、「何倍になった」と言ってよいのだろうか。数学の約束に基づけば、これは「マイナス5倍」と書くのだろうが、それは適切な表現なのだろうか。というあたりが、測定値の比が計算できないということを実感できる話になるのだろう。

摂氏と華氏

さて、摂氏と華氏について、Wikipediaを引用しておこう。摂氏と華氏の両方の目盛りが付いた寒暖計画像のすぐ下に、華氏が使用されている国を示した世界地図がある。ほとんどアメリカ合衆国しか見えないが、クリックして拡大するとぽつぽつと小さな国が緑色に塗られている。

面白いのは、ファーレンハイトがこのものさしを考案した経緯について、いくつかの説があり、国によってどの説が広まっているかが違うらしい。4番目の説にある、ヨーロッパの言い伝えが楽しい。「華氏0度はファーレンハイトが風邪をひいたとき、彼の母親が氷枕を作ったその氷枕の温度である」だそうだ。そんな情緒的な決め方なんだあ~。

あと、「華氏」については「華氏451度」と「華氏911度」が有名(どちらも映画になっている)だけど、これは省略。

摂氏の方も、目盛りの付け方について実はいろいろと経緯があったみたいで、最初は水の氷点を100℃、沸点を0℃としていたとか、これを誰かが反転させて今のようになったのだけど、だれが反転させたかよくわかっていないとか、なかなか面白い。

記事の最後に「温度の単位の比較」という表があって、セルシウス度、ファーレンハイト度を含めて8つの単位が比較されている。そんなにあったとは、しらなかった。

テストの点数は何ものさしか

ところで、私が最初に勉強した「心理統計法」の教科書には、次の記述がある。サンプルデータとして「数学の成績」(テストの点数)が100件表示されていて、そのすぐ後に、

ちなみに、数学の成績は、間隔尺度のデータである。念のため。

大澤・神宮 (2011)「心理統計法」放送大学教育振興会

ほかの教科書でも見たような気がするのだが、テストの点数は間隔ものさしなのだろうか。テストで「0点」だったら、点数が全くないのだから、比例ものさし(整数値のみを取る場合も多い)なのではないか? 60点をとった生徒は、30点しかとれなかった生徒に対して、「君の2倍の点数だ!」と言ってよいのではないのか?

と言いたいのだが、やはりこれは間隔ものさしだろう。「数学のテストは何を測定しているのか」と考えると納得できる。
数学のテストは、おそらく数学の学力を測っているのだろう。
ここで、テストをすることで正しく数学の学力を測れているのか、そもそも学力とは何か、と疑問を持ち始めると、とてもじゃないが私の手には負えない。なので、これらの疑問をスルーして先に進むと、要するに、たとえ受けたテストで0点をとったとしても、それは「数学の学力が全くない」ことを意味しないだろう、というわけだ。そして、そのテストで60点をとった生徒は、30点だった生徒に比べて、「テストの点数」は1:2だったかもしれないが、「数学の学力」まで1:2であるとはいえない。
このあたりが、テストの点数を、間隔ものさしであるとする理由なのだろう。