4-7.慢性疲労症候群
試用期間中にクビになった会社は「会社都合による退職」となったので、雇用保険の失業給付を受けることができた。
今までどんな面接も乗り越えてきた私にとって、「クビ」はダメージが大きかった。更に、電話口でのお客さんの怒鳴り声が原因でパニックを起こした自分を恥じた。これから社会人として生きていく自信を失った。
ハローワークで給付金の手続きをした日、帰宅して、ベッドに身を投げると、そのまま起き上がれなくなってしまった。
尋常ではない身体の疲れ、鳴りやまない動悸、何もしていないのに常に少しだけ息が切れた。手も足もずっしり重たくて、布団にめり込んでいるように感じた。自分の意志と、身体が繋がっていないような感覚だった。
心の中で「起きたい!」と念じても、どこにも力が入らなかった。
そのまま一か月ほど寝たきりになった。
朝だけは少し起きることが出来たので、朝ご飯はリビングで食べた。しかし、昼と夜は母が枕元におにぎりを置いたのを食べたり、食べなかったりした。指先を動かすのも嫌だった。自分の意志に関係なく、何故かトイレは行けた。朝食と引き換えに、朝の体力を全部使って、週に一度くらいシャワーも浴びた。
毎日微熱が出て、食欲がないのでどんどん体重が落ちた。熱のせいか、身体が筋肉痛のように痛み、首や脇の下のリンパが腫れた。
睡眠も異常で、一日中眠れず起きていたり、一日中寝てしまい目覚められないこともあった。そのうち、それが当たり前になり、「寝ない日」と「寝てる日」が繰り返される毎日を送った。
親は、熱があるので「病気」と認識したが、基本的には「甘え」と思っていた。毎日食べるものを、寝ている間にそっと置くだけで、声もかけず放置された。
その間の私の思考は、自分を責めることばかりだった。
こんな家に生まれたこと。自分の力では解決できないことがありすぎること。どうせ父は約束を守れず、また暴れるであろう恐怖。恩師の紹介で入った会社を辞めてしまったこと。マイクでしゃべる夢を捨てたこと。こうやって熱を出して倒れても、誰も心配してもらえない自分の存在。またしばらくしたら、父に働けと言われるであろうプレッシャー。もう働く自信を失ってしまったこと。自分が嫌い。家族が嫌い。人が怖い。こんな自分に誰がしたんだろう。それも私のせいか。私がこういう自分を、作ってきたのか、とひたすらに責めた。
ある朝の八時。動けそうだったので、急に思い立って地下鉄に乗り、大きな病院に行ったが、営業時間前で、診てもらうことはできなかった。そのまま玄関で倒れこんでしまい、気が付くと病室で点滴を受けていた。
症状を伝えて検査をしたが、特に身体に異常は見つからず、「白血球が多いから、なにか炎症の反応はあるんだけど、特にどこか傷んでいるわけではないみたいんだよね」と言われた。
医師の診断は「慢性疲労症候群の疑い」と「栄養失調」だった。
そのまま一週間ほど入院して、点滴で栄養と大量のビタミン投与、精神安定剤で沢山眠らされた。目が覚めている時は、トイレに行ったり、時間に関係なく沢山食べろと言われて、寝ている間に積まれた食事をどんどん食べた。
家にいない、という事実だけで、なんだか気持ちが軽かった。ここには「お前のそれは、甘えだろ」という空気を醸し出す人が一人もいない。
両親には、入院が決まった直後に「家で寝ていてもふさぎ込むだけだから、友達と数日温泉旅行に行く」とメールを入れたら「了解」と返事が来た。闘病しているとは思っていなかったようだ。
この時私は彼氏ではなく、F先輩に連絡をした。すると先輩は、焼き立てのピザをテイクアウトしてお見舞いに来てくれた。先輩がおいしそうにピザを食べる姿を見て、私もつられて沢山食べられた。人前では、元気にふるまえた。でも、あの家に戻るのが怖かった。
退院の日、F先輩がバイクで迎えに来てくれた。
「お前は親に温泉に行くと言ったんだろう。今から温泉まんじゅうを買いにいくぞ。土産がないと不自然だ。無言でもいいから、親に渡せ。それでお前の嘘はチャラになる」
相変わらず身体は重く、微熱もあったが、行きたいと思った。入院生活で一度しか風呂に入れなかったので、私は非常に髪が汚い状態だった。
バイクで定山渓に行き、ゆっくりと温泉浸かって、お昼に懐石料理を食べた。
温泉まんじゅうを母に渡すと「一週間も温泉にいたの?」と言われたが、無視をした。
その後も寝込んで暮らしたが、薬を飲み、密かに通院をして、誰に充てるでもなく手紙を書いた。
手紙は白い便箋に「あなたへ」という書き出しで自分が今つらいと思っていることベストスリーとか、小さい時味わった理不尽なことを、誰かに聞いてもらいたいと思って書いた。
その後、クリーム色の便箋に「君へ」という書き出しで、自分で返事を書いた。私は白い便箋の人に、とても共感できた。当たり前である。その後、クリーム色の便箋の人のお返事を読むと、沢山の共感に溢れていて嬉しかった。私の欲しい言葉に溢れている。当たり前である。
その昔、辻仁成さんと江國香織さんが、手紙を送り合うという設定で書いている小説を読んだので、そのイメージだった。
何度か繰り返すと、スムーズに自分の気持ちを言語化できた。どんどん自分史が出来上がっていく。自分の身に起きたことなのに、他人のエッセイを読んでいるみたいで気が楽になった。「この人、頑張ってほしい」と思った。だってこの人は、まだ二十代なんだから、私がドラマの脚本担当だったら、ここから彼女が這い上がるシーンを書くだろう。