3-7.母がDV父と別れない四つの理由

 ここまでのことをまとめると、母が父と別れない理由が見えてくる。

 母は、DV被害者特有の「逃げられない状態」だった。
 DV被害者は、そもそもDV前の「優しい夫」の姿も知っている状態で暴力を受けている。なので、DVの最中は「絶対に別れてやる」「殺してやる」と思っていても、DV後に謝られたり、プレゼントをもらったり、優しくされたりすると「やっぱりこの人は優しい人だ。弱い人だから、私がそばにいてあげなきゃ」と依存するようになる。そしてどんどんDV夫に洗脳されていく。
 離婚できなかった最大の理由のは「DVによる洗脳」だ。洗脳については十分に解説できたと思う。

 次に、父は稼ぎが良かったので、私達は大変贅沢に暮らしていた。そのため、理由の二つ目は、子どもの進学費を含めた「お金の問題」である。
 子ども二人分の高校と大学進学の費用を、母のパートだけでは賄えないと思っていたのだろう。
 親として、お金の問題で子どもたちが進学できないことは可哀想なことだ。
 あえて意地悪な言い方をすると、「見栄」もあったのだろう。うちの両親は世間体を気にするので、我が子が高卒、もしくは高校中退で働きに出るなんて恥ずかしい思いはしたくなかったに違いない。
 だから、母はいつも「あんたたちが就職したら別れる」と言っていた。

 三つ目は、「親に反対された結婚だった」ことだ。
 実は二人は、両方の親に縁を切られそうになるほど無理やり結婚したので、離婚をして「それ見たことか」と言われたくない、という母のプライドが邪魔をしていたようだ。
 離婚後に「離婚した娘」という肩書で、自分の両親に会うのも嫌だったし、世間から「シングルマザー」として見られるのも嫌だったのだろう。

 四つめは「父に離婚の話をするのが怖かった」のではないかと思う。
 別れるくらいなら殺すくらいのことはしそうな父だったので、もしかしたら今まで子どもには向いていなかった暴力が、その瞬間に「一家心中」に切り替わる可能性がある。母は、そう考えて、離婚を切り出せなかったのではないだろうか、と想像する。
 もしかしたら、この恐怖が一番大きかったのかもしれない。

 同じ女として、「結婚相手選びの難しさ」「結婚後に何があってもいいように自立しておく大切さ」「双方納得の上で祝福されて結婚する重要性」「家族間の問題が深刻化する前に行動しなくてはならないこと」を考えさせられる。

 ちなみに、のちに母は「あの時は、もうどうでもいいと思っていた。私の人生なんてどうにでもなれ、と思っていた」と語っている。
 確かに夫婦喧嘩の深刻化から、DVを受けたことは母の人生で起こったことだ。
 母は、その副産物で子どもが被害を受けたことを、いまだに理解しない。
その事実を受け入れなければ、いつまでも自分は被害者でいることができる。父も母も、自分が「子どもに面前DVをした加害者」だったなんて、一生理解せずに死ぬのだろう。

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