4-4.弟の裏切り

 私達はすぐに新生活の準備をした。
 翌日は月曜日で仕事があるので、シャツのアイロンをかけたり、手持ちの荷物を片づけた。家具家電は全部ついていたので、何も困らなかった。
 夕方に弟からメールの返事が来たが、そこには【ちょっと様子を見て来るわ】と書いてあった。
 私達は実家に帰られては困ると、慌てて電話をしたが無視。【絶対に帰っちゃだめ!父さんに会うな!】と、必死でメールをしたが、返事はなかった。
 後日弟に聞いた話だが、この時弟は、喧嘩のことなど何も知らないフリをして、明るく「ただいま!」と帰り「あれ?なんかあったの?」と聞いたそうだ。
「二人が出て行った」
「なんで?」
「まぁ……喧嘩だ」
とだけ答えたらしく、特に説明はなかったようだ。
 夜になり、父は弟を近所の居酒屋に連れて行った。
 普段、弟と口を利かない父は、適当に沢山食べるものを注文したが、弟は小食で、おかずの好みも合わず、食べきれなかった。
 父はガンガン酒をあおり、「酒が遅い」と店員を怒鳴りつけ、不機嫌な様子で過ごした。食べきれなかったおかずをテイクアウトしたいと希望するも、衛生上の理由で食べかけを持ち帰ることを断られると「じゃあ、全部捨てちまえ!」と、いつものようにテーブルの上を腕で薙ぎ払い、皿やコップを割ったようだ。
 ここで警察を呼んでくれればよかったのだが、相手が新人だったこともあり、店長が出てきて謝罪し、なんと割引券までもらって帰ってきたそうだ。
 そして、酒に酔った父が「どうせしずくの彼氏の不動産屋がやっているマンスリーにいるに違いない」と、ネットで近所のマンスリーマンションを探して、候補のマンションを回ったそうだ。
 私達はそんなことを知らず、テレビを見ていたが、外から男の人の怒鳴り声が聞こえたことで、父が来たことが分かった。
 父はどの部屋かは分からなかったので、建物全体に怒鳴っていた。
「いい加減出てこい!クソ女ども!ここにいるのは分かってるんだぞ!ぶっ殺すぞ!」
 まだカーテンをしていなかったので、レースだけの状態で顔を出してはまずいと思い、息をひそめていた。
「次、行くか」
 十分ほど怒鳴ると、あっさりと別の候補のマンションに向かった。
 ここでも、誰か警察を呼んでくれればよかったのに、本当に現代はそういう人がいない。
 夜が更けて、もう寝る準備をしていた時、母のケータイが鳴った。
 それは弟からのメールだった。
 文面は【お前たちが帰ってこないなら、弟を殺すぞ】というものだった。
父は契約上メール機能のないケータイを使っていたので、弟にメールするように命じたのだろう。
 私達が迷っていると、【殺す】【殺すぞ】【いいんだな?迷っている暇はないぞ】【お前たちが殺したんだ】【返事をしないと殺すぞ】と何通も「殺す」というメールが入った。
 私は「何故弟が裏切ったのか、確かに信頼関係などなかったが何故この一生に一度の大事な日に裏切るんだ」という方に感情が傾いていた。そして、「もうそれでいいや」と思った。
 私は自分で選んでここに来た。
 弟は私達が声をかけたのに、自分で選んで父のところに行って、殺されかけている。
 誰が悪いの?弟だよね。
 私の判断ミスではない。
 私はこちらに来るように指示をした。
 革命に犠牲はつきものだ。
 だから、このまま弟が殺されて、血だらけの弟の写真が送られてくる未来を想像していた。そうなれば確実に離婚できるだろうし、父も警察に捕まるだろう。それでよかった。
 後から母に何か言われても「判断が遅かった私が悪かった」と私のせいにしてくれて構わなかった。
 どうせ今までのことも、全部私が悪いと言われて育ったのだから、弟の死くらい背負って生きていくつもりだった。
 しかし、何通もくる「殺す」というメールを見て、発狂した母は、いきなり部屋を出て行った。とっさに追いかけた。
 私達は歩いて20分ほどの近所に住んでいたので、説得をする暇もなかった。短い追いかけっこの末に、瞬く間に実家にたどり着いてしまった。
 エレベーターの中で「どうするつもりなの?」と聞いたが、母は答えなかった。
 部屋に入ると、弟は普通にテレビゲームをしていた。
 父も酒を呑んで、つまみに臭い珍味を食べていて、家はきれいだった。
 息を切らして帰ってきた私達を見て、にやりと笑った。
「まぁ、座れ」
と言われたが、私達は立ち尽くしていた。
 すると、父が床に膝をついて、急に土下座をした。
「今回のことは、今回の件だけは俺が悪かった。謝るからな。ほら見ろ。この通りだ」。
 そう言って父は浅く頭を下げた。
 床に額はついていなかったし、1秒ですぐ起き上がった。
 母は泣き崩れた。
 私は感情が死んでいて、何も感じなかった。
 父は弟に声をかけた。
「よし、布団を取りに行くぞ」
「私は絶対に戻らない!」
 私がそう叫ぶと、父は不思議そうに首をひねった。
「母さんが戻ってくれば、お前はいらないよ」
 父が依存しているのは、あくまでも母だ。
「今日はもう皆それぞれの部屋で寝て、それぞれ考えて、明日改めて話をしよう」
 弟の提案に、父も納得した。
 新居に帰らなくても布団はいっぱいあった。母は、和室に三人分の布団を敷いて、母と弟と私、三人で寝た。
 普段は眠れない私も、もう疲れすぎていて、気絶するようにすぐに寝た。
 それでも、ここを出る意思は固かった。

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