5-10.産後は夫と険悪になる
沢山の育児書を読んでいると、どの本にも「子育ては一人じゃ無理、夫の協力が必要」「夫にはなるべく家事を手伝ってもらうように」と書いてある。夫関連で私が特に気になったのは「子どもを産むと、子どもを守りたい母親の防衛本能で、どんなラブラブ夫婦も、夫と険悪になる時期がある」という説だ。
夫とは、お付き合いの期間も、結婚後も、妊娠期も、ラブラブだっだ。私は俗にいうバカップルみたいな感じは苦手だ。だからと言って、恥ずかしがって何も伝えない生活をすると、すれ違うだけだと思う。意識的に「そういうところが好きですよ」とか「今のとても嬉しかった」とか「愛されている感じがする」と声に出すようにしていた。その方が相手も喜ぶし、関係がうまくいっていた。
そのため「うちは大丈夫!」と思っていたが、確かに産後は夫にイライラすることが多かった。
特に産後二か月から八か月くらいまでは「育児をしないなら帰ってくるな」とさえ思っていた。私が授乳中で身動きが取れず、嗜好品が摂れないのに、帰宅後に自分だけお酒を呑んだり、コーヒーを飲んだり、ゲームをしたり、楽しい時間を過ごしているところを見ると「朝も昼も夕方も私が育児をしているのに、夜も代わってくれないのか?夜中だって私がおっぱいをやっているのに」と、恨めしく思った。
夫だって日中遊んでいる訳でないので責めるわけにもいかず、心の中で悶々とするだけに留めた。
ママ友たちは、楽しい会話の中で自分の夫の悪口を言うことも多かったが、私は絶対に外で夫の悪口を言わないようにしていた。
それを言ってしまうと、「私はこんな夫しか捕まえられない女です」「私は外で働く苦労や、家にいる時間は休みたい夫の気持ちを察せない女です」「ストレス漬けの毎日なんです」と発表してしまうことになる。それに夫の悪口を脳内で考える時間を作りたくなかった。思考はいつか言葉に変わる。だから、「あるよねー」「わかるー」と言うだけにしておいた。
すると、発言に気を付けるだけで思考も変わってくる。「私も疲れているけど、夫も疲れているし」と思えば恨まずに済んだ。そもそも期待しないことで、夫が子どもを見てくれた時は、予想外の喜びをたっぷり感じることができたし、束の間の休み時間を得てホッとできた。
子どもが生まれるまでの夫婦生活三年で、なるべくお互いにプラスになることを声に出す習慣が、夫にもついていた。「今日もお疲れ様」「洗濯ありがとう」「このおかずおいしいね」と意識的に声をかけてくれるようになっていたのが、大きかった。
娘ちゃんが一歳を過ぎると、夫と関係はラブラブに戻った。きっかけは特になかった。この一年の間、イライラすることもあったが、決して傷つけ合わなかったので、すんなりラブラブに戻れた。本当に良かったと思う。
恐らく多くの夫婦は「結婚後や産後に、夫と険悪になる未来」なんて想像していないだろう。だから急に相手に嫌なことを言われると気軽に喧嘩をしてしまい、喧嘩癖が付くと、モラハラを受ける可能性の種をまいてしまうことになる。私はそれを正しく怖がることができたので、まず、嫌なことを言わない、言われないように防御する、言われてしまっても冷静に「今の言い方は酷い。やめて」と指摘して怒らない、そもそも喧嘩はしない、喧嘩していないけど「悪い方がちゃんと謝る」という仲直り習慣を持つ、ことができたのだと思う。
産後もカウンセリングに何度か行った。預けるところがなかったので、子連れのまま行くと、心理士さんがめちゃくちゃ喜んでくれた。あんなにボロボロだった私が、こうして子どもを抱いて、笑顔でカウンセリングに通っていることを喜んでくれたのだ。夫にイライラしていた時期も、カウンセラーさんに愚痴を聞いてもらったのが良かった。最近は定期的ではなく、行きたい時だけ予約をする形に変えて頻度が落ちたが「いつでも相談に行ける」と思っているので、不安はない。
夫は普通の人、私は精神的にダメな人。
でも私がきちんと「吐き出せる場所」を持ち、自分のケアを怠らないことで、皆がホッとできる家を維持したい。
娘ちゃんには、夫婦が想い合って生活するところを見せることで、素直に話せる子どもに育ってほしいと願っている。
私もこれからもっと沢山笑いたい。娘ちゃんにも、沢山沢山笑ってほしい。私は自分の子を、私と同じ人間にはしない。親と同じ過ちは犯さない。
これが私の、三十三歳までの人生だ。
(本来の完成原稿では、この章はここで終わりですが、ここから2年経ったので、次回は書き下ろしで近況を掲載します)