4‐1.地獄の新入社員時代

 就職試験は面接のみで、楽勝だった。
 当時の局長と少しお話をしただけだ。
「はつらつとして、おしゃべりが上手。とりあえず営業からスタートだけど、君なら何を任せても大丈夫そうだ」
と即採用をいただいた。
 父のせいで男性は苦手だったが、優しそうな局長で、安心した。
 社長は女の人で、言い方がきつく、少し怖い人だった。
 しかしそばにいると、すごく仕事ができて、対応が早くて、周りをよく見ているのだと気が付き、すぐに尊敬した。
 社長は、ファッションに興味のない私に、ジャケットをくれた。明るい色を着るようにアドバイスしてくれたり、社長が一人でランチに行きたくない時にご馳走してくれた。
 男性のような印象の物言いで「お前には期待している」とよく言ってくれたので、怖かったけれど信頼していた。怖かったけれど、怒鳴る人ではなかった。
 しかし、その会社はトラブルを抱えていた。
 放送局として借りている建物が特殊な事情を抱えていたため、もう貸したくないと思っている住民団体から、出ていくように抗議されていたのだ。
持ち主とはきちんと契約を交わしているので、問題なかったのだが、一部の住民が明け渡しを求める団体を作り、業務中に怒鳴り込んでくるようになった。
 それが私のトラウマに触れるようになる。
 父より上の年齢の怖い男性が三~四人、時々やってきて、怒鳴り散らした。机や棚のものを落としたりした。
 いつもは開けっ放しにしている建物の一番外側のフードを、私達の持っていない鍵で閉めて出られないようにされたこともあった。
 放送中のスタジオにも入ってきて、「いつ出ていくんだ!」と耳元で怒鳴られた。
 下っ端だった私は、散々怖い目にあった後、社長に「片づけてちょうだい」と言われて、会社の中を元に戻す作業をした。
 私は、「怖い目にあった後の片づけ」が心の傷に沁みた。この時間は私が受けてきた虐待そのものだった。静かな空間で、片づけをしていると、頭の中に、父の怒鳴り声が聞こえてきた。DVの光景がフラッシュバックして、手が震えた。
 耳をふさいで「わああああ!」と叫び声をあげてしまったこともある。
 そして、いつまたあの団体がくるのか、ビクビクして生活した。
 毎日どうやって逃げ出そうか考えたが、恩師が紹介してくれた職場を早々に辞めるわけにはいかなかった。

 人手が足りない局だったので、大学四年の夏にはアルバイトで入社していた。試用期間を学生時代に消化し、本採用の四月から、朝放送を任されるようになった。
 毎週水曜日の朝、三時間の生放送を一人で担当していたのだ。
 自分で選んだ曲を、自分でかけて、自分で選んだニュースを読み、自分でCMボタンを押して、自分でメールを読んで、メールをくれた人に向けてしゃべるスタイルのものだ。
 ディレクターはいない。私がディレクターであり、私がパーソナリティーだ。完全に私の責任で、私の判断で行われる、私だけの生放送なのだ。
 しかも、デビュー前に一度しか練習時間がなく、ドタバタのデビューとなったが、公共の電波にのせて、マイクに向かって話をすることができた。
 アナウンサーではないけれど、原稿を読んで、朝のニュースを伝える仕事ができて、最高だった。
 ただ、自分の親世代が聞いているラジオだったので、若い曲はウケず、選曲に苦戦し、うちの母に頼むことにした。私は音楽にそんなに興味はなかったが、うちの両親は音楽が大好きだ。自分たちの青春の曲を季節に合わせて選んでくれて、母も楽しんでいた。
 レンタルショップでCDを選んで、色々聞いて選曲し、楽しそうにしている姿を見て、父も「こういう曲をかけてほしい」と母にリクエストするようになった。自分の娘がラジオに出るという楽しみで、水曜日の朝は、オンエアを夫婦そろって聞いていた。

 私の就職と、父の定年退職が重なったので、両親は退職金で放送局の近くにマンションを買った。私もそこに同居していた。
仕事のストレスがない父は、すっかり落ち着いたようで、何日も何日も暴力のない日が続き、私は新しいマンションが好きだった。
 暴力の思い出のないわが家に、安心して帰って来ることができる生活が嬉しかった。
 会社ではビクビクしていたが、家に逃げ込めばもうあの団体が来ることはないので、安心できた。
仕事のストレスで少し不眠気味だったが、家が平和だというだけで、他に何も望むことはなかった。

 ある休日、母が選曲をしていると、父が思い付きでリクエストをした。
全体のバランスを大事にしていた母は、急にテイストの違う曲の提案をやんわりと拒否した。
 思えば、この頃は、オンエアを聞いても、父がリクエストした曲が、母に採用されないことが何度も積み重なっていた。
「今回は難しいなぁ」
 母は決して嫌な言い方をせず答えたのだが、父は急に火が付いたようにキレた。
「俺を仲間外れにして、お前たちだけで楽しいことをしやがって!こうしてやる!」
 父は母のCD棚を倒して、散らばったCDケースを何度も踏みつけた。スリッパをはいていたので怪我はしなかったが、CDケースはバキバキに割れてしまった。枝状にひびが伸びて、酷い割れ方をしているCDケースは、私の心そのものだった。
 私は、あの包丁事件以来、もう二年半も父のDVを見聞きしていなかったので、ショックが大きかった。
 職場にも怒鳴る人が来るのに、家も安心できない場所になってしまったこの瞬間、ついに心が折れてしまった。
 そして、CD棚の破壊だけでは満足できない父は、いつものように暴れだした。

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