3-2.試し行動
最初は、自治会に所属する心理学部の先輩に面白い先生を教えてもらって、授業に通った。
そこで人の心のもろさや、認知のゆがみ、人間関係についてなど、心理学の基礎を得た。心理学部で一番好きな教授に「家庭内暴力について知りたい」と伝えると、他の教授を紹介してもらって、その人の授業に通うようになった。
そこで、私は「面前DV」という、長年私が受けてきた虐待を知った。
結論から言うと、父が行っていたDVは、心理学用語でいう「試し行動」の一種だった。
父は自分の親から、力や恐怖で縛り付けられる教育を受けてきた。子どもへのしつけや、配偶者に言うことを利かせる手段として、脅しや暴力をふるう方法しか知らなかったのだと思う。
父は自己肯定感が低いのに、プライドが高い。「絶対に人にバカにされたくない」という気持ちが人格の主軸になっているようだ。
しかし、仕事をしていると上司や取引先からバカにされることもある。そこでキレるわけにはいかないので、我慢し、ストレスを抱えていた。
ストレスをぶつけるように、外で不倫をしたり、暴飲暴食の不摂生な生活をした。家に帰ると、家庭を省みない自分のことを尊敬していない妻と、まだ小さい子どもたちが待っている。
その家族が自分のプライドを刺激してきた瞬間がチャンス。すべてのうっ憤を晴らすために、暴力をふるい、家具や道具を破壊し、怖がらせた。
きっと父は、怖がる子どもと、ぼこぼこの妻を見て、一瞬だけ優越感を得ていたに違いない。しかし気の小さい人間なので同時に罪悪感も得ていたのだろう。「こんなことはしたくない。でも俺の力を示すためにはこれしかないんだ」という気持ちだったのではないだろうか。
父は、家のものを壊し、酒をまき散らし、とにかく床を汚すことに執着した。「ほら、片づけろ!」と、母に命じながら暴力をふるったのだ。嫌がらせ行為に満足すると、酒瓶を片手に持ったまま家を出た。
そして、静まり返ったわが家で、私達は後片付けをしていたのだ。
頭を冷やして帰ってきた父は、きれいになった部屋を見て満足そうだった。
これが「試し行動」である。
父は「家族は、俺にこんなにひどいことをされたが、この隙をついて逃げていくことはなかった。家を片づけて、また一緒に暮らすことを望んでいる。いいじゃないか。じゃあ、お前たちが望むとおりにしてやろう。俺は妻にも子どもに、愛されている」と、確認していたのだ。
DV男によくある思考である。
そして、DVはどんどんエスカレートする。どこまでひどいことをしても許してくれるか確認する必要があるのだ。だから、最初は床や壁にものをぶつけるだけだったが、直接手を出してくるようになる。次はもっと固いもの打ち付けて、最後はゴルフバットで殴るなど、どんどん凶器をかえた。
前と同じことをしていても、怖がるリアクションが引き出せないので、自分の力を示せているのか確認できないし、どんどん強い凶器で許されて、愛を確認したいのだ。
逆を言えば、私達が同じ凶器でも同じリアクションをしていれば凶器は変わらなかったのだろう。
残念ながら、学習的に無気力になっていた家族は、もうクタクタだった。 いちいちリアクションしてはいけないと思っていたので、自然に声が漏れてしまうタイミング以外は押し黙っていた。さすがに凶器が変わると痛みや恐怖の種類が変わるので声が漏れてしまうことが多かった。
その結果母の身体はボロボロで、包帯やあざで、とても外を歩ける見た目ではなくなっていった。母は病院に行かず、人目をさけて家に籠った。そういうことも、家に縛り付ける理由となって、「逃げられない安心」につながったのだろう。だから、傷が癒えると「そろそろまた傷めつけてやろうか?」と暴力を振るうので、母は治った腕にわざと包帯をしていることもあった。
試し行動をする人は、確認相手に見放される瞬間までやめられない。そして「ほら、やっぱり俺を愛していないじゃないか」と確認するまでやめられない。
また、父は母の愛を確認するだけでなく、子ども達の恐怖心も試していた。もう二度と子どもが自分をバカにしないように、怖い親だと印象づけることに必死だったのだ。