お金の余裕は心の余裕、かも。
今日はケース会議を見学させていただく機会があった。
「ケース会議」・・・目の前にいる支援を必要としている子どもの事例に対し、支援方針とチームとしての役割分担を決定するための支援会議
今回は家庭環境が絡まったあやとりのようにぐちゃぐちゃなAさんである。個人情報なので内容はほとんど書くことができないけれど、まず家庭を立て直す話の中で驚いたことを2点挙げる。
1.車は資産なので手放さない限り、生活保護が受けられない
→確かに持ち物であり資産だが、今回のケースでは車がないとそもそもの生活が成り立たないものであったため、じゃあその矛盾はどうやって解消するんだ…?と思った。田舎なんて絶対に車無しでは成り立たない。
2.じゃあどうするかというと、車と稼ぎ頭を別の親族所有にして生活保護を受ける
→はぁ~~~!なるほど。物理的に引き離すことは不可能だから、あくまでも別世帯からの援助という形にするのか。勉強になりました。
そして、こういったギリギリの形を取って、生活は成り立ったと判断される。
本題はここからで、じゃあ担任としてそういう背景がある子どもにどう援助するか。というものだった。
……………え!?嘘だろ!?あくまで名義が別に移動しただけで、今と変わらず困窮して家庭内も荒れている暮らしで、学校側に負担求めんの!?と思った。正直言うと。
Aさんの困り行動の1つには、放課後に学校へ訪れて担任に構ってもらうという行為があった。すりむいた、忘れ物をした、といっては学校のインターホンを鳴らして担任を呼ぶ。
担任をしている今、え~~~!1回ならまだしも毎日、しかも1日に何度もなんて、とてもじゃないけど対応できないし、してたら確実に残業祭りだよ……Aさんのことを手のかかる子としてしか見られなくなっちゃいそう………と思ったが、なんとAさんの担任の先生はそれを受け入れ、ある程度の時間をかけて見守っているそうだ。信じられない。素晴らしい人間すぎる。
そしてSSW(スクールソーシャルワーカー)のコメントとしては、愛着形成の時期なのでその行為を否定できない。愛着が形成できるまでは、受け入れる方が子どものためである、将来は確実に少なくなっていくのだから。ということだった。もちろんその時間にSSWが遊んであげたりすることも可能ですけどね、と加えていたが、SSWが来るのは週に1度、しかもたくさんの子どもを抱えている。こちらから遊んであげてください、なんて言えるわけが無い。
しかしどうだろう、1週間前、いや、2学期が始まる3日前までは私も同じことを言っていただろう。だってちょうど愛着の研修を受けたばかりで、幼少期におけるアタッチメント形成の大切さを学んだのだから。夏休みで心身ともに余裕がある時に言える正論と、日常が始まり、やるべき事が膨大で目まぐるしい今では、立場も考えることも全く逆である。大学生の時に心理学を学んでおり、その時も知識と正論をレポートに並べて満足していたように思う。傲慢だった。ただ、心理学を学んでいて楽しいのも嘘偽りない事実である。そして思った。
結論:心理学の面でいう他人の援助は、まず自分の心に余裕が無いと無理
ボランティアなどの無給で行うものに限らず、金銭が発生する仕事でも余裕が無ければ子ども相手ですら考えることができない。最も、膨大な額を積まれれば別だが、それも心に余裕がある、という状態なので結論は正しいと思う。こんなのどこでも聞いてるし知ってるよ、と思われるかもしれないが、夏休みと2学期のはざまで、こんなどんぴしゃ体験をして、改めて文字に書き起こしたいと思ったため文字起こしをしました。
あーーーー、教員の給料が5倍になって仕事量が半分にならないかなぁ、そしたら通信大学で趣味程度に心理を学び直したいなぁ、
おわり。
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