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虫がいない 丸山宗利
文・丸山宗利(九州大学准教授)
私は幼いころから昆虫が好きで、いまは大学の教員として、その研究と図鑑制作などの普及啓発を生業としている。ここ20年くらいは研究の都合上、海外で昆虫の調査をすることが多かったが、昨年は日本産の昆虫の図鑑を作るために、久しぶりに国内のあちこちで昆虫採集をした。
昆虫探しの日々で実感したのは、「虫がいない」ということである。もちろん、まったくいないわけではないが、とにかく数が少ない。いや、少なくなったというのが正しいだろう。私は甲虫というカブトムシやタマムシを含む一群を得意とするが、30年近く前の学生時代を思い出すと、1日で50種以上の甲虫を採集することは決して難しくなかった。昆虫採集はなかなか奥深く、たくさんの種を採集するには、かなりの知識と技術を必要とする。しかし昨年は、これまでに培った経験をもってしても、その数にはおよばなかった。森にでかけても本当に虫を見かけないのだ。
ちょうど60年前にレイチェル・カーソンが『沈黙の春』という本を出版し、おもに農薬使用に起因する生物の減少が社会問題として取り沙汰された。実はいま、その当時よりひどい状況が進行している。
いちばんの原因が地球温暖化にあることは間違いなく、昆虫の生息状況にも大きな影響を与えている。たとえば、よく調べられているチョウをとってみると、これまで日本の温暖な地域にしかいなかったものが、どんどんと北上し、生息域を広げている場合がある。東京で育った私が子供のころに憧れ、当時は西日本にしかいなかったナガサキアゲハも、いまでは東京都心部でもっとも普通に見られるアゲハチョウとなっている。
これだけ聞くと、暖かくなって良かったと思う人もいるかもしれない。しかし違う。温暖化は猛暑による夏季の極端な乾燥や集中豪雨などの気候の変化をもたらし、それらが多くの昆虫の生息に打撃を与えているのだ。たとえば私が現在住んでいる九州北部では、低地の森林が乾燥し、過去に記録のあった多くの昆虫が見られなくなってしまっている。また、日本アルプスなどでは、寒冷な気候を好む昆虫が生息できなくなり、姿を消している例も少なくない。チョウはあくまで例外であり、気候の変化はあまりに急速で、移動能力の低い多くの昆虫は、それに対応して生息地を変えることができないのである。
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