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塩野七生 ロックダウンしなかったヴェネツィアの例 日本人へ特別編
交易立国による史上初の疫病対策は、「検疫(Quarantine)」の語源になった。/文・塩野七生(作家・在イタリア)
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▶︎世界初の公的な検疫システムを確立したのは中世のヴェネツィア共和国だった
▶︎経済人の国であるヴェネツィア人は、リスクがゼロなんて有りえないことを肌で知っていた
▶︎ヴェネツィア人は、文学作品は産まなかったが、検疫システムを確立し、それを400年も続けた
塩野氏
無人のスペイン階段
2021年1月12日、今日のローマもいかにも南国らしい快晴。ただしロックダウン一歩手前という感じのオレンジ色に区分けされてしまったので、ウィークデイというのに人通りは極端に少ない。街中に出てみることにした。都心に住んでいるので、歩きまわるのも都心中の都心になる。
まずはポポロ広場に出て、そこからはスペイン広場に向う。そこへの道の両側は有名ブランドの店が軒を並べているのだが、人通りは少ない。バーゲンセールの時期に入っていて、上級店では4割、並の店では5割、その下になると7割もの割引なのに、店内で目立つのは手もちぶさたの店員だけ。
スペイン広場からあがって行くスペイン階段も、常ならば階段に坐わる人々で埋まっているのに、コロナ騒ぎは彼らまで一掃してしまった。広く高くつづくスペイン階段に現われる人はほとんどいない。しばらく無人のスペイン階段の美を賞(め)でていたが、そこに坐わってタバコを満喫しては、と思いつく。
ところが、階段を10段ほど登って、さてそこに坐わって火を点けようと思っていたら、広場にいた警官が2人急いで登ってきた。しかし、警官とてイタリア男。いきなり住所氏名を問うなどはしない。言葉もおだやか。
「どうやらシニョーラは事情に通じていない外国の方のようだから」と言って、オレンジ色に色分けされているローマでは外で坐わることも厳禁なのです、と言う。これに反すると、告訴され裁判では弁護士を立てて、という事態になるのだそう。取り出そうとしていたタバコも箱にもどし、坐わるのもあきらめ、スペイン階段を後にするしかなかった。
一休みすることさえできないからやむをえず、スペイン広場からテヴェレ河に向って走るコンドッティ通りに入る。ここはブランド中のブランドが並ぶ通りだが、しかも今は4割は安く買えるのに、人通りとなると10メートルに1人か2人、の感じ。BARは開いているのだが、コーヒーを飲むにも店の中ではダメで、プラスチックのコップに入れてくれたエスプレッソも、店の外に出てそこで飲むのならばOK。立って飲む習慣のない私は結局、どこにも坐わらずどの店にも入る気になれず、都心部を一巡しただけで家にもどるしかなかった。
スペイン階段
ロックダウンによる精神の荒廃化
1年前、コロナの第1波を受けてロックダウンを強いられていた当時、ローマっ子や観光客のいない永遠の都の美しさに感嘆した時の想いは完全に消えていた。イタリア人の心は荒廃する一方であることを、痛感するしかなかったからである。
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