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贅沢は味方。生物学と子ども心、人を人たらしめるもの。

「人はパンのみで生きるのではな」いのは、なぜ?

どうして動物のようにただ生きるのではなく、
この世界について知りたいとか、新しいことで自分を試したいという欲求があるんだろう。

ただ脳が発達し過ぎてしまった、本当にそれだけなのか…と考えたことはありますか。


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生物学者・福岡伸一と作家・阿川佐和子の対談本『センス・オブ・ワンダーを探して:生命のささやきに耳を澄ます』のなかで

ヒトはサルのネオとテニーとして進化した
という一説が紹介されていた。

*ネオテニー(幼形成熟)とは、幼生のときの特徴を残したまま成体になる現象のこと。ウーパールーパーが赤ちゃん顔なのはネオテニーの代表例らしい👶🏻

“しかしネオテニーは外見以上に、意外な要素を含んでいる。子どもの期間が延びるということは、それだけ柔軟性に富み、好奇心に満ち、探索行動が長続きするということである。つまり学びと習熟の時間がたっぷり得られることになる。”

同著 p.6


な、なーんておもしろい説!

ほかの大型哺乳類にも、子ども時代にじゃれや甘噛みといった「遊び」を通して群れの掟を覚えたり、エサの取り方を学んだり、身のこなしを洗練させたりするものは少なくない。

子ども時代は、よりよく生きるための準備期間ともいえるのかもしれない。


そしてヒトは種全体として
「子ども時代性」を帯びており、
遊びや学びの色が濃い生き物なのかー!と。

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そこから、さきの朝ドラ『虎に翼』に飛びまして🐅🪽

とらつば42話で、帝大受験のため地方の寄宿学校にいた主人公の弟(直明)が、敗戦後東京へ戻ってきた。そこで描かれたエピソードが胸に残っている。

学校は空襲で燃えてしまい、なし崩しのように卒業。戦争の影響をまぬがれず家の状況も厳しい。

家族のために「進学はやめて働く」とあかるく宣言した直明だったが、夜の台所でひとり本を読む姿に姉である主人公は出くわしてしまう。

汽車代のため持っていた本を売ったけれど、これだけは手放せなかったという1冊の本。
内容もすっかり覚えてしまったが、眠れないとき文字を読むだけで落ち着くのだと。

その話を聞いた主人公が、自分の持っていた法律の本を彼に渡したときの、ぱあっと輝いた表情が忘れられない。

センス・オブ・ワンダーの光に照らされた
子どものような顔。この壁画の子みたい!


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戦火やひもじさにおびえることなく自分の布団で安心して眠りたい。
誰にでもそう願う権利があるし、叶えられるべきだと思う。

そして、何かを学びたいとか世界を広げたいとか美しいものにふれたいと願うことも、決して贅沢な欲なんかではないと思うのだ。

それは私たちが持つ根源的で自然な欲求であり、不要不急のものなんかではないのだ。

大義やシステムが暴走してしまうと、まっさきに軽く見られ、弾かれてしまいかねない領域だけれど。


むしろ、「無くても生きていけるもの」を求める心こそ、人を人たらしめることができるんじゃないだろうか。
それこそが、豊かさなんじゃないだろうか。


“ 贅沢は味方 もっと欲しがります負けたって ”

大好きな『キラーチューン/東京事変』に
あらためて聴きほれる夜🍎




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食べるこ日記 Day05
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たべっ子どうぶつ こだわりのバター味🐑🧈しみっしみのしょっぱいバターのやつが何個かに1個出てきて止まらない。近くの店でこだわりのチーズ味も見つけてしまい、あとは時間のモンダイ。




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