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グッドとバッド (ディストピア)

今ユーチューブを見ていて、情報として間違ったものが入ってるのでバッド(低評価)したいなあと思うが、この問題を取り上げていること自体は評価したいなあ(高評価)という気持ちになったが、ここはやはりグッドとバッド、つまり◯と×の中間、△が必要なのだと、あらためて思った。

△の機能の部分は、コメント欄などで補っているのだろうが、コメントを残す人よりは残さない人のほうが多いと思うし、◯と△と×の意見が混在しているので、△の意見だけ読んでみたいときには役立ちにくい。

×の評価は、その場の、感情的な意見がほとんどだろう。主観が主な意見だ。そして、批評というより否定の意見が多いだろう。そして、投稿者と視聴者、あるいは視聴者と視聴者が、お互い自分の意見を言い合うだけで、そして、どちらも意見を変えるつもりはない場合が多く、あまりいい議論とはならない。

◯の評価は、これも主観の話で、自分の嗜好にあっているかどうかだ。

△の評価は、◯と×に比べて、性質的に、主観的な要素よりも客観的な要素が多くなるだろう。


客観的なもの、公平なものを目指していると言っていそうなグーグルが、△の評価を用意せず、◯と×だけの評価軸しか私達に用意していないのは、なぜだろうか?

そこに現れている設計思想は、われわれをどこへ導くだろうか?


「権力の目的は権力だ」という言葉が、ジョージ・オーウェルの『1984年』の中で出てくる。そこの部分を、ちょっと長めの引用をしてみよう。


「永遠なのだ!」彼は繰り返した。「そこで『方法』と『理由』の問題に立ち返ってみよう。党が権力を維持する方法についてなら、君はよく理解している。さて、それならわれわれが権力に執着する理由は何だと思うかね。われわれの動機は何か? 一体どうしてわれわれは権力を欲するのか?」ウィンストンが黙っていたので、彼は付け加えた――「さあ、言ってみたまえ」
 それでもウィンストンはしばらく口をつぐんだままだった。疲労感ですっかり気が滅入っていた。オブライエンの顔には狂気じみた熱狂のきらめきがかすかながら戻って来ていた。オブライエンの言いそうなことはもう察しがついている――党は利己的な目的で権力を追求しているのではなく、大多数の利益のためである。党が権力を追求するのは、人間が全体として意志薄弱で臆病な生物であって、自由に耐えることも真実と向かい合うこともできないから、自分よりも強い他者によって支配され、組織的に瞞着(*まんちゃく……ごまかすこと、だますこと)されなければならないためである。人類は自由と幸福という2つの選択肢を持っているが、その大多数にとっては幸福の方が望ましい。党は弱者にとって永遠の守護者であり、他者の幸福のために自らの幸福を犠牲にしてまで、善を招き寄せようと悪を行う献身的な集団なのだ。このようにオブライエンの発言を先取りしたウィンストンが恐ろしく思うのは、自分がこうした主張を信じてしまいそうなことだった。相手の顔にそう書いてあるのが分かる。世界が現実にどのような状態にあるか、大多数の人間がどれほど堕落した生活を送っているか、党がどのような嘘と残虐行為によってかれらをそうした状況に閉じ込めているか、オブライエンはウィンストンの千倍も熟知している。彼はそれをすべて理解してしまい、すべて計算してしまった上で、そんなことは問題ではない、究極の目的によってすべては正当化される、というのだ。ウィンストンは思う――自分よりも高度の知性を持った狂人に対して何が言えるというのだ? こちらの言い分に十分耳を傾けながらも、自らの狂気じみた主張をやみくもに押し通す人間に対して?

「あなた方がわれわれを支配するのは、われわれ自身のためです」彼は弱々しく言った。
「あなたがたは人間には自らを律するだけの能力がないと信じており、それゆえに……」
 彼はびくっとして危うく悲鳴を上げそうになった。身体中を激痛が走った。オブライエンがレバーを強度35まで上げたのだった。

「なんと馬鹿なことを言うのだ、ウィンストン、馬鹿げたことだ!」彼は言った。「そんなことを言うほど愚かだとは思わなかったぞ」
 彼はレバーを戻し、ことばを続けた。
「では、わたしがその問いに対する答えを教えよう。こういうことだ。党が権力を求めるのはひたすら権力のために他ならない。他人など、知ったことではない。われわれはただ権力のみに関心がある。富や贅沢や長寿などは歯牙にもかけない。ただ権力、純粋な権力が関心の焦点なのだ。純粋な権力が何を意味するのかはすぐに分かるだろう。われわれが過去のすべての寡頭政体と異なるのは、自分たちの行っていることに自覚的だという点だ。われわれ以外の寡頭制は、たとえわれわれと似ていたものであっても、すべてが臆病ものと偽善者の集まりだった。ナチス・ドイツとロシア共産党は方法論の上ではわれわれに極めて近かったが、自分たちの動機を認めるだけの勇気をついに持ち得なかった。かれらは自らを偽ってこう述べ立てた――いや、あるいは本当に信じていたのかもしれない――自分たちは止むをえず、そして暫定的に権力を握ったのであり、その少し先には人間が自由で平等に暮らせる楽園が待っているのだ、と。われわれはそんな真似はしない。権力を放棄するつもりで権力を握るものなど一人としていないことをわれわれは知っている。権力は手段ではない、目的なのだ。誰も革命を保障するために独裁制を敷いたりはしない。独裁制を打ち立てるためにこそ、革命を起こすのだ。迫害の目的は迫害、拷問の目的は拷問、権力の目的は権力、それ以外に何がある。そろそろわたしの言うことが分かってきたかね?」

ウィンストンは前にも驚いたのだが、オブライエンの顔に浮かんだ疲労の色に、またしても唖然とした。逞しく、肉付きのいい、情け容赦のない顔で、知性と抑制された情熱といったものに溢れていて、目の前にするとこちらが無力感を感じてしまうのだが、しかしその顔は疲れ切ってるのだ。目の下は腫れて、頬骨の下の皮膚が垂れている。オブライエンが彼の上に身体を乗り出し、疲れた顔をわざと近づける。
「君の考えているのは」彼は言った。「わたしの顔が老け込んで、疲れているということだな。権力の話をするわたしが自分の身体の衰えすら阻止できないではないかと思っている。だが、分からないか、ウィンストン、個人は一つの細胞にすぎないのだ。細胞の消耗は組織全体の活力になる。誰も指の爪を切って死にはしない」
彼はベッドから離れると、片手をポケットに入れて、その場をぶらつき始めた。
「われわれは権力の司祭だ」彼は言った。「神が権力なのだが、まだ今のところ、君にとって権力は一つのことばに過ぎない。権力が何を意味するか、そろそろ君なりに考えをまとめてもいい頃だろう。最初に認識すべきは、権力が集団を前提とするということだ。個人が個人であることを止めたとき、はじめて権力を持つ。…………

『1984年』ジョージ・オーウェル 訳:高橋和久 早川書房   p406~p409


ありきたりな話になってしまうが、やはり、一人ひとりが自分の頭と身体で考えることが、大事だということか。権力が抜き差しならないところまで行く前に。

◯と×しか用意してなければ、そういうものだと、世の中には◯と×しかないと、信じ込んでしまう。信じ込まされてしまう。しかし、世の中には△があり、そして、△こそが重要なのである。

◯(高評価)はうれしいものだが、それは、「このままでいいのだ、オレは一切間違っていないのだ、だって◯(高評価)なのだから」と、作者を増長(つけ上がって高慢になること。)させる方向に向いがちだろう。これは、投稿意欲を増すためにはいいだろうが、だが、結局◯が押されそうなものが投稿されるという、おもしろくない結果に終わるだろう。

×(低評価)は、確実に投稿者に傷を与える。投稿者は萎縮し、やる気をなくしてしまうだろう。悪口というのは、実際に、効果的な、精神的ダメージをおわせることができるものなのだ。

ここで、やはり、△が大事なのだと、改めて問いたい。

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メタモル・あうと郎
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