SEIJI|書を捨てずに町へ出よう《1》|四国・四谷シモンドール巡礼記
皆様は、四谷シモンというドール作家をご存じだろうか。
おそらく、現在日本にあるドール文化、球体関節人形というジャンルがここまで大きくなったのは、彼の創作活動のおかげであると思う。20世紀には寺山修司や唐十郎などの演劇と結びつき(実際、四谷シモン氏自身も女形として芝居に出演されていた)、どことなくアングラな雰囲気を漂わせていた「人形」ジャンルも、今では数々の大手メーカーが「キャストドール」として製品化し、専門のショップがいくつもあるなど、だいぶ明るい印象にはなった。いわば四谷シモン氏は、この分野における始祖のような方である。
実は最近、こうしたドールの「夜明け」を決定的なものとして実感する機会があった。四谷シモン人形館・淡翁(たんおう)荘への訪問である。これが今までにない人形体験だったので、ちょっと皆様にもお伝えしなくては、と思った。
そもそも、淡翁荘は香川県の坂出市にある。うどんが有名な讃岐の国である。東京からは、高松空港まで飛行機で飛び、そこからバスで向かうというのが一般的なアクセス。ひとりのドール愛好家として、ぜひ訪れておきたい場所だったのだが、このたび念願叶ったというわけだ。
雨風吹きすさぶ羽田空港から、30分遅れで離陸。かなり揺れてひやひやしたが、着陸もまた濃霧の高松空港に突入するかたちであった。
香川といえば水不足のイメージだったけれども、わたしの初・香川は豪雨と曇天が強い印象として残ることになった。
空港からは、ヤドンバスで坂出に向かう。小さい頃からポケモンファンでもあるわたしは、うきうきが止まらない。(いつも好きな芸術作品を見に行く前は厳粛な気持ちになるのに、この日はそんなことはなかった)
ちょうどお昼どき、せっかく讃岐に来たのだからと、淡翁荘の近く(徒歩10分くらい)にある日の出製麺所で釜玉うどんをかきこむ。
お客さんは、観光客と地元の方で半々くらいだったろうか。薬味とつゆはテーブルの上にあってセルフ式。温泉卵は入れたら自己申告制。
つゆの分量とか、薬味の量とかの正解が不明なのであの味がベストだったのかわからないが、とにかくコシがあって美味しかった。もっとゆっくり味わいたいところだったが、12時半の閉店ぎりぎりに行ったので仕方なし。もし淡翁荘に行かれるさいは、日の出製麺所もぜひおすすめである。(営業時間には注意)
淡翁荘は、鎌田醤油という歴史あるお醤油屋さんの敷地内に建っている洋館である。どうしてここが四谷シモンドールの棲みかになったのかというと、鎌田醤油の社長である鎌田さんが、四谷シモン作品のコレクターで、もともと迎賓館であった建物をそのままギャラリーにしたのだという。
なにげに、塩や醤油など地元の産業から出た利益が最終的にドールに繋がっているのは、すごいことではなかろうか。淡翁荘で展示が始まったのが2004年、その頃はまだ今ほどドール文化がメジャーではなかったから、鎌田さんの「本気」を感じる。
雨風に追い立てられるようにして館に入ると、ようこそお越しくださいました、とまるで親戚のおうちに来たかのような安心感をもって、受付の方(以後、親しみと敬意を込めて、おばちゃまと呼ばせていただく)が出迎えてくださった。おばちゃまは、人形館だけでなく隣にある醤油絵の資料館(もとは昔のお醤油屋さんだった古い建物)から順番に、ほんとうに丁寧な説明をしてくださり、まったく予備知識のなかった讃岐の産業や醤油絵についてもよく理解することができた。この醤油絵もたいへん興味深く、いろいろと語りたいところなのだが、長くなりそうなので割愛。ひとつだけ、醤油で描かれた絵なのだから醤油のにおいがするのではと思っていたが、意外にも無臭であった。
そして、いよいよ四谷シモンドールと対面のとき。一階のドールや、建物の特徴をおばちゃまが一緒に歩きながら、ひとつひとつ解説をしてくださる。
おばちゃまの口から誇らしげに語られる四谷シモン氏の半生は、やはりアングラかつ刹那的であるけれど、けっして他者を寄せつけない孤高の者、というわけではないように思えた。四谷シモン氏の生き方とドールが、こうしてこの四国の地で、おばちゃまや鎌田醤油の人たちに受け入れられているという事実が、なぜだかわたしをほっとさせた。
ここにいる四谷シモンドールは、孤独(ひとり)ではなかった。
ここのドールたちは、美術館のように飾られているのではなく、館のあちこちのドアや押入れや、お手洗いだった場所を展示スペースとして、まるで「棲んでいる」かのように佇んでいる。なので、ドールにあまり馴染みのない方は結構びっくりするかもしれない。
(ただ、おばちゃまが一緒であれば「びっくりポイント」をある程度おしえてもらえるため、心臓にはやさしい)
二階に飾られているドールたちは、どことなく対になっているものが多かった。
それから、ひとつの特徴として、この館には男性のドールが圧倒的に多い。わたしはそれらに、四谷シモン氏の自画像的なイメージを読みとって、あまりまじまじと見つめたり、近くで写真を撮ったりすることができなかった。なんだか、作家本人と対峙しているように思えたからだ。
また、この館には澁澤龍彦氏にまつわる展示物も多い。直筆原稿や、澁澤氏に捧げられた一対の美しいエンジェルたち、など…… 四谷シモン氏にとって、彼の存在はほんとうに大きなものだったらしい。
男性のドールはみな、解剖学の模型のように、己の内部機関をさらけ出し、じっとこちらを見つめてくる。年齢も、少年から壮年までと幅広く、まるでひとりの男性の一生を追っているかのようである。対して、女性のドールはどうか。ドラァグ・クイーンのように誇張された女性性、あるいは白く硬質な少女性。なんだか、両極端である。
ふと、以前に見た寺山修司の舞台『毛皮のマリー』を思い出す。あの演目は美輪明宏氏が主演で、ほかの登場人物(女性役含め)もすべて男性が演じていたのだが、やはり巨大化した女性性が印象的だった。
今よりももっと「男」「女」が分断されていた時代、一方の性はもう一方の性にとって、圧倒的に「得体の知れないもの」で、それを表現するためには、足りない部分を「畏怖」「嫌悪」「憧れ」「欲望」などで埋める必要があった、とわたしは思う。そうした未知の空白はさながら、ヴィーナスの失われた腕である。
あまり男女二元論で語りすぎるのもよくないが、ジュール・ヴェルヌの小説に例えるとしたら、四谷シモン氏にとって男性ドールは地底旅行、女性ドールは月世界旅行のような身体的探求だったのかもしれない。
最後に受付で大判の図録を購入したのだが、これもとても丁寧に梱包していただいて、さらにはなんと、わたしが展示を見ている間に、びしょ濡れだった傘も干してくださっていた。結局、おばちゃまには何から何までお世話になってしまった。
当初は、人形館であるからには厳かで緊張感のある空間を想像していたけれど、香川の坂出という土地柄、そして淡翁荘をめぐる人々のあたたかさが、わたしの四谷シモンドールに対する印象をがらりと変えた。
憂いだったり、苦しげな表情を浮かべる人形も中にはいたが、不思議とネガティブな印象がない。そういう点では、負の共感覚に押し流されることなく、人形の美しさそのものに集中できてよかった。
この人形館は、鎌田醤油の売店や郷土資料館、庭園とも隣接しているので、ドールに興味がないという方にも、よき観光地として自信をもってすすめられる場所である。(しかも、郷土資料館、売店、人形館を巡ると特典がもらえる)
ところで、坂出の次に松山へ向かうため乗った特急がアンパンマン列車だった。
四国は、やなせたかし氏にもゆかりのある土地である。そういえば、アンパンマンも四谷シモンドールも、身体の中身が露出しているところが似ている。アンパンマンといえば、自分の顔をおなかがすいた人に差し出す、自己犠牲の頂点のようなヒーローだ。
自分の内面をつねに外から見える状態にするというのは、いつもだれかを受け入れる準備ができていて、自分はこんな人ですよ、と相手を安心させる効果がある。ここまで内面をさらけ出すことは、繊細な人であればあるほど苦しみをともなう行為で、自己犠牲的な思いやりがなければ難しいだろう。
それに、真の意味で純粋な人でないと、できないことだ。
淡翁荘がどうしてこんなにもあたたかな場所だったのだろうと考えたとき、それは四谷シモンドールたちが、自己開示という訪問者を迎え入れる態度をとってくれていたからで、さらにはその思いやりが、鎌田醤油の人たちを巻き込んで、親しみやすい空間を作り出していたからだろう。
もともとの建物が迎賓館だったことも、ドールたちの「在り方」とぴったり一致し、どこか茶の湯の流儀にも似たもてなしを受けた気がした。
今回の旅は、坂出だけでなく、どこへ行っても思いの込められた歓迎をしていただき、すばらしい体験をたくさんすることができた。
四国の地は、こういったアンパンマン的な精神が豊かに育まれる場所なのだろうか?
***
ここには書ききれなかった淡翁荘の感想や、ドール論、そのほか四国の旅行記は、5月21日(土)に開催される文学フリマ(ブース名:青の領域)にて出版する予定なので、ぜひ読んでいただければと思う。
主な内容としては、
・香川〜松山 予讃線の旅
・愛媛松山、道後温泉と松山城パルクール
・多度津から大歩危まで、観光列車乗車記
・琴平、初のこんぴらさん参り(785段を踏破)
・高松から寝台列車で帰京
などなど。
また、この旅行記以外にも、ゴシック・ロリィタ論や長編小説・詩なども頒布する予定。(遠方の方には通販も対応)
乞うご期待……!
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