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エミリー・ディキンソン|気高きは、小さきもの、[55]

Text|Kaede Itsuki

Emily Dickinson
エミリー・ディキンソン|詩
維月 楓|訳


By Chivalries as tiny,
A Blossom, or a Book,
The seeds of smiles are planted---
Which blossom in the dark.

気高きは、小さきもの、
一本の花、一冊の本も、
ほほえみの種は宿され―――
暗闇において花開く。

エミリー・ディキンソン|
Emily Elizabeth Dickinson
(1830ー1886)

 アメリカを代表する19世紀の詩人エミリー・ディキンソンは、自己の内面に一歩ずつ降りていくような詩の語りによって、小さくとも硬質に輝く詩を生み出しました。
 ディキンソンは1830年に厳格なピューリタニズムの伝統が残るニュー・イングランドの田舎町に生まれ、生涯をそこで暮らしました。その独特な詩法から、生前発表された詩はわずか11編、どれも編集者によって手が加えられたものでした。死後、妹が箪笥の引き出しの中に小冊子としてまとめられた詩稿を発見し出版されたことで、今のような高い名声を得ることとなりました。
 
 ディキンソンの詩の魅力は、制限された中での無限性にあるといえます。彼女の人生が小さな世界で完結していたこと、そして詩の言葉遣いにおいても制限を設けることによって、逆にその作品の中に詩人独自の世界が広がっているのが感じられます。
 1850年代の後半ディキンソンが20代後半の頃からは、1886年に腎炎で55歳の生涯を閉じるまで、自宅の敷地内からほとんど出ることがなくなったといいます。そこから、屋敷の中で白いドレスを着て隠遁生活を送る詩人というロマンチックな符号が与えられていたりもします。そのような小さな生活の中で生きたディキンソンは、身の回りのものに詳細な目線を向けることで、豊かで広大な詩世界を作り上げ、生涯で2000編近い詩を書きためました。
 彼女の特徴である言葉を省略する詩法は、もうひとつの制限といえます。言葉を極限までそぎ落とすことによって、つぶやくような印象が生まれ、読者はいったん立ち止まったり何度も考えたりする機会を与えられることになります。ディキンソン独特のダッシュの使用によっても、感覚的に詩を感じる空白が広がるように私たちは感じるでしょう。

 どんどん外へ拡張していくような現代生活を送る私にとって、自己の内面に向かい合うことで独自の世界を作り上げた生き方は、敬愛と憧れを誘って止みません。生前は詩人として顧みられることのなかったディキンソンですが、自分の言葉の力を信じ、どこにいても小さな大詩人でいることは、私たちのあるべき理想の姿のようにも思われるのです。

詩に寄せて——

 エミリー・ディキンソンの詩の魅力は、手のひらに乗るほどの小さな詩の中に、大きな世界が豊かに花開いているところにあります。それは、制限されることによって逆説的に生まれる無限性とも言い換えられるでしょう。
 今回取りあげる詩も、言葉少なに語る小さくまとまった作品であることが見て取れます。この詩は、小さなものへの賛歌であるとともに、ディキンソンの人生や詩に対する宣言として見ることができます。

 一行目から、騎士道精神(Chivalries)に代表される、勇気、高潔さ、信念という通常であれば「大きさ」と結びつけられそうな要素を、小さいもの(Tiny)として表しているところに逆説的なおもしろさがあります。
 二行目では、ディキンソンに特徴的な表現である大文字を使うことで、ふたつのBから始まるBlossom(花)とBook(本)を浮かび上がらせています。花は、そのあとの行でも「ほほえみの種」を宿して暗闇の中で咲く(Blossom)ものとして描かれ、ひっそりと佇むように咲く気高さと美しさが讃えられています。ディキンソンは花をテーマとした作品を多く残しており、植物標本を作っていたことでも知られています。いかに彼女が自然を友としていたか、それと同時に植物学的な興味の深さにも気付かされます。彼女のお気に入りの花と伝えられる菫の花の押し花などがHoughton Libraryからオンライン上で見ることができます。 

 それでは、本は何でしょうか?ディキンソンから読者へのなぞなぞです。答えは簡単ですね。詩人であるディキンソンにとって言葉ほど大切なものはありません。この詩において、ディキンソンは自らの詩作、そして彼女の生き方自体のマニフェストを行っていると考えられます。
 伝統的な詩の形式を離れて編み出した表現方法は、生前には批評家たちに理解されることはありませんでした。この詩においてディキンソンは、たとえ目に見えないところにあっても喜びを宿すことができるものを讃えています。そして、その語り方も声高ではなく、むしろ凝縮し余白を生み出すことによって描きだしているのです。
 家の敷地内からほとんど出ない生活を選んだディキンソンの生き方は、一見狭い世界であるように思われます。しかし、小さな自分の世界を慈しむことに意味があるのだと、孤独でも自らの中に咲く花の茎を折ることなく信じ続けた詩人の姿を私たちは詩作を通して見ることができるのです。

 3行目のダッシュの使い方もディキンソンの詩に独特な表現です。このダッシュがどのような効果を持つのかはたくさんの解釈の仕方がありますが、今回の詩では夢見るような息遣いのように感じられませんか?最後の一行に向かうまでに一瞬の間が空くことによって、その後の「暗闇」の中に読者が導かれていく感覚が生まれます。

 ディキンソンの詩は、そぎ落された言葉、ダッシュの使用といった特徴によって、小さな詩の中に独特の息遣いを閉じ込めています。それゆえに、多くの研究者をも悩ませてきたのですが……。このように感覚に呼びかける詩だからこそ、自分の内側に耳をすまして読む楽しみ方もできるように思います。ぜひみなさんも原文の息遣いを感じてみてください。

 本記事は、モーヴ街7番地《SCRIPTORIUM|菫色の写字室》内「佐分利史子の写字室」と連動しています。

作家名|佐分利史子
作品名|気高きは、小さきもの、[55]
アルシュ紙・ガッシュ・透明水彩
作品サイズ|24cm×26cm
額込みサイズ|29.5cm×32.0cm×3.4cm
制作年|2020年(新作)

 カリグラフィ作品の詳細は以下をご高覧下さい。

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