人生のハーフタイム中
人生はマラソンだ
こんな根性論的な体育会系な例えは最近あまりみないけれど、マラソンだったらまだ良かったなぁとは思う。
マラソン(ウルトラ系は別腹)って距離は42.195キロに決まっていて、シティランはエイドステーションなんてあって沿道では知らない人も応援してくれて...コロナ禍ではそれも幻想になってるけれど。
とにかく明確なゴールが見えてるんだよね。どんなペースで走ろうと、いや歩こうと、42.195キロで終わり!
シビアな時間制限があったりなかったり、どんなコースか名産物のエイドがあるかどうかはもう運で、これは現実社会でいうところの親ガチャ。
でもゴール見えてる、終わりがあれば頑張れるというか。
ただ実際はアメフトとかに近い感じ。しかもルールなし。
危険タックル上等、己の力で時間内闘うのみ。
世間で想定されている家族から大きく外れている家庭に末っ子で産まれた私は、その瞬間からまさに死闘。
前半戦の記憶は正直あまりない。
知的障害がありコミュニケーションのうまくとれない兄からは文字通り身を守る必要があったし、プリントが破られたり朝になったら体操服が水没していて手で絞った状態でこなすか体調不良を装うかする必要があったし、細かなエピソードはキリがなく、いちいち覚えていたら私はとっくに壊れている。
時には親の目となり、思い通りにならないといちいち機嫌が悪くなる父親の先回りをして、そっとお箸を揃えたり食器の位置を手元に合わせたり、年齢的に飲めないのに夜中まで晩酌に付き合って食卓に座っていたりした。朝は父親を職場へ送ってから走って小学校へ行っていたのでいつもぎりぎり遅刻だった。
母親の「全部お母さんが悪いんでしょ」はかなりのプレッシャーとなり、その言葉が出るたびに、私は母親の味方になりきれていない自分を責めた。誰にも不安を言うことはなかった。
家族に尽くすことが当たり前だったから、朝練や土日に練習のある部活は無理なので運動部は諦めた。私は運動神経悪い芸人系の動きをするのでそれはそれで正しい選択だったのだけれど、選択肢がなかったことは私の中では大きな闇になった。
そんな人生の中で転機が訪れる。
県外の大学へ進学しての一人暮らし。
友人も誰もいない田舎にいきなりの一人。引越しの翌日には母親と兄は私を県外の田舎へ残して帰っていった。
とても孤独で寂しかったけれど、私は人生のハーフタイムに入ったことを確信した。
まずは、高校で絶望したがなぜか許可されず、二度と希望を伝えなかったコンタクトデビューを果たす。親が帰ったその足で古びた眼鏡屋で大学デビューの足がかりだ。
まもなく大学が始まり、初めて夕食を友人と食べ、初めて焼き肉をたべ、自由を噛みしめた。
と同時に罪悪感が襲う。私は親から期待されている役割を果たしていない。一人で逃げいると。
また、この時間は有限であることも覚悟していた。周りの友人のようにはいかない。
私には戻るべき試合があり、親に介護が必要になると強制的に試合に戻ることになるのだろう。
この後半戦はアディショナルタイムが何分あるのかもわからない。ただ少し、ほんの少し世間は優しくなっているし私の心は強くなっているからきっと前半戦よりはいい。
有限なハーフタイムも心から楽しむことは出来ず、愛着障害は抱えたままで厄介だけどなんとか踏ん張り中。
容姿や財力だけじゃなくて、努力できる環境に恵まれた人のキラキラした活躍はテレビでもSNSでも友人でも眩しすぎて我ながら捻くれて拗らせてるけどハーフタイム楽しみたい。