同人女の私がSNSをやめた理由
こんにちは、もいです。
つい先日Twitter(現X)の方で「Twitterやめます」宣言をしたのですが、言い逃げっぽい感じだったので、ちゃんと理由は説明した方がいいのかなーと思い書くことにしました。
あとは、私自身SNSをやめることについて書いている記事を読んで今回の決断をすることができたので、同じような悩みを持っている人に私の記事が何か役立てばいいなーとも思ったのも理由の一つです。
うまく気持ちをまとめることができるか分かりませんが、なるべくありのままの気持ちを綴ることができればいいな、と思っています。
Twitterを使っていた理由
先に私がTwitterを使っていた理由を話すと、元々雑多に使っている本アカというものを持っていました。しかしある時某ジャンルにハマった私は、そのアカウントで四六時中それについて呟くようになりました。
もう10年以上も付き合いのある相互さんばかりだったので今更遠慮する必要もないとは思うのですが、やっぱりそのうるささに「もしかして迷惑だったりするかな…」と思うようになったので、思い切って「好きなものだけを呟くアカウント」を作ることにしました。それが、私が今回使用するのをやめたアカウントの始まりです。
趣味に特化したアカウントだったので、同じ趣味の方と繋がることもすごく簡単だったし、何より個人サイトで創作活動をしていた私にとって、Twitterに作品をあげることで得られる反応の量とスピードは麻薬のようで、そういった理由でどんどんとTwitterにのめり込んでいきました。
心と体を蝕む依存症に
はじめは楽しく使っていたアカウントですが、段々とTwitterを見ている時間が長くなり、気付けばいつもTwitterを開いているような状態になってしまいました。
おかげで段々と日常生活にも支障をきたすようになってしまい、そこでようやく私は「もう使うのをやめよう」と思うようになりました。
具体的にどんな支障をきたしていたのかというと、下記の通り。
1.時間を無駄に浪費してしまう
Twitter依存症でよく上げられる症状ですが、まさにこれ。ほんの少しだけTwitterを見よう……と思ったのに、気が付けばこんなに時間が経っていたってやつです。
また、無意識のうちにTwitterを開くことも多かったので、そう言ったちょこちょこした時間をトータルすると、かなりの時間を無駄に浪費していた(生産性の時間を過ごしていた)ような気がします。
2.インプットした気になる
Twitterっていろんな人のいろんなつぶやきや情報が常に流れてくるので、見ているだけで「いろんなことを知れたぞ」と思うけれど、実際その中で自分の中できちんと咀嚼してインプットできたものってほんの少しだけだった気がします。
また、創作をしていたので「ほかの人の作品を見て刺激がもらえる!」と思っていても、実際はTwitterを見るばかりで何にも形にできていないので、結局は「したつもり」になっているだけだったんだなーと思いました。
3.考える力が衰える
Twitterは140字という文字数の制限があるため、例えば何かの感想をつぶやきたくてもその文字数に抑えるため「ヤバい」「最高」「泣ける」みたいな薄っぺらい語彙しか持てなくなってしまいました。
また、そういった簡素な言葉でしか自分の気持ちを表現できなくなったので、自分が抱いた感情に対して深く向き合うことができず、自分の考えやその時の思いを適切な言葉で表すことができなくもなりました。
そうしたことが続き、創作活動で培ってきた言葉の力もだんだん衰えてしまい、結果として「お話を作れなくなる」という最悪の状態につながっていくのでした。
4.反応を常に気にしてしまう
これはTwitterで創作活動を行っていた弊害だと思うのですが、とにかく人からの反応が気になるようになってしまいました。
今まで個人サイトで生きていたので、人からの感想や反応は基本的に数字としてあらわすことができないし、他人と比較することもできませんでした。
だけどTwitterは人からの反応がリアルタイムに、そしてダイレクトに数字として表れるし、また他人が得ている反応もはっきりと数字として目に入ってくる。故に自分が持っている数字と他人が得ている数字で勝手に一人で勝負をしているような状態になっていました。「この人はこれだけ反応をもらっているのに、私は全く反応をもらっていない」とか、本当に創作をやっている人であれば一度は通るであろう、世界で一番むなしい瞬間です。
基本Twitterの通知は切っているのですが、やっぱりそういった反応が気になってしまい、逐一チェックしたくてTwitterを開く回数や時間も増えてしまいました。
5.自己肯定感の低下
そして最大の悪影響は「自己肯定感の低下」です。
先に上げた反応を気にしてしまうせいで「どうして自分はこんなに反応をもらえないんだろう。きっと自分の描く作品がつまらないからだろうな」と思い込むようになってしまいました。
本当、なんでも数字で見えてしまう弊害だと今でも思っています。
また、アカウントの性質上ほかの創作者さんもフォローしているため、作品を書くことができない状態に陥ってしまうと「ほかの人は書いているのに、どうして自分は書けないんだろう」「自分が書かなくてもこんなにたくさん書いている人がいるんだから、別に私一人がいなくたっていいんだ」というネガティブな思いをどんどん抱くようになってしまいました。
今まで楽しくて続けていた創作活動なのに、その足跡を自分でぐちゃぐちゃにするほど自己肯定感が下がってしまい、結果として書くことが怖くなってしまいました。
それに加え、いざ書こうと思っても「考える力が低下」してしまったので全く言葉が浮かんでこず、またそれが「私はもう書くのをやめた方がいい」と思うようになる……もう本当に最悪の負のループに陥ってしまいました。
うまくまとめられたかはわからないのですが、Twitter依存症になってしまった私の末路です。
これは趣味アカでのことになるのですが、本アカではどうかというと、鍵をかけているのと、本当に雑多に使っているので別に反応とかも気にならないし、むしろ本来の使いたかった使い方でいられた気がします。
また、趣味アカにいる時間が長くなったせいで本アカに滞在する時間が短くなったため、別に本アカ使って荒れてしまう……ということもありませんでした。
完全に趣味アカにいることで自分がダメになっていったんだと思います。
Twitterをやめる決心
そうやってどんどんと悪い方向に進んで行くので何とかして断ち切らなきゃ、と思ってもなかなか決心することができず、結局何か月もずるずるとそのまま過ごしていました。(これも完全に依存症の症状ですよね。)
しかし、丁度いいタイミングで締め切りのある創作関連の作業をする必要が出てきたので、いっちょこのタイミングでアカウントを消してみるか! と思い、お試しでアカウントを消してみることにしました。
幸いにもTwitterはアカウント削除してから一か月以内なら復活もできるので、とりあえず作業集中するためにアカウントを消して、作業終了後継続して使いたければ復活させればいい、そうじゃないのならそのまま消せばいい。
自分の気持ちを整理するためにも、丁度いいなと思いアカウントを消すことにしました。
Twitterをやめて得たもの
アカウントを消した期間は約2週間。
結果としてその間にきちんと作業を終わらせることができたし、思いのほか落ち着いて過ごせる日が多かったので、結果としてアカウントを消すのはありだな、と思いました。
また、依存症で上げた症状に関してもほんの少し改善することができたような気がするので、本当に思い切ってよかったと思っています。
時間を無駄に浪費してしまう⇒自分のために時間を使えるようになった
今までTwitterに入り浸るため時間を浪費していましたが、Twitterをやめてからは自分がやりたいことに集中して取り組むことができるようになりました。
作業に取り組むこともそうだし、読書をしたり、大好きな音楽をゆっくり聴く、日記を書くといった「自分のための時間」をたくさん持てるようになった気がします。
今までは「あーあ、Twitterしなければこんなことができたのに……」と後々思うことが多かったのですが、そういった後悔も減ったので時間を使うことに対する満足感も格段に上がったように感じます。
インプットした気になる⇒インプットの質を上げることができた
Twitterは常にいろいろな情報が流れてくるので、自分に必要なものなのかどうかを取捨選択する必要があります。だけど、その情報の量やスピードに飲まれただ眺めるだけだったので、その作業はおろそかになっていました。
しかしTwitterから離れると、情報というのは「自分から探さないと得られないんだな」ということに気が付きます。いわゆるディグるってやつでしょうか。
だから「今自分がどんな情報を欲しているのか」「どうやってその情報を見つければいいのか」と自分と向き合う時間を持て、さらにそこから得た情報とじっくり向き合って精査することができ、よりはっきりと情報の取捨選択をすることができるようになりました。
そのため得られる情報の質も上がり、自分の中でしっかり咀嚼できるので、得た情報を確実に自分のもとにすることができました。
また、インプットするためにいろいろな本を読む時間を持つようになったので、これもまた「自分のために使う時間」を持てるようになった気がします。
考える力が衰える⇒周りに目を向けて考えられるようになった
質の良いインプットができたので、その情報を自分の中でしっかりじっくりと咀嚼する時間も持てるようになりました。
今までは「はい、見たので終わり」と自分の思考を半ば強制的にシャットダウンしていたのですが、得た情報から自分はどう思ったのか、どんなことをしようと思ったのか、そう言ったインプットのさらに先を行えるようになったのは大きな進歩だと思います。
また、本を読む中で「何で筆者はこんなことを思ったんだろう」と少し立ち止まって考えるようになったので、今までは自分の中で完結させていた思いを、もっとその外側まで見ようと思うようになりました。
極端な言い方をすれば、独りよがりからの解放……でしょうか。
自分の思いにしか目を向けられなければ、すべての物差しが自分中心になってしまうため「私こう思っているのになんて他者は違うんだ! 私の方が正しいに決まっている!」としなくてもいい他者の否定をしてしまいます。
だけど「自分はこうだけど、じゃあ他の人は?」と一歩立ち止まって、そして引いた目で物事を見ることができるようになるので、広い視点で物事を考えられるようになったと思います。
反応を常に気にしてしまう⇒そもそも反応を気にする必要がなくなった
これはもうはっきり言って、そもそもアカウントを消して呟かなくなったので反応もくそもありません。
また、自分のTLがどうなっているのか(=ほかの人がどんな様子なのか)を気にする必要がなくなったので、自分と他者を無意識に比較することもなくなり、本当に心身ともに健康になったと思います。
やめたことによる恩恵で一番大きかったのはこの部分だと断言できます。
自己肯定感の低下⇒勝手に他人と比較して、勝手に負けた気分になることが減った
ここまでいろいろと改善した点を書いてきましたが、結果として自分と向き合うことができるようになったので、ありのままの自分を受け入れ自己肯定感が上がった気がします。
自己肯定感が下がる主な要因って、はっきり言って「他者との比較」だと思います。特に私は目に見える「数字」で他者と自分を比較し、自己肯定感を下げていました。
だけどTwitterをやめてしまえばそういった比較をする瞬間もなくなったので、自分自身を否定することも減りありのままの自分を受け入れ過ごせるようになったと思います。
そんなこんなで、結果として「Twitterをやめる」という選択は自分にとって良かったと思います。
とはいえ、Twitterを通して仲良くなった方もいるので、正直やめる選択を取るのもつらかったです。だけど自分の心身の健康と天秤にかけたとき、やっぱり自分を守って大切にできるのは自分だけだし、自分を犠牲にしてまでしがみつく必要はないと思い、やめる決断しました。
また、暴論かもしれませんが、Twitterをやめて切れた縁は所詮その程度だったって思うし、切れた縁は案外細く長くつながっているとも思っています。
例えば、数年会っていない友達でも久々に会えばやっぱり友達だし、会わなくなったから友達をやめた、とも普通はならないですし。
目に見えるつながりが全てではないし、それが本当の縁とも限りません。
そうやってどこかでつながり続ける縁を大事にしていくのも、自分の心身の健康のためだと割り切っています。
SNSをやめようか迷っている人は、必ず『今いる自分』と使っているSNSを天秤にかけて考えることをおすすめします。
SNSをやめて失うものが多いのであれば、無理にやめる必要はない。どうやって距離を置くか、そんな風に考えてみるのも一つの手だと思います。
アカウントを消さなかった理由
長々と書いてきたのですが、最後にアカウントを消さなかった理由を述べて終わろうと思います。
ここまでやめる決心をしておいてなぜアカウントを消さなかったかですが、連絡ツールとして残しておく必要があったからです。
私は二次創作を通し本を出しているのですが、その際奥付には連絡先として自分のTwitterアカウントを載せていました。本来であればメールアドレスを掲載すべきところを「まあずっと使うしTwitterでいいか」と思ってTwitterのアカウントだけにしてしまったのです。
そのため、アカウントを消してしまえば連絡手段が何もなくなるため、今回アカウントを消さないことにしました。
本当にこればかりは私の落ち度なので反省しています。フリーアドレスでもいいので取得をしておくべきだと思っています。(今は反省して、今後創作で使えるよう専用のアカウントを取得しています)
とまあ、私がTwitterをやめた理由はこんな感じです。
少しずつ自分の気持ちに余裕を持てるようになったので、億劫に感じていた創作にもまた向き合えるようになった……気がします。
失ったやる気や語彙はそう簡単に取り戻せるものではないので、時間をかけてまたやっていけたらなーと思っています。
皆様も、良いインターネットライフを。