自分の弱さから逃げ続けた青春時代
生い立ちの話の続きをしようと思う。
前回の記事で、自分の性格について下記のように分析した。
周りにどう思われるかよりも、自分の感情を最優先にする傾向は今でもかなり強い。
もっと正確にいうと、自分のコンフォートゾーンから外れた出来事に直面した時、一度立ち止まって冷静に考えることができず、反射的にヒステリックな反応をしてしまう。(だから年下にアンガーマネジメントを勧められるのだ)(ちなみにアンガーマネジメントの本は勧められてすぐに読んだが、ほとんど改善に至っていない)
幼児期くらいまでは誰もがそうだろう。しかし今は、少なくとも私の周りには自分以外にこんな人ひとりもいない。いつからみんな感情を抑えられるようになったのだろう。どのような人生経験を積めばよかったのだろう。
小学生のとき、仲が良かった友達に「さゆりちゃんは短気な性格を直したほうがいいよ」と言われたことがある。一度や二度ではない。ということは直っていなかったのだ。直す気がなかったから。
何度言われても「しつこいなぁ。性格なんて生まれ持ったものだから直るわけないじゃん」としか考えていなかった。最低である。当然、彼女にはのちに距離を置かれた。距離を置かれただけで必要最低限の会話はあったし、クラスを巻き込んだ集団シカトでもなければ心身の暴力も全くなかったのだから、聖人というほかない。
全面的に自分に非があるなんて思ってもいない私は、「裏切られた」と思い込み、周囲を悪者にして不登校児となった。中学生になってからは、しばらくは同級生と親しくできていたが、根本的な性格は変わっていないので結局同じことを繰り返し、不登校に逆戻りした。
家庭教師をつけて勉強だけはしていたので、そこそこのレベルの高校に進学することはできた。女子校だったため皆価値観や感性は似ており、なにより「みんな違ってみんないい」を地で行くような素晴らしい土壌があったため、私でもすんなり受け入れられた。おかげで高校生活は最高に楽しく、毎日笑顔で過ごせていた。
(厳密には、1年の1学期はなかなか馴染めず不登校になったため1年生のときは友達がいなかった。2年3年ではクラスに恵まれた)
楽しい高校生活を共に過ごしてくれた友達には感謝しかない。しかし、ここで受け入れられたことで、自分の根本的な性格の問題と向き合う機会を逸してしまったのではないか。仲良くしてくれていたみんなは、実はものすごく我慢をしていたのではないか。今になるとそう感じてしまう。