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それが我が人生(エンタメ):喋る仕事〜テーマパークスタッフ編〜

誰にも見せない 泪があった
人知れず流した 泪があった
決して平らな道ではなかった
けれど確かに歩んで来た道だ
         ゆず 〜栄光の架橋〜

人生と書いて"エンタメ"と読む。
僕の40年をざっくり傍観するとそんな感じです。

年月の節目共に皮切りに始めたnoteの活動を改めて振り返ると、特に今の内容は感慨深いものがあります。

…いつぞやにオリエンタルラジオの中田敦彦さんがYouTubeで言っていました。

『もし強みになるモノがあるのだとしたら、
 それは歩んで来た道の中に在るはずだ』

それを聴いて真っ先に浮かんだのが、冒頭にある、ゆずの「栄光の架橋」と云う歌でした。

何回聴いても泣いちゃうんですよね、この歌。

それは歌詞のひとつひとつが自分の苦楽を現しているようで、過去がフラッシュバックされるからだと思います。

…早いもので9ヶ月。ありがたい事に良縁に恵まれ、お陰で楽しく過ごさせて頂いています。 

最初に昔話系で行くと決めてやっていた自分。

今はただの"声真似配信野郎"です。

流れとしては"ラジオ配信→声真似配信"と云う風に変異して行ったワケですが私見として、声真似なんてのは普通に音声配信をするより爆死率がとても高く、羞恥心がフルMAXで襲いかかってくるようなコンテンツだと思います(笑)

note内でもニッチだし、だからわざわざ好んでコレをやろうとは思わない部類。
当然聞かれた方のほとんどがキョトンかポカンでしょう。

それでもやったのは「これが僕の歩んできた道だから」で、すなわち「人前で喋る事」「喋って笑ったり楽しんでもらう事」になります。

以前、これもまたありがたい事に以前の仕事に興味を持ってくれたフォロワーさんが居ました。

自分の事なんてと思いながら話しをしていた身からすれば「話していいんだ…」と感激した瞬間です。

なので今回は"今の僕のルーツ"になった「3つの喋る仕事」のお話しをします。

…ひとつが長いので小出しにさせてください。

まずはテーマパークスタッフです。

なんだかんだで10年近くはやってたかもしれません。

常に僕の心にあるのは「Show man ship」
それはここで得たものです。
(この言葉は息子の名前にも活かされています)

まぁ大体分かると思うのでどこかは名言しませんが、相当鍛えられました。18歳の時の話です。

今は分かりませんけどもサービス業に就くならココの経験さえあれば氷河期でも確実に受かると言わしめる程で、先輩と言っても…さして歳の差も変わらぬ大学生同士でした。

僕は最初はレストランでしたが社内公募でアトラクションに志願し、約2年居ました。
今はもう無いアトラクションです。

この時、親友には辞めたと伝えていました。
それは言いたくないくらいの野心があって、打ち明けるのが「ダサい」と思ったから言わなかったと思います。

そのアトラクションはウォークスルー型のモノで、まるで観光ガイドのように歩きながら時々止まり、セリフを言い、導いていくタイプでした。

分かりやすい例として、皆さんはジャングルクルーズと云うアトラクションをご存知だと思います。あれに乗った時、スキッパー(船長)のクオリティに左右される事は多かったと思います。

スタッフ1個人のパフォーマンス如何で「面白くも、つまらなくも感じる」のが遊園地やテーマパークです。

お客さんがどう感じられるかは、雰囲気で分かってしまいます。
分かりやすいが故に、残酷な形で伝わるのです。

そしてあそこの特徴として、発声練習もしなければ芝居心を教えて貰えるワケでもありません。

「全てはお客さんの為に」

あくまでそれだけで、技術を高めるのは自分の在り方とやり方次第です。

僕の時は5日間のOJTがあり、3日目くらいからセリフの丸暗記が始まり5日目に見極めでした。
セリフ量は忘れましたが約20分間喋るくらいと思ってください。

独り立ち後、最初はつつがなく進行するだけで精一杯です。
アドリブなんて利きません。いや出来るが一貫性が乏しくなってバランスが崩れてしまうんです。

先輩の面白スピールをパクるとします。
その時は自分のキャラなんてモノ構築出来てませんから、無理が生じてしまう。
それは確実にお客さんに伝わってしまいます。

だから最初は「好きでやってるのに苦痛な日々」でした。
時勢に乗った流行り言葉を混ぜてみたり、それこそ今のモノマネを混ぜてみたりしました。

そこで得たのは「やるなら徹底的にやる」
と云う事です。

羞恥心はこの段階でほぼ無くなりました。
パクるならモノにするくらいの気概でやる。
常に全力で、身を賭して楽しんでもらう。

己の命を削っても最高のショーを…と云うのは今考えればどうかと思います。
ただ自らの力を100%以上出そうとすると身は滅ぶがその先にある悦びと快感を得る事は出来ました。

もちろんその中でテクニックも身に付きました。

ひとつとして喉のダメージを抑える為に「壁の反響を利用する」事です。
当時マイクはありませんから、地声でやります。
基本はオープンから夕方まで喋り通しです。

繁忙期になると声が掠れるスタッフが増えるくらいで、何せ発声を教わってませんし腹式呼吸と言ってもパフォーマンスなので頼り切れない部分があるんです。

そこで「声を壁に飛ばす」と云う技術を身につけました。
壁にぶつけて反響させて伝えると云うモノです。
これが出来ると出来ないとでは負担が大違いなんですよね。

僕らの仕事は約20〜30からなる配置を15〜20分刻みで移動していきます。
実際のショーシーンだけでなく、待ち列管理等も含まれています。

その何処でも大体喋ります。
そんな環境なので声帯の持久力と共に「少ないチカラで遠くまで声を響かせる」技術が身につきました。

同時に、人の反応を見ながらパフォーマンスを変える方法も得られました。

すべからくお客さんには楽しんでもらいたいので、常にテッパンネタで行くワケにはいかない。
何故なら「お客さんが繰り返し来るから」です。

また来てくれたと気付いたなら、やらねばならない。

「いつだって、初めて体験したような感情を抱いて帰って欲しい」

僕はそう教わりました。
それは引き出しの量にも繋がり「同じ人でも違うモノ」となって結果「なんでも出来そうなショーマン像」が生成されたワケです。

エピソードとして、当時マトリックスが流行ってました。
何かを「あぶなーい」と避ける時にマトリックスの有名なシーンを真似ていたりもしました。

…あくまで当時です。

でも結局僕は、10代の身空の時に得たものはあったが満足出来ておらず、数年後再び門を叩く事になります。

ここで学び、卒業後も自分のパフォーマンスを高めた自分が、改めて本当に通用するのかを確かめたかったからです。

次は一撃で花形のアトラクションに配属されたのですが……1年半程度で病気をしてしまい去る事になりました。

やり方は最初の時と同様です。
故に、身が持たなかった…と云う事です。

通用したかどうかは、自分の中では成功と言えます。そこで答え合わせがちゃんと出来たのが今に生きているのだと僕は思います。

寄り道ではなかった、と。

…これは私見ですが……。

もし学生さんがこれを読んでくださっているなら、一度はこの世界を知った方がいい。

大小は問わず、会社も問わず、この手の喋る仕事は「自力でパフォーマンスして相手に伝える術」を身をもって体験出来ます。

単に笑わせたり楽しませるだけでなく、時に怖がらせたり、凄ませたりを音程、抑揚、声色、強弱で表現して「こちらの思い通りに相手の感情を誘発させる訓練」を、常に実践出来るからです。

先輩が言っていた言葉で

「今日の何回目かの1回じゃなくて、お客さんにとっての"たった1回"を意識して常に死ぬ気でやれ」

これは後にサービス業を始め様々な仕事をした今であっても金言だと思っています。

本来リトライは効かないのです。
お客さんもリプレイ出来ない。

そう考えると1回に全てを賭す意義は、どうですか? 己を高められると思いませんか?

これが僕が得て、行っているパフォーマンスの上での根っこになります。

クドいようですが、お客さんは様々です。
生まれて始めて来た人、何度目かの人、特別な日を過ごそうと思って来た人、最期として来た人。

どの方もその想いはとても尊い。

迎え入れる人間はどうあるべきか。

それは「いらっしゃい」ではなく「ようこそ」の気持ちだと僕は思っています。

noteの音声録音の、編集が出来ない一発で5分間やり続ける様はこの時の気持ちを思い起こさせてくれます。

元々上手くはありませんが、更に老いて衰えた中でも今できるありったけを込めてるからこそ、僕の全力を感じて、ありがたい事に反響やコメントを頂けているのかもしれません。

小細工なし、真っ直ぐに、ただ楽しんで欲しい。

歳は取っても想いは風化しなかった。

これが、自らの身体を資本にした我がエンタメの始まりであり原点です。

読んでくださり、ありがとうございます。

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百舌鳥(もず)
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