日曜料理劇場#31:始源のペペロンチーノ
僕はこの料理に対し「原点にして、頂点」と云う言葉を送りたい。
前回の#30で「料理を始めてから1番作っているのはペペロンチーノだ」と書いた通り15年の調理生活の始祖と呼べるからです。
それがこの「絶望のパスタ」と呼ばれる全く以ってプレーンなタイプのモノ。
今回、かなり久しぶりに作りました。
普段は人に食べてもらう以上、さすがにこう云うのはリクエストでもない限り出せません(笑)
正式な名はアーリオオーリオペペロンチーノ。
ニンニク、オイル、トウガラシ云う意味で、まるで仮面ライダーオーズのようなただ名詞を並べたような感じのモノになります。
その所以は「絶望の淵にあってもこの3つさえあれば作れるパスタ」と先輩から聞きました。
日本では普通にこのプレーンな料理を食べられますが、海外ではメニューに出てる所もあまり無いそうです。(今は分かりません)
僕は以前ご紹介したカルボナーラ同様、料理し始めの時に出逢い、その難しさに直面しました。
https://note.com/m7oka/n/n9842c503ca34
作っても全然美味しくならない。
失敗しては麺つゆやコンソメを混ぜてどうにか食すの繰り返し。
その間、素材を吟味したり、器具を一新したり、切り方を変えたり、工程を見直したりと…。
一体どれくらい作ったのかも分かりません。
少なくとも最初の1ヶ月の間はほぼ毎日していた事だけ覚えてます。
ある程度カタチになってからも定期的に作り……だから1000回いってるんじゃないだろうか。
何年かして、異変に気付く。
…味が、するようになった()
火を入れている時間、火加減、塩気、辛味と乳化の仕方、パスタの茹で加減…と、作り続けていく内にそれぞれが渾然一体となって1つの型となったのかもしれない。
住まいを変えた時、百舌鳥のペペロンチーノは。
味を置き去りにした(それはダメ)
と言うのは冗談ですが突然なにかが見えたのは確かで、一応の完成形である思います。
しかしレシピは一般的なモノと"ほぼ同じ"です、多分。
…そう、この「レシピと同じ製法」が難しい。
書いてある通りにしたはずでも、そうならない。
分量も計り、手順通りなのになんか違う。
全てのレシピではなくても始めたての時に陥りやすい沼で、僕がレシピ等を書かない理由のひとつです。
例えば材料について。
基本的には1人前でニンニク1片です。
僕はニンニクをスペイン産にしています。
安価で量が多いのは中国産で、国産はお値段が張りますし1玉です。
スペイン産は中国産と同価格帯で1玉だけ。
ここからはあくまで僕個人の感想です。
国産は生で擦り下ろしたり漬けたり、摺り下ろしたモノをソースとして和えたりするのに対し、
スペイン産は揚げたり、焼いたりする方に向いてるんじゃないか…と感じます。
スペインのモノは生で食べるには辛く匂いも強ければ、ややエグみがあるように思えます。
国産のモノは仄かにだが凝集したような上品な香りと辛さで、逆に火を入れ過ぎると風味が飛んでしまう…んじゃないかと。
別にどのニンニクでも良いじゃんと言われたらそれまでの話しです。
あとはオイルについても自分はフライパンに常温のオリーブオイルを入れ、そこにニンニクを4.5分ほど浸した後、ずっと弱火で加熱します。
その際、少しだけ刻んだニンニクを叩くように軽く潰したりしてます。
…結局ニンニクの香りがオイルにしっかり移って欲しいので、必要だと思ってしてます。
レシピでそこまで細かく書いたら大変で"知らず内に端折られている大切な事"が色々あるのでは…と。
だから今はどのレシピを見ても参考として、自分が味を想像しやすいように意訳して作ったりしています。
そんな試行錯誤の中でやっとカタチになったペペロンチーノ。
これがあったから、今こうして様々な調理が出来るようになったので感謝しなければいけません。
失敗を積み重ねた末に到達した、美味しいの一言はまるでパンドラの筐のような絶望の中にある光明とも言える。
諦めなかったからこそ見えるモノがある。
料理を通じて改めて感じる事が出来ました。