どうしても県大会に行きたかった
高校はテニス部に入った。
20年前の田舎の高校では硬式テニス部はまだ同好会で部活として認められていなかったため、軟式だけど。
うちの高校は毎年、2組〜3組のペアが県大会に出るくらいのレベルのテニス部だった。
決して強豪校というわけでない、けれどもそれなりに真面目に活動している部活動だった。
わたしは3年になる頃にはその部活で3番手くらいの前衛。正直なところ県大会に行けるかどうかはかなり微妙なところ。
もともと部活は、部員が仲良かったから楽しくて行っていた部分も多く、個人としては勝ちたい!とかもっと強くなりたい!という思いは強いほうではなかったと思う。
しかし、いざ最後の地方大会を迎える頃、わたしは絶対県大会に行くんだという思いを強く抱くようになる。
それは、男子バスケ部がいち早く県大会出場を決めたからである。
県大会には泊まりで行くことは先輩から聞いていた。修学旅行ほど人数は多くなく、先生もそううるさくはないという。
夜這い的な下心があるわけではない、楽しそうなそれは、もうわたしからしたら旅行である。
それにバスケ部が行くとは!
バスケ部にはわたしが一方的に片想いしていた木村くんがいた。
ということで、わたしは俄然やる気を出す。
瞬発力があるほうだったので、コーチと仲間たちからここへきて前衛から後衛への転向を勧められた。
コーチはさておき、仲間はわたしが県大会に行きたい理由を知っていたこともあり、わたしもそれを受け入れた。
すべては、勝つため、県大会に行くため。
しかも、前衛は後輩の1番うまい子を選ばせてもらった。
どんだけ! でもそれほど勝ちたかった、いや県大会に、いやお泊まり会に参加したかったのである。
結果、わたしは無事に県大会に進めた。
地方予選で県大会出場となるベスト8に進むための最後のポイントを決めたのは前衛の後輩が決めたボレーだった。
その瞬間、わたしはそれまで出したことがない声で、ゔおおおお!と叫び、したことがないガッツポーズを両手で掲げ、そんなに親しくないパートナーである後輩をハグしに駆け出していたことは鮮明に記憶にある。…こわい。
その次の試合は当然負けた。
まあそれなりにやったけれど、実力はその程度であることは分かっていた。
悔しさ? あるわけがない。
わたしはもう県大会への切符を持っているのだから。
県大会は前日泊でホテルに。
バスケ部の中には木村くんもいた。補欠だけど。
いよいよホテル。
で、何をしたってこともなく、ホテルの廊下でみんなで写真を撮っただけ。
恥ずかしくて2人で写真は撮れなかった気がする。
ただそれだけのことである。
翌日、県大会本戦は1回戦で負けた。
わたしに残ったのは、ホテルの廊下で撮った写真と甘酸っぱい思い出である。
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