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『茶の本』から読み解く『SIGMA BF』に感じた“美しき愚かさ”

はじめに

SIGMAが発表したフルサイズ・ミラーレスカメラ「SIGMA BF」の製品コンセプトが「Beautiful Foolishness(美しき愚かさ)」の頭文字を取ったものであると知り、ちょっとした衝撃を受けました。カメラに『茶の本』を持ち込むなんて、誰が想像できたでしょうか?

実は、私も以前から岡倉天心の『茶の本』は折に触れて読み返してきた一冊。その第一章のラストにある有名なフレーズ ―「儚さを夢見よう。そして物事の美しき愚かさに身をゆだねよう」(原文:Let us dream of evanescence, and linger in the beautiful foolishness of things.)は、日本の美意識や哲学を象徴する言葉だと思っています。

そんな私が普段、どのようなカメラをメイン機に据えているかというと、レンジファインダー機、Leica M11-Pを愛用しています。最新のカメラ市場では、高速連写や高性能AFが当たり前になりつつありますが、そうした潮流に逆行するような「不便さ」を持つレンジファインダーに惹かれるのは、ひょっとすると“実用性や効率性だけでは語りきれない楽しさ”を重視しているからかもしれません。

そんなこんなで、スペックの話は他の人にお任せするとして、今回は岡倉天心が説いた「美しき愚かさ」に触れつつ、SIGMA BFというカメラの思想を探ってみたいと思います。


岡倉天心『茶の本』における「美しき愚かさ」とは

岡倉天心(岡倉覚三)は、英語で書かれた著書『The Book of Tea(茶の本)』の中で、日本の茶道や美的精神を海外に向けて紹介しました。その第一章の終盤あたりに登場するのが、先ほどの「しばし儚さを夢見よう。そして美しい愚かさにひたろうじゃないか」という趣旨の一節です。

一見すると「愚かさ」という言葉にはネガティブな響きがありますが、岡倉はそこに「美しき(beautiful)」という形容詞をつけることで、いわゆる功利性や合理性とは縁遠い“無用”の行為やものごとの中にこそ人間の心を豊かにする尊い価値があるのだ、と強調しているわけです。

  • 茶室で静かにお茶を点てる行為

  • 侘び寂びの風情を楽しむしつらい

  • 竹林を揺らす風や水琴窟の音に耳をすます時間

いずれも「何かを大きく生産するわけではない」「社会的に見たら無駄かもしれない」と思われがちなことですよね。でも岡倉天心は「だからこそ、そこにこそ人生を味わう醍醐味があるじゃないか」と説くわけです。この“無用の用”とも言い換えられる価値観は、日本人ならどこか腑に落ちる部分があるのではないでしょうか。

また、茶道は禅の思想や「もののあはれ」の感性とも深くリンクしており、儚く移ろいゆくものにこそ美が宿るという考え方が底に流れています。たとえば桜の散り際を愛でる文化などもその典型で、「実用性なんて皆無」といえば愚かに見えるかもしれません。でも、その“愚かさ”が心を揺さぶる美しさでもある―これが岡倉天心の言う「美しき愚かさ」の根幹と解釈しています。


SIGMAがカメラに「BF(Beautiful Foolishness)」を冠した理由

さて、そんな100年以上前の言葉を、なぜSIGMAは最新のフルサイズ・ミラーレスカメラに採用したのでしょうか?

SIGMAのCEO、山木和人氏によると、「岡倉天心が『茶の本』で語った“お茶を飲むひとときと美しき愚かさを楽しむ”というメッセージに感銘を受けた」からだそうです。要するに、日常生活の中で、ちょっとした喜びや無心になれる時間を大切にする――カメラも、そんなふうに日々に溶け込んでほしいという願いが込められているのでしょう。

実際に発表された「SIGMA BF」を見ると、

  • アルミブロックの削り出しで作ったユニボディの美しい質感

  • 見た目も操作系も徹底的にシンプル化

  • SDカードスロットすら省略して、内蔵メモリのみという割り切り

……など、「え、本気?」とツッコミたくなるような要素が多数あります。スペック至上主義からは明らかに外れていて、言葉は悪いですが「ある種の愚かさ」を突き詰めたようにも見えます。それでもそれが逆に際立った美学や独創性を感じさせ、「なんだかこのカメラ、使ってみたい!」と思わせる不思議な魅力があります。まさに岡倉天心の茶の湯のごとく、一見「茶碗の中の嵐(大騒ぎ)」に映ってしまう愚行かもしれないけど、そこには人間味あふれる豊かな喜びが宿っている……そんなイメージと重なります。


「美しき愚かさ」が現代社会にもたらすもの

どんどん効率化が進み、デジタルもハイテク化もすさまじい勢いの現代社会。どうしても「成果」「時短」「コスパ」ばかりが優先されてしまいがちです。もちろん、それも大事な価値観。しかし、岡倉天心が言うように「儚さを感じたり、無駄に思える時間を楽しんだりする余白」がないと、心がカサついてしまうのではないでしょうか。

最近、コーヒーをわざわざハンドドリップで淹れる人や、レコードの音をじっくり味わう人が増えています。フィルムカメラ回帰もそうですよね。これらはいずれもスピードや効率だけ考えれば不便で“愚か”な行為かもしれません。でも、「あえて手間暇をかける贅沢」「無心になれる静けさ」に価値を見いだす流れが今確実に広がっていると思います。SIGMA BFに込められた「Beautiful Foolishness」は、まさにそうした一見ムダにも思える営みに人生の醍醐味を認める感覚とリンクしているのです。


SIGMA BFの面白さ ー 茶道とカメラの共通点

SIGMA BFの登場に対する反応は賛否両論あるようですが、個人的にはそこが面白いと思います。「なんだよ、その非実用的なデザインは」「スペック的には他社に負けるんじゃないか?」という声もあれば、「こんな潔いシンプルカメラ、今までになかった!」「とにかく美しいフォルムに惚れた」という評価もある。

しかし、茶道だって当初は「狭い茶室で何やってるの?」「外から見ればただの儀式でしょ?」と思われていたわけです。それでも時を経るにつれ、その“奥ゆかしくも豊かな世界”を知る人が増え、いまや世界中で茶道に興味をもつ人も多い。本質的な美しさや愚直な楽しみ方は、わかる人にはわかる。SIGMA BFにもそうした「わかる人には堪らない魅力」が詰まっているように思います。


日常に「美しき愚かさ」を取り戻す

最後に、岡倉天心の『茶の本』の言葉を改めて読んでみましょう。

「しばし儚さを夢見ようではないか。そして物事の美しき愚かさに身をゆだねようではないか」

私たちは日常生活の中で、しょっちゅう“無駄”を切り捨ててしまいがちです。でも、その「無駄」こそが実は心を潤わせ、人生を彩る大切な要素かもしれません。SIGMA BFが体現する「Beautiful Foolishness」は、ひょっとするとそれを思い出させてくれる道具。一杯のお茶に向き合うように、一枚の写真をじっくり楽しむためのカメラなのかもしれない。そう思うのです。

もしこの「美しき愚かさ」というワードに少しでも気になったら、ぜひ岡倉天心の『茶の本』にも目を通してみてください。英語で書かれた原著ですが、日本語訳もいくつか出ています。慌ただしい日常にひとときの“余白”を作るヒントが、そこに詰まっていますよ。

個人的には↓が一番読みやすいと思っています。

こんなに熱く語っておきながらなんですが、ひとつ大問題。

ApoSummicron35mmを買っちゃったので先立つものがない!!!!!


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