小説「歩み」第2章「幼稚園」
三歳くらいからは朧げに覚えているので私視点で話を進めることにする。
幼稚園は楽しかった。幼稚園児ならではの「ママなんで帰っちゃうのぉ〜」と言って泣きじゃくり先生や母を困らせる、なんてことは一度も無く、なんなら「なんでママも園庭に入ってくるの?」なんて言い放つ三歳児だった。
いかにも「幼稚園児」といった性格の女の子に嫌がらせをされて傷ついた記憶もあるが、幼稚園でやる勉強や運動にはついていけたし、友達もいたので特段辛くはなかった。先生からは、マイペースな子ですね、と三年間言われ続けた。
家ではとにかく母の情緒が不安定だった。母は時折、「ママは鬱病なの」と言っていた。鬱病がなんなのかの説明はなかったが、様子を見て幼児ながらに意味を察した。 母の胸に私の手を当てて、「辛い気持ちを和らげてあげる」、みたいな儀式を自主的にやった。
母は、鬱病、と言って床に伏していると思えば、急に怒り出し怒鳴り暴れる始末だった。数時間にわたって怒鳴られ殴られるなんてことはザラにあった。
幼稚園児くらいの頃、近所に飴をくれるおじいさんがいた。おじいさんは私を見つけると決まって飴をくれた。私は無邪気に受け取りお礼を言った。母にそのことを伝えたら、信じられないくらい怒られた。知らない人から貰った食べ物は危ないから口にするな、そもそも受け取るな、とのことだったので、次におじいさんに会った時に「ママから知らない人から食べ物を貰っちゃダメって」と言ったら、帰宅後に母から前回とは比べ物にならないくらい怒られた。「なんでママがあんなことを言っていたってそのまま言うのか!」とのことだったが、片手で数えられるような年齢の子どもがオブラートに包んで物事を伝えられるわけがないのだ。なまじ私が文字の読み書きを覚えるのが早かったので賢い子だと変に期待させてしまっていたのだろうか。母の感情が爆発したのが入浴中だったため、熱湯風呂に長時間浸からせられた。
母は字を丁寧に書くことに対するこだわりが凄かった。だから私も時間をかけて丁寧に書いていたが、それでも雑だと言われ殴られた。夏休みの宿題の絵日記をゴミ箱に捨てられ、お前のせいで捨てる羽目になったと難癖を付けられたり、夜中に叩き起されて母の満足のいく字が書けるまで寝かせてもらえなかったり、卒園制作としてのお皿作りイベントではお皿に印刷するイラストを書く台紙がボロボロになるまで消しゴムで消されたりした。
母は誰がどう見てもデブで、私は周りのママたちから心配されるくらいカリカリに痩せていた。それなのに、夜中に叩き起されデブ(母)から「おいデブ!」と怒鳴られた時には悔しくて悔しくて独り布団ですすり泣いた。
そんな母だったが、ひとしきり怒鳴って暴力を振るって気が済むと、泣きながら私を抱きしめて、「本当はりーちゃんのことが大好きなの。愛してるの。ごめんね。」と謝ってきた。私は優しかったのでその度に母に「いいよ」と言って許した。
許さなければよかった。
イマジナリーフレンド、と呼ばれるらしい私にだけ見える四人の小人と遊ぶ時間だけが救いの時間だった。