いわゆる【名作】の紹介Vo.2
小林多喜二
【蟹工船】
2008年に再ブームになり、その時に読んだ方もいらっしゃるかも知れません。
筆者の情報と時代背景
小林多喜二は29才の若さ(昭和8年)で、特高警察
の拷問を受け死去しています。
罪状は治安維持法違反です。
つい最近
香港や、台湾で中国が施行した
【国家安全維持法】
と同じような内容です。
若い方たちが罪になりましたね
「国家の安全を維持するにあたり、危険な思想を持って、人々を先導した」
と言われ、
当時
思想犯として逮捕された人は数十万といわれ
7万人以上の人が送検され
1500人に上る人が獄死したとされています。
今、ミャンマーでも多喜二のように思想犯として
逮捕され、拷問で亡くなっている人がいる、
デモの最中に発砲され19才の女の子が亡くなった
等のニュースがちょうど今日、報じられていました。
軍事政府VS共産主義
資本家VS労働者層
虐げられた不満や、政治に対して
若者たちは、自分たちで立ち上がり、
国を良くしたいと戦い、
命を落とすことも厭いませんでした。
私が大学に入った44年前も、
東大安田講堂事件
(1968年、東大の安田講堂で起こった学生運動
詳しくは調べてみて下さい)
の事件から10年たっていましたが、
学内にヘルメットをかぶって、角材を掲げ、何やら難しい話しをしている団体が見受けられました。
私自身は立派な思想などなく、
今まで生きてきましたが、
世界の各地で若い人たちが、体制にもの申して戦う姿に胸を打たれます。
話がむちゃくちゃ逸れてしまいました
すみません。
そんな体制に対する反旗の意を込め
蟹工船は、昭和4年
小林多喜二が若くして書いた
【プロレタリア文学】の代表的なものです。
(ちなみにプロレタリアアートとは
資本主義における賃金労働者階級のこと
対義語としてはブルジョア)
蟹工船とは
オホーツク海の北洋漁業で使用された
加工施設を備えた大型船です。
タラバガニを漁獲して、母船でカニを缶詰めに加工する
船とも、工場とも言えない場所です。
船でもなければ、工場でもないので、
航海法も、労働法規も適用されないため、労働者は
ひどい扱いを受けます。
お話にはこれといった1人の主人公はいません。
貧しい労働者たちが劣悪な環境の中、
暴力、虐待、過労、病気で次々と倒れていきます
それでもサボったりすれば「監督」に
トイレに閉じ込められて凍死させられるし
もちろん、病気になれば、治療などしてもらえないからいずれ死にます。
風呂など入れないから、体中に虫がわきます。
それでも
耐えて、耐えて働きます。
閉じ込められた環境では、そうするしかないという思考になってしまいます。
400人もいる労働者が
たった10人の上司に逆らうことが出来ない状況が
文章全体の3分の2くらいを占めます。
状況が変わるきっかけは
母船ではない船が転覆し、それをロシア人が救出します。
その時にいた、中国人の通訳を通じて
プロレタリアアートこそ最も尊い、と知らされ
彼らの中の権利意識が覚醒して、
ストライキ闘争に踏み切ります。
一回目は
会社側が海軍に無線で鎮圧を要請し、
駆逐艦から集まってきた水兵に逮捕されて失敗に
終わります。
その失敗の原因は
そのストライキに代表者9人だけを表にだした
ということでした。
逮捕されずに残った者の労働はますます過酷になりました。
彼等は相談します。
「間違っていた、ああやって9人という人間を表に出すんでなかった。
まるで俺達の急所はここだと知らせているようなものではないか。
俺達全部は一緒になったという風にやらなければならなかったのだ。
そしたら監督たちだって駆逐艦に無電は打てなかっただろう
まさか俺達全員を引き渡してしまうなんてこと、
出来ないからな
仕事が出来なくなるもの」
「そうだよな」
「そうだよ。今度こそ、このまま仕事していたんじゃ俺達本当に殺されるよ。
犠牲者を出さないように、全部で一緒にサボることだ。
何より力を合わせることだって
それに力を合わせたらどんなことが出来るかも
わかっているはずだ」
「それでもし、駆逐艦を呼んだら、皆でその時こそ
力を合わせて1人も残らず引き渡されよう。
それが却って助かるんだ」
「ん、かもしならい。考えて見れば、そんなことになったら、監督が一番慌てるよ。
会社の手前、代わりを函館から取り寄せるには遅すぎるし、出来高だって問題にならないくらい少ないし、うまくやったら、これぁ案外大丈夫だど」
「大丈夫だよ。それに不思議に誰だってビクビクしていないしな。
皆、チキショーって気でいる」
「本当のことを言えば、そんな先の成算なんてどうでもいいんだ、死ぬか、生きるか、だからな」
「ん、もう一回だ。」
そして彼等は立ち上がった、もう一度。
これでしめられています。
この作品は文芸誌【戦旗】に掲載
最初は検閲に考慮し、伏せ字がありましたが
6月号の編が新聞紙法に抵触したかどで
頒布禁止処分となり
翌年(昭和5年、7月)この小説【蟹工船】で不敬罪として追起訴となりました。
戦争中に戦争反対と唱えた人たちが
特高警察に捕らえられたというのは良く聞いていた話しですが、
それ以前から、国家と労働者のパワーバランスは
現在とは違う世の中だったということがわかります。
どんな問題であろうが、
国や、軍や、特権階級が
自分たちの都合で人の命を奪うことは許されることはありません。
蟹工船の紹介文を書いていたら、ミャンマーのニュースが入ってきて、いろいろ逸れてしまい、書き直しも考えましたが、そのまま出しました。
分かりにくかったらスミマセン