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にゃんたこエッセイを通じて感じたこと

私たちは、
私たちが思うよりももっともっと、
逃げ道を選んだって
いいと思うのだ

にゃんたこ『世界は救えないけど豚の角煮は作れる』

もっともっとという表現が、良い。

逃げ道を選んでいいと思っていても、意外と心の奥では否定してたりする。

にゃんたこも逃げていいと逃げちゃだめを何度も行ったり来たりしてこの表現をするに至ったのかな。


『虫愛ずる姫君』と定子の話。

虫愛ずる姫君なんてここで思い出さなきゃたぶん一生忘れてた。

今改めて読むと、古典って良いなって思う。

なんで古典の授業中クラクラでクラン戦やってたんだろう。

古典は嫌いだったけど歴史好きな僕は大河ドラマ『光る君へ』を観る。

主人公の紫式部を差し置いて頭から離れない人物が一人いる。
中宮、藤原定子だ。

「光る君へ紀行」で紹介された3つの辞世の句の1つ。

夜もすがら 契りしことを 忘れずは
恋ひむ涙の 色ぞゆかしき

(一晩中、約束したことをお忘れにならないなら、私のためにきっと泣いてくれるでしょう。そんな涙の、色が見たいものです。)

令和和歌所 より

愛する一条天皇に向けての定子の歌。
この時代、悲嘆にくれて流す涙は血で赤いと言われていたらしい。

悲しんで流す涙の色が見たい。
ありのままの感情を、表情を私に見せてって、良い。

定子の享年は今の僕と同じ25歳。
演じた高畑充希さんは定子の人生に「最期までちゃんと燃え尽きた」印象を持っているという。

僕はまだ胸を張って燃え尽きたと言えない。


サブスクとか契約の話。

サブスクから連想される「こどもちゃれんじ現象」

お金払う人とサービスを使う人が違っているとサブスクをうまく使うのは難しい。

たまっていくちゃれんじ本体と唯一開封される付録。

サブスクや契約は環境へのアクセス権であって決して義務じゃない。
アクセスしてその中のいずれに価値を感じるかは人次第。

付録だけ開封して、本体をためていく子どもを見て、
微笑みながら見守れる、そんな大人に僕はなりたい。


幸福の話。

「幸せ」はなるものじゃなくて、見つけたり気づくものって思うと精神衛生上良い。

矢印の先に幸せがあるとして、その過程はまだ幸せじゃないの?
そんなわけない!

視野というか、意識の領域が狭くなってくると幸せを感じづらい。

パソコンを見るときも、スマホを見るときも、本を読むときも、なんか疲れたなあと思ったら伸びをしたり、ちょっと立ってうろうろしてみたり。

疲れとか眠さが飛んでったらちょっと嬉しい。


逃げ道を切り開く話。

私ができないことは他のだれかがやればいい。

一見、他力本願に思える言葉だが、たぶんこの言葉にはもう一つ別の姿がある。

私ができないことは他のだれかがやればいい。
他のだれかができないことは私がやればいい。

人はパズルのピースみたいにでっぱりやへこみがある。

でっぱりもへこみも長所でも短所でもないし、長所でも短所でもある。
自分がぴったりはまるところで生きればいい。


夢の話。

にゃんたこは保育所の時の将来の夢が「おふ」だったらしい。

僕は幼稚園の七夕の短冊に「ブロックになりたい」と書いたらしい。

母親は欲しいものと勘違いした説を唱えていて、確かにそうなのかもと思ったが、真相はわからない。

ただ一つ確かなことは「ブロック」は間違いなく僕の夢だった。

そして僕は親戚の集まりや親同士の寄合でその話をされるのがたまらなく恥ずかしかった。馬鹿にされていると感じたから。

でも今はそう思わない。

誇りをもってブロックエピソードを語り、みんなと笑いたい。

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みんみ
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