自ら作り出している世界で生きている
影響し合うのに必ずしも比例しない2つ
伊奘諾のおじいちゃん、私思うんだけどさ。
人が生きている世界と見えない存在のいる世界ってお互いに影響を受け合っているけれど、必ずしも比例するわけでは無いね。
『いかにも。
なぜそう思った?』
この時期になると夏祭りとか催し物は沢山あるけれど、人やお金が多く集まっている神社が必ずしも神さまがいるかと言えばそうでもないもの。
『まぁ、当然といえば当然じゃろうな。
神社にも色々な見えない状態があるのは前も話した通りじゃ。』
そうかと思えば、人が出入りせずに廃れた神社なんかで何やらワイワイしている所もあるんだよね。
とっても楽しそうな雰囲気だけは伝わってくる。
真っ暗だけどさ(笑)
『人が多く集まるとか、お金が多く寄せられるとか、ぶっちゃけわしらにはあんまり関係ないからのう。』
やっぱり関係ないんだ。
『うむ。
だってのう、周りにどれだけ人がいるとか、お金がどれだけ集まってるとか、そもそも自分という存在には一切影響しないと思っとるからの。
神社が廃れようとも、管理する人が居なくなろうとも、こっちの世界への実質的な影響が薄れるだけで、わしという存在は変わらず存在し続け、関わりたい者と関わっていく。
それだけじゃわい。』
世界を動かしているもの
『そもそも、2つの世界を動かしているものが違う。
いや、実際には同じものなのじゃがな、人の生きる世界ではそれは表に出てこないんじゃ。
代わりの物が人の世界を動かしている・管理しているとみなが思い込み、実際にそういう世界で生き続ける選択をしているだけじゃ。』
自ら作り出している世界で生きているだけなんだね。
『うむ。
自分の選んだ世界で生きているという言葉はな、理不尽なことを受け入れるための言葉ではない。
例えばのう、どうにもならない理不尽な出来事があったとして、それは自分にはどうにも出来ないことで、それを自分が用意したというのか!?と思っているのは理不尽を許していないようで実は理不尽を受け入れてしまっているのだ。』
怒っちゃっている・感情的になっているということはそれはもう自分のこととしているようなものだもんね。
『その通りじゃ。
もうその理不尽だと思っている世界にどっぷりじゃろ?』
うーん、確かに!
理不尽な世界を拒絶しているようで、もうその世界にどっぷりになっちゃっている。
『どうにもならない理不尽なこと。
両親、生まれた場所、生まれた境遇、生まれてきた我が子、自分の体、生き方…全て自分が自分に用意した!
実際にそうだとしたら、もう何でも出来ると思わんか?(笑)』
人の手が及ばないような事でさえ自分が用意したということなら、自分が用意したんだから自分のやり方次第で抜け出せたり、活路を見出せる!って思うかも。
『その通りじゃ。
世界を動かしているものは実際はお前さんの世界とこちらの世界では変わらんよ。
ただ、在り方の違いで比例しないだけじゃ。
世界を決めているのはいつも自分自身で金や法は自身が使って初めて功を成すものじゃ。
実際にお前さんの存在自体には一切影響せんわい。』
今は分からなくてもよい
今回の話の内容はちょっとピンとくる人とこない人分かれる話だったかな?
『理解度はそれぞれ違うじゃろうな。
経験や体験がいずれは補うじゃろう。』
話している事をみんな完全には受け取れないだろうしね。
『うむ。
みんな自分の経験なり、体験なり、知識なりを通して世界を見るからの。
ま、読まれるだけマシじゃろ(笑)』
そこを含めて自分の用意した世界で生きているってことだね。