良い仕事を提供する人の共通点
イザナギのおじいちゃんが話す良い仕事
ねぇねぇ、イザナギのおじいちゃん。
『なんじゃなんじゃ、どうした?(にこにこ)』
イザナギのおじいちゃんが思う良い仕事ってどんな感じかな?
『ふぅむ、どうしたんじゃ、いきなりじゃのう。』
なんかね、巷では『自分が楽しいと思うこと』が仕事になるのが良いみたいな考えもあってね。
でもねぇ、私、楽しいだけじゃないと思うんだよね。
『…いかにも。
わしが話す【良い仕事】の話はどちらかというとくおりてぃに関する話になるがの。
【良い仕事】を提供する人には共通点がある。』
うんうん、知りたい!
『それはの。
【無我の境地】じゃ。』
無我の境地…!
楽しいは【我】である
『お前さんの言う【楽しいだけではない】というのはの、仕事とは自分の役割や役目を果たすこと。
それはいつでも楽しさといこーるで結ばれているわけではないということじゃ。』
うん、まぁ、仕事が楽しいに越したことは無いけど。
楽しいを超えた先に自分でも『あぁ~!いい仕事できたな!』って時があるんだよね。
『それこそが【無我の境地】じゃ。
よいか、【楽しい】はあくまで自分の感情なのじゃ。
仕事が楽しいに越したことはない。
だがの、楽しいだけではそれは【我】じゃ。
自分1人のための仕事は自分の範疇を超えることは出来ない。』
本当に良い仕事は自分の【楽しい】を超えた【無我の境地】にあるってことだね。
『いかにも。
仕事が【楽しい】内はまだ自分の為の領域なのじゃ。
まぁ、ひよっこを卒業した半人前ってとこじゃの。
分かってきているが、まだ本懐には至っていない。』
『これがある時に気付くのじゃ。
自分が人のため、世のために提供できる良いものは自分の楽しいを追求する先にはなく、自分が出来ることを無我となって提供することだとな。
そうすると、楽しいよりも自分の仕事に納得がいくか、本当に自分が果たすべき役割を淡々とこなし、提供していく感覚となる。
これが【無我の境地】。』
仕事をしていたら必ずしも我を通すことが、お客様や提供する先にとって良いことではないものね。
『そうじゃ。
【楽しい】に引きずられて【我】を通してはならん。
故にまだ仕事が楽しいメインでは半人前じゃな。』
イザナギの見た【無我の境地】
『ま、わしが見た1番の【無我の境地】はの。
アメノウズメちゃんの神楽じゃな。』
天岩戸事件で踊ったっていうアメノウズメさん?
『そうじゃ。
アメノウズメちゃんは引きこもったアマテラスな為に自分が出来ること、自分の役割を考えた。』
それがアマテラスの為に神楽を捧げること?
『うむ、それこそ【無我の境地】でな。
【無我】にならなければ、衣服がはだけても気付かぬほど自分を捧げることは出来んじゃろ。
アメノウズメちゃんの衣服が全て地に落ちた時、神々は一層の歓声を上げた。
アマテラスの為にあそこまで自分を捧げることが出来るのか…!
それはまさに、畏敬の念であった。』
確かに…【我】があったら恥ずかしくてそこまで夢中になって自分を捧げられないかもしれない…。
『かつ、提供される側が【無我の境地】を感じ取り、受け取らねばならん。
我を無くし、自分のためだけに提供される仕事のなんと尊きことか。』
うーん、話を聞いているとただ『楽しー!きゃー!』ってやってるだけじゃ辿り着けない境地だよね。
『楽しいに越したことはないんじゃがのー。
楽しいは自分の感情だからの。
思いっきり【我】なのじゃ。
【無我の境地】にて自分の出来ることを世に果たしていくとき、良い仕事が出来ると言った理由が今の話で伝わればいいんじゃがのー。』
私にはすごく伝わったけどな(笑)