21年11月。 早くも小雪のチラつく気候と、吸い込んだ空気の凍てつきながら軽い味わいに、久しぶりに札幌へ来たことを思い出した。 10年近く前、呑気にも大学院に通いながら住んでいた街に、久々に戻ってきたのだ。 札幌駅は、広大なJRタワーが相変わらずの威容で聳えていた。 しかし、駅前を少し大通公園の方に歩くと、旧道庁から整備された歩きやすい街並みが揃って開けた空間があることに驚き、狸小路ではランドマークのようだったドンキホーテが移転しており、加えて、これまで見たことのないほど整然
あるツイートが流れてきて、物凄く示唆に富んでいると思ったので、少しだけ記しておきたい。 これ、家庭的な微笑ましい話題と取るなり、教育法に関する話題と取るなりするのが標準的なんだろうと思う。 しかし私には、論理性で判断する価値観を人生から遠ざけかねない重大な岐路に見えた。 この宿題をやった子がどの発言をしていたかは定かではないが、仮に私が父親なら、長方形や正方形の問題ではなく、数タイプの特別な四角形が持つ特徴を伝えることに時間を費やすと思う。 4つの直線(中高生レベルの数学で
そのアニメ映画は、装飾音が付いたCのコードを「ド・ミ・ソ」とキーボードがなぞっていくことから始まる。 Cメジャーの調性を持つ明るい導入かと思わせつつ、その基音のCに装飾音が付くことで、どこか不確かな青春の味わいを示しているかのようだ。 そして、タイトル「海がきこえる」の表示と共に郷愁を誘う音楽に切り替わり、ナレーションで物語の根幹が語られる。 「僕と松野が初めて里伽子と会ったのは、一昨年、高校2年の時の、やはりこんな真夏の日だった」 描かれるのは、高知の純朴な男子高校生に訪れ
ゆで卵を茹で続けることを止めてはいけない。 卵の鮮度や水の温度によって、外の白身の仕上がり、黄身の固まり具合がまるで異なり、殻の剥けやすさや味付ける際の浸透しやすさまで、ちょっとした違いが千差万別のゆで卵になる。 私達は、内面に広大な暗い虚無と芯を貫く光の両方を備えている。 例外なくだ。 しかし何に躓き、どこで立ち上がり、いつまで歩くのか、というのはあらゆる人が異なったバランスで持っている。 そうした前提を踏まえた時、私は思うのだ。 柔らかく力強いインプットを続けることでしか
東急は恐らく、5月13日に発表予定の21年3月期の連結決算では、過去最高額に近い巨額の赤字を計上するだろう。 しかし、そのこと自体は経営不安には繋がらない可能性が高い。 勿論、これまで培ってきた沿線という領域で、圧倒的に強固な基盤を持てる鉄道事業という事業形態の優位性がその背景にあるのは間違いない。 ただ、私はそれに加えて、持続可能性のある将来に向けた一歩踏み込んだサービスや価値を追求している側面がある企業だという点も見逃せないと思っている。 リアルに列車という乗り物を運行
戦後に新しくできたラーメンはいくつあると思う? 実は、味噌ラーメンとつけ麺の2つね。 それだけ。 優に50年を超えるキャリアのラーメン屋の店主が、そう言っていた。 味噌汁ではなく麺と合う味噌ダレのスープが札幌で開発されたのは昭和30年頃。 そして酸味を加えたスープを"旨い"と感じさせる味に仕立てて麺と合わせて出したのが池袋の大勝軒。 どちらも革新として名を馳せ、普及して定着したという話だった。 今や、ラーメンも食文化の一端に地位を認められて久しく、あらゆる語り口で溢れている
率直に記せば、興味が湧かない人達の話だと思った。 金原ひとみの小説「アタラクシア」に登場する人物は全て、性と暴力に関する苦悩を抱えている。キャラクター達を丹念な情景と痛切な心身の刺激で描写した文章で、読み進めるのに随分と苦心した。 この小説のタイトル「アタラクシア」は、古代ギリシャ哲学に由来する哲学用語で、心の平静・不動を意味する。しかし、登場人物は平静や不動とは程遠く、様々な情念に取り憑かれた行動を取る。 私自身は、共感する感情は殆んど持てなかった。しかし、肉体に根差した
「タイガー&ドラゴン」がTVerで公開されている。 05年に放送されたこのドラマの後、NHKの連続テレビ小説「ちりとてちん」や(原作小説の刊行は97年だが)映画「しゃべれども しゃべれども」、漫画からアニメ、実写ドラマにまでなった「昭和元禄落語心中」など落語をテーマにしたフィクションが増えた。 付け加えれば、ジャニーズの2人を竜虎に据えたこのドラマの影響で、落語や寄席そのものへの注目度も高めた記念碑的作品だ。 スペシャル版では「三枚起請」という前座ネタではないはずの技巧的な廓
負けた。 始まったばかりの連ドラがヒロインは魅力的でも「プラダを着た悪魔」の三週遅れとか、放送されたばかりのミステリーが詐欺の二段落ちを成立させるためという目論見が先行しすぎているとか、毒づく言葉の方が浮かびやすいと思っていた夜だった。 圧倒的な瞬発力で、私の感覚を不意に"御大"が揺さぶってきたことに驚愕した。 私が小学生の頃のドラマのノベライズはベタで何だかムズムズと違和感を覚えていたし、大学生の頃は余りに違いすぎる"大学生"に羨望を超えた呆れを抱いていたのに、ブラウン管の
2020年は、好きな人と出会い直した。 彼女はMさんという。25歳と私より若く、しかもアイドルだ。当然ながら私と恋愛関係にある訳ではない。客観的に見れば、私の友達と呼べる人間でもない。彼女から見れば、私はただの「ファン」や「ヲタク」に過ぎない。 であれば彼女への思慕は、「好きだ」と大上段に構えた言い回しではなく、すっかり一般的となった「推しだ」くらいの表現が適切かもしれない。でも私には「推し」という単語は、何だか都合よく自分と対象の距離を隔てて傷付かないためのマジックワード
天使じゃない「俺たちは天使じゃない」というアメリカ映画をご存じだろうか。 私はリメイク版のロバート・デ・ニーロとショーン・ペンとデミ・ムーアが演じる郷愁溢れる美しい映画しか知らないのだが、原作は戯曲で、ハンフリー・ボガートらが演じた映画もある名作だ。 私は、脱獄囚と娼婦と聾唖の子供の織り成す愉快で美しい情景が、今でも忘れられない。 そんなことを思い出すNGT48の歌う2曲と出会った。 賞味期限は僅か20時間もないどうでも良い話なのだが…。 「シャーベットピンク」と「絶望の後
序「仲間を信じられなければ命はない。仲間と1つにならなければ、ファンの皆に思いを届けられない」「そして、これから来る者に成功の前例を」 ~「AKB0048 nextstage」14話 園智恵理~ 渡辺麻友さんという女性は、15年にならんとするAKB48の歴史でも特筆すべきほど、高い水準の価値を届け続けた人だ。 届く距離の遠さよりも磨き上げた高品質を並べ続けることで、希望を紡いで捧げ続けた人だ。 彼女の素晴らしい美質は、挑戦的な試みであればあるほど安定を与えることができる点に
序劇団ノーミーツの長編リモート演劇「門外不出モラトリアム」を見た。 今の緊急事態宣言下で可能なエンターテインメントという制限に留まらない、表現の新しい形の1つを切り拓いた見事な演劇だった。 私達は現在は、リアルという感覚をまだ全く喪失している訳ではなく、憧憬を抱いて仰ぎ見ることができる。 同時に、可能性という側面では、バーチャルな世界は領域を広げている。 リアルの演劇でも、ドラマでも、映画でも、「門外不出モラトリアム」のストーリーを再現して舞台や映像を作成して届けることは可能
序先日に行われたzoomを活用した「12人の優しい日本人」については、四方山の話を繋げた感想を投稿した。 しかし、新しい表現とした部分を余り具体的に示しておらず、他の方のnoteの投稿でも余り触れられていないようなので、折角なので私なりに読み取ったことを記しておきたい。 それにしても、zoomのシステムの制約の中で、意図した配置で見事な視覚効果を演出したことは、演劇という紀元前からある古いシステムであるからこそ、適応していく余地があることを示した事例として非常に興味深い。
序「あんた、人の命をそんな軽々しく扱うのかね。正しいと思うことをしろ」(映画「十二人の怒れる男」) 現代は"正しい"が極めて難しい時代になったと思う。 何より、本当に"正しい"ことが何かというのは今まさに世界が探している局面に直面しているからこそ、社会も私達自身も不自由を痛感している真っ最中だ。 そんな日に、オンライン会議システムzoomを利用した新形式で傑作コメディ「12人の優しい日本人」を上質のエンタテイメントとして作り上げ、今を覆う閉塞からの活路の一端を拓いた。 劇終
序「チャイコフスキーはお前の血の中だ。 毎日 俺たちにやらせたろ この30年 何度 頭の中で指揮した? 皆に聞こえてた。飽きるほどな。 哀れなチャイコフスキーをパリで解き放て」 この映画で最も熱いセリフだ。 人生でこれほどの情熱を持てることそれ自体が奇跡で、希望じゃないだろうか。 映画「オーケストラ!」とチャイコン唐突だが、映画のあらすじを綴ろう。 パリで、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をメインに据えた演奏会に、ロシアで清掃員に身をやつした男が指揮をして、その仲間の